2024年映画館で観た最初の映画がこれだ。

なんと2024年は3ヶ月近くも映画館で映画観てなかったのだなー。

正直PART1でお腹いっぱいになってしまったんだけど、巷で評判よさげなんで、頑張って観てきた。

 

1作目の感想はこちら

 

 

ネタばれあり

166分と最近の映画は長くてしんどいのー。

とにかくデイヴィッド・リンチ版の『デューン/砂の惑星』の後半部分を丁寧に作った感あり。リンチ版は駆け足過ぎたかもしれないが、こちらは前作同様丁寧過ぎる感じで、大まかな展開はリンチ版と一緒だから先の展開もわかってるし、やっぱりちょっとかったるく感じちゃった。主人公ポールをはじめ登場人物にそれほど面白みがないしねー。

リンチ版ではポール親子は割とすぐにフレーメンにウェルカム状態だったけど、ヴィルヌーヴ版はなかなか受け入れてもらえない感じ。

そしてムアディブの名前の由来も異なる。リンチ版は月に由来、ヴィルヌーヴ版は鼠に由来。原作はどっち?

ヴィルヌーヴ版はサンドワームを乗りこなす儀式なんかはリンチ版より迫力あって良かったし、リンチ版ではスティングが演じたことで話題だけはあったけど、物語場の立ち位置がいまいちよくわからなかったフェイドもその存在の意味が明確でわかりやすかった。

残念なのは、リンチ版でもかなりインパクトあったアリアが登場しなかったこと。リンチ版のアリアがなんだかサイコパスチックだったのでヴィルヌーヴ版ではどう描かれるのか楽しみにしてたのに(成長したアリアがポールの夢に一瞬現れるけどね)。

原作でもリンチ版でもアリアはハルコンネン男爵を殺す要であるはずなのに、ここは改変しちゃったのねーって感じ。

ポールが実はハルコンネン男爵の血筋っていうのも驚きだったけど、ここは原作通りなのかしら? 原作がそうであるならば、同じくハルコンネン男爵の血を引くアリアがリンチ版で残虐に描かれるのはちょっと納得してしまう。

リンチ版ではただの語り部に過ぎなかった皇帝の娘イルーランも今作ではリンチ版よりは存在感があるというか、実はポールの正妻となるくだりはリンチ版にはなかったので、こういう流れかーと納得。

なぜにこの物語の語り部がイルーランなのかはよくわからないけど、とある人の解説によれば、イルーランはあくまで政略結婚で、ポールの心はチャニにあるので、イルーランは書物しか気を紛らわすすべがなかったということらしい。だから結果的に歴史の記録者となったということなのね。

ちなみにこの映画のチャニがなんだか好きになれなかったなー。演じるセンデイヤがいまいち好みの女優さんじゃないのかも。

最後の戦いはそれなりに迫力あったけど、やっぱり音響兵器モジュールが登場しないのは寂しい。

結末はリンチ版のように、アリアがポールこそがベネ・ゲセリットが求めていたクイザッツハデラッハだと名言して雨が降り出すシーンはかなりカタルシスだったんで、そういう意味では今回の結末はすっきりしなかった。
結局、二部作と言われてた割には中途半端に終わった感じなので、さらに三部目が作られるのかもしれないけど、ここからはリンチ版にはないので、私としては未知の展開になる。今度こそアリア活躍して欲しいなー。

また、リンチ版には登場しなかった大公家連合も気になるところ。そして未だ姿をみせないスペーシングギルドもこの映画ではどういう造形にするのか気になる。

ところで相変わらずポスターはレディ・ジェシカがど真ん中。やっぱりこの映画はジェシカが主役なのかしらねー。

 

改めて、この物語は中東の石油資源を巡る西欧諸国の利権争いをスペースオペラと言う形で表現したのだなーという思いが深まる。

砂漠の民フレーメンがもうイスラム教徒にしか見えないもの。そして、ポールの復讐劇でもあるのだけど、破壊行為がまんまテロリストのそれって感じで、なんとも複雑な気持ちにさせる。

フレーメンが水を大切にしているのはわかるけど、人間の体から体液を抽出するあたりはなかなか生々しい描写だったなー。

リンチ版は雨が降ることで、結果的に砂の惑星から受けるスパイスの恩恵が失われ、これまでの砂の惑星をめぐる権力争いの終了を意味する訳だけど、原作はさらにその先がある訳で、大いなる恩恵をもたらす資源のある惑星をめぐる争いの落としどころがどこに帰結するのかは気になるところ。

ネットでさくっと原作のあらすじを読む限りではこの先はどんどん迷走しているように感じるけど。

とりあえずドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はそのあたりをどう帰結させるつもりなのかな。

 

そして、何度も何度も言うけど、今となってはリンチ版、そう悪くなかったと思うよ。

※最終決定権がなく、不本意な形となったリンチにとってはリンチ版とは言って欲しくないかもしれないけどね。