食管法違反事件上告審判決
事案:食料管理法に従っていたのでは食事が足りず、生きて行けないから、食管法の規定は生存権侵害である。
25条に関する判断部分のみ
さて、憲法第二五条第二項において、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しているのは、
前述の社会生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施設の拡充増強に努力すべきことを国家の任務の一つとして宣言したものである。
そして、同条第一項は、
同様に積極主義の政治として、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものである。
(◯プログラム規定説)
それは、主として社会的立法の制定及びその実施によるべきであるが、
かかる生活水準の確保向上もまた国家の任務の一つとせられたのである。
すなわち、国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、
個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない。
(◯具体的権利性なし)
言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。
社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従つて、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。
朝日訴訟上告審判決多数意見
事案:生活保護受給者が、兄から仕送りを受ける様になったので支給を打ち切ったところ、基準金額600円が、健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものでないとして提訴。
主 文
本件訴訟は、昭和三九年二月一四日上告人の死亡によつて終了した。
中間の争いに関して生じた訴訟費用は、上告人の相続人A、同Bの負担とする。
理 由
本件上告理由は、別紙記載のとおりである。
職権をもつて調査するに、上告人は、昭和三八年一一月二〇日本件上告の申立をしたが、昭和三九年二月一四日死亡するにいたつたこと、記録上明らかである。
上告人は、十数年前から国立岡山療養所に単身の肺結核患者として入所し、
厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額たる月六〇〇円の日用品費の生活扶助と現物による全部給付の給食付医療扶助とを受けていた。
ところが、同人が実兄Cから扶養料として毎月一、五〇〇円の送金を受けるようになつたために、
津山市社会福祉事務所長は、月額六〇〇円の生活扶助を打ち切り、
右送金額から日用品費を控除した残額九〇〇円を医療費の一部として上告人に負担させる旨の保護変更決定をした。
同決定が岡山県知事に対する不服の申立および厚生大臣に対する不服の申立においても是認されるにいたつたので、
上告人は、厚生大臣を被告として、
右六〇〇円の基準金額が生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するにたりない違法のものであると主張して、
同大臣の不服申立却下裁決の取消を求める旨の本件訴を提起した。
おもうに、生活保護法の規定に基づき要保護者または被保護者が国から生活保護を受けるのは、
単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であつて、
保護受給権とも称すべきものと解すべきである。
しかし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし(五九条参照)、相続の対象ともなり得ないというべきである。
(なお、念のために、本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見を付加する。
一、憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。
この規定は、
すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり(プログラム規定説)、
直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(具体的権利性否定)
(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。
具体的権利としては、
憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。
生活保護法は、
「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、
その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、
右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。
もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、
結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。
しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、
その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、
多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、
いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、
その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、
直ちに違法の問題を生ずることはない。
ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等
憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、
法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、
違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない(例外的に裁判規範性を認める)。
原判決は、保護基準設定行為を行政処分たる覊束裁量行為であると解し、
なにが健康で文化的な最低限度の生活であるかは、厚生大臣の専門技術的裁量に委されていると判示し、
その判断の誤りは、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題にすぎないものであるとした。
覊束裁量行為といつても行政庁に全然裁量の余地が認められていないわけではないので、
原判決が保護基準設定行為を覊束裁量行為と解しながら、
そこに厚生大臣の専門技術的裁量の余地を認めたこと自体は、理由齟齬の違法をおかしたものではない。
また、原判決が本件生活保護基準の適否を判断するにあたつて考慮したいわゆる生活外的要素というのは、
当時の国民所得
ないしその反映である国の財政状態、国民の一般的生活水準、
都市と農村における生活の格差、
低所得者の生活程度とこの層に属する者の全人口において占める割合、
生活保護を受けている者の生活が保護を受けていない多数貧困者の生活より優遇されているのは不当であるとの一部の国民感情
および予算配分の事情である。
以上のような諸要素を考慮することは、保護基準の設定について厚生大臣の裁量のうちに属することであつて、
その判断については、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題を生ずるにすぎないのであつて、
違法の問題を生ずることはない。
二、本件生活扶助基準そのものについて見るに、
この基準は、昭和二八年七月設定されたものであり、
また、その月額六〇〇円算出の根拠となつた費目、数量および単価は、第一審判決別表記載のとおりである。
生活保護法によつて保障される最低限度の生活とは、
健康で文化的な生活水準を維持することができるものであることを必要とし(三条参照)、
保護の内容も、要保護老個人またはその世帯の実際の必要を考慮して、有効かつ適切に決定されなければならないが(九条参照)、
同時に、それは最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえてはならないこととなつている(八条二項参照)。
本件のような入院入所中の保護患者については、
生活保護法による保護の程度に関して、
長期療養という特殊の生活事情や医療目的からくる一定の制約があることに留意しなければならない。
この場合に、日用品費の額の多少が病気治療の効果と無関係でなく、
その額の不足は、病人に対し看過し難い影響を及ぼすことのあるのは、否定し得ないところである。
しかし、患者の最低限度の需要を満たす手段として、
法は、その需要に即応するとともに、保護実施の適正を期する目的から、
保護の種類および範囲を定めて、これを単給または併給することとし、
入院入所中の保護患者については、
生活扶助のほかに給食を含む医療扶助の制度を設けているが、
両制度の間にはおのずから性質上および運用上の区別があり、
また、これらとは別に生業扶助の制度が存するのであるから、
単に、治療効果を促進しあるいは現行医療制度や看護制度の欠陥を補うために必要であるとか、
退院退所後の生活を容易にするために必要であるとかいうようなことから、
それに要する費用をもつて日用品費と断定し、生活扶助基準にかような費用が計上されていないという理由で、
同基準の違法を攻撃することは、許されないものといわなければならない。
さらに、本件生活扶助基準という患者の日用品に対する一般抽象的な需要測定の尺度が
具体的に妥当なものであるかどうかを検討ずるにあたつては、
日用品の消費量が各人の節約の程度、当該日用品の品質等によつて異なるのはもとより、
重症患者と中・軽症患者とではその必要とする費目が異なり、
特定の患者にとつてはある程度相互流用の可能性が考えられるので、
単に本件基準の各費目、数量、単価を個別的に考察するだけではなく、その全体を統一的に把握すべきである。
また、入院入所中の患者の日用品であつても、経常的に必要とするものと臨時例外的に必要とするものとの区別があり、
臨時例外的なものを一般基準に組み入れるか、特攻基準ないしは一時支給、貸与の制度に譲るかは、
厚生大臣の裁量で定め得るところである。
以上のことを念頭に入れて検討すれば、原判決の確定した事実関係の下においては、
本件生活扶助基準が入院入所患者の最低限度の日用品費を支弁するにたりるとした厚生大臣の認定判断は、
与えられた裁量権の限界をこえまたは裁量権を濫用した違法があるものとはとうてい断定することができない。)
よつて、民訴法九五条、八九条に従い、
裁判官奥野健一の補足意見および裁判官草鹿浅之介、同田中二郎、同松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、
全裁判官一致の意見により、主文のと判り判決する。
ここから堀木訴訟上告審判決の多数意見
事案:障害福祉年金受給者の児童扶養手当併給禁止規定の合憲性
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
上告代理人井藤誉志雄、同藤原精吾、同前哲夫、同佐伯雄三、同宮崎定邦、同堀田貢、同前田修、同木村治子、同高橋敬、同吉井正明、同田中秀雄、同持田穣、同野田底吾、同原田豊、同中村良三、同羽柴修、同山崎満幾美、同野沢涓、同小牧英夫、同山内康雄、同宮後恵喜、同大音師建三、同田中唯文、同伊東香保、同前田貢、同山平一彦、同古本英二、同前田貞夫、同川西譲、同木下元二、同垣添誠雄、同上原邦彦、同足立昌昭、同木村祐司郎、同竹内信一名義、同岩崎豊慶、同橋本敦、同西元信夫、同松本晶行、同新井章、同大森典子、同高野範城、同渡辺良夫、同四位直毅、同池田真規、同金住典子、同田中峯子、同門井節夫、同金井清吉の上告理由について
一 原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係は次のとおりである。
上告人は、国民年金法別表記載の一級一号に該当する視力障害者で、
同法に基づく障害福祉年金を受給しているものであるところ、同人は内縁の夫との間の男子A(昭和三〇年五月一二日生)を右夫との離別後独力で養育してきた。
上告人は、昭和四五年二月二三日、被上告人に対し、児童扶養手当法に基づく児童扶養手当の受給資格について認定の請求をしたところ、被上告人は、同年三月二三日付で右請求を却下する旨の処分をし、上告人が同年五月一八日付で、被上告人に異議申立てをしたのに対し、被上告人は、同年六月九日付で、右異議申立てを棄却する旨の決定をした。その決定の理由は、上告人が障害福祉年金を受給しているので、昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手当法四条三項三号(以下「本件併給調整条項」という。)に該当し受給資格を欠くというものであつた。
二 そこで、まず、本件併給調整条項が憲法二五条に違反するものでないとした原判決が同条の解釈適用を誤つたものであるかどうかについて検討する。
憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、
この規定が、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであること、
また、同条二項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しているが、
この規定が、同じく福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであること、
そして、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、
同条二項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきことは、
すでに当裁判所の判例とするところである((◯食料管理法違反事件)最高裁昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日大法廷判決・刑集二巻一〇号一二三五頁)。
このように、憲法二五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。
しかも、右規定にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、
その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、
右規定を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、
また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。
したがつて、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、
立法府の広い裁量にゆだねられており、
それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、
裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。
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日本国内での判例とプログラム規定説 [編集]
日本国内でプログラム規定説が問題となった訴訟としては、
日本国憲法第25条と生活保護法について争った「朝日訴訟」、社会保障立法における併給禁止規定の合憲性を争った「堀木訴訟」などが典型である。
これらの訴訟における最高裁判所の判例はプログラム規定説に立っている[1]が、
両訴訟とも裁量権の著しい逸脱など、一定の場合に第25条の裁判規範性を認めていることから、
純然たるプログラム規定説ではないとも言われる[
堀木訴訟控訴審判決
同
第二項に基づいて国の行う施策は、結果的には国民の健康で文化的な最低限度の生活保障に役立つているとしても、その施策がすべて国民の生存権確保を直接の目的とし、その施策単独で最低限度の生活の保障を実現するに足りるものでなければならないことが憲法上要求されているものとは解されない。
むしろ憲法第二五条は、すべての生活部面についての社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進を図る諸施策の有機的な総合によつて、国民に対し健康で文化的な最低限度の生活保障が行われることを予定しているものと考えられるのである。
結局同条第二項により国の行う施策は、個々的に取りあげてみた場合には、国民の生活水準の相対的な向上に寄与するものであれば足り、特定の施策がそれのみによつて健康で文化的な最低限度という絶対的な生活水準を確保するに足りるものである必要はなく、要は、すべての施策を一体としてみた場合に、健康で文化的な最低限度の生活が保障される仕組みになつていれば、憲法第二五条の要請は満たされているというべきである。
本条第二項の趣旨が以上のようなものであるとすると、同項に基づいて国が行う個々の社会保障施策については、各々どのような目的を付し、どのような役割機能を分担させるかは立法政策の問題として、立法府の裁量に委ねられているものと解することができる。
また、本条第二項による国の責務の遂行には、当然に財政措置を伴うものであり、而も財政には制約があるから、国は国家財政、予算の配分との関連において、できる限り、社会生活水準の向上及び増進に努めればよく、それをもつて同条項の規定の趣旨に十分合致するものと解すべきである。
そうして、国が右のような努力を続けることによつて、国民の生活水準が相対的に向上すれば、国民の最低限度に満たない生活から脱却する者が多くなるが、それでもなお最低限度の生活を維持し得ない者もあることは否定することはできないので、この落ちこぼれた者に対し、国は更に本条第一項の「健康で文化的な最低生活の保障」という絶対的基準の確保を直接の目的とした施策をなすべき責務があるの
である。
すなわち、本条第二項は国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務のあることを、同第一項は第二項の防貧施策の実施にも拘らず、なお落ちこぼれた者に対し、国は事後的、補足的且つ個別的な救貧施策をなすべき責務のあることを各宣言したものであると解することができる。
ここまで堀木訴訟控訴審判決
朝日訴訟地裁判決
:この憲法第二五条第一項は国に対しすべて国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるように積極的な施策を講ずべき責務を課して国民の生存権を保障し、同条第二項は同条第一項の責務を遂行するために国がとるべき施策を列記したものである(最高裁判所昭和三二年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。
: 生活保護法(昭和二五年法律第一四四号)は
国がまさにこの憲法第二五条の明定する生存権保障の理念に基いて
困窮者の生活保護制度を、同条第二項にいう社会保障の一環として、国の直接の責任において実現しようとするものであり、
憲法の前記規定を現実化し、具体化したものに外ならない(同法第一条参照)。
同法第二条は「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を無差別平等に受けることができる」と規定している。
これは同法に定める保護を受ける資格をそなえる限り
何人に対しても単に国の事実上の保護行為による反射的利益を享受させるにとどまらず、
積極的に国に対して同法第三条の規定するような「健康で文化的な生活水準」を維持することができる
最低限度の生活を保障する保護の実施を請求する権利、すなわち保護請求権を賦与することを規定したものと解すべきである。
そこで、本件において問題とされている併給調整条項の設定について考えるのに、
上告人がすでに受給している国民年金法上の障害福祉年金といい、
また、上告人がその受給資格について認定の請求をした児童扶養手当といい、
いずれも憲法二五条の規定の趣旨を実現する目的をもつて設定された社会保障法上の制度であり、
それぞれ所定の事由に該当する者に対して年金又は手当という形で一定額の金員を支給することをその内容とするものである。
ところで、児童扶養手当がいわゆる児童手当の制度を理念とし将来における右理念の実現の期待のもとに、
いわばその萌芽として創設されたものであることは、立法の経過に照らし、一概に否定することのできないところではあるが、
国民年金法一条、二条、五六条、六一条、児童扶養手当法一条、二条、四条の諸規定に示された障害福祉年金、母子福祉年金及び児童扶養手当の各制度の趣旨・目的及び支給要件の定めを通覧し、
かつ、国民年金法六二条、六三条、六六条三項、同法施行令五条の四第三項及び児童扶養手当法五条、九条、同法施行令二条の二各所定の支給金額及び支給方法を比較対照した結果等をも参酌して判断すると、
児童扶養手当は、もともと国民年金法六一条所定の母子福祉年金を補完する制度として設けられたものと見るのを相当とするのであり、
児童の養育者に対する養育に伴う支出についての保障であることが明らかな児童手当法所定の児童手当とはその性格を異にし、
受給者に対する所得保障である点において、
前記母子福祉年金ひいては国民年金法所定の国民年金(公的年金)一般、
したがつてその一種である障害福祉年金と基本的に同一の性格を有するもの、と見るのがむしろ自然である。
そして、一般に、社会保障法制上、同一人に同一の性格を有する二以上の公的年金が支給されることとなるべき、
いわゆる複数事故において、
そのそれぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであつても、
事故が二以上重なつたからといつて稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加するといえないことは明らかである。
このような場合について、社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、
さきに述べたところにより、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。
また、この種の立法における給付額の決定も、立法政策上の裁量事項であり、
それが低額であるからといつて当然に憲法二五条違反に結びつくものということはできない。
以上の次第であるから、本件併給調整条項が憲法二五条に違反して無効であるとする上告人の主張を排斥した原判決は、
結局において正当というべきである。
(なお、児童扶養手当法は、その後の改正により右障害福祉年金と老齢福祉年金の二種類の福祉年金について児童扶養手当との併給を認めるに至ったが、
これは前記立法政策上の裁量の範囲における改定措置と見るべきであり、このことによつて前記判断が左右されるわけのものではない。)
三 次に、本件併給調整条項が上告人のような地位にある者に対してその受給する障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じたことが憲法一四条及び一三条に違反するかどうかについて見るのに、
憲法二五条の規定の要請にこたえて制定された法令において、
受給者の範囲、支給要件、支給金額等につきなんら合理的理由のない不当な差別的取扱をしたり、
あるいは個人の尊厳を毀損するような内容の定めを設けているときは、
別に所論指摘の憲法一四条及び一三条違反の問題を生じうることは否定しえないところである。
しかしながら、本件併給調整条項の適用により、
上告人のように障害福祉年金を受けることができる地位にある者とそのような地位にない者との間に
児童扶養手当の受給に関して差別を生ずることになるとしても、
さきに説示したところに加えて原判決の指摘した諸点、
とりわけ身体障害者、母子に対する諸施策及び生活保護制度の存在などに照らして総合的に判断すると、
右差別がなんら合理的理由のない不当なものであるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。
また、本件併給調整条項が児童の個人としての尊厳を害し、
憲法一三条に違反する恣意的かつ不合理な立法であるといえないことも、上来説示したところに徴して明らかであるから、
この点に関する上告人の主張も理由がない。
以上の次第であるから、論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
ここまで堀木訴訟
以下朝日訴訟の補足意見、反対意見
省略
以上、28分
事案:食料管理法に従っていたのでは食事が足りず、生きて行けないから、食管法の規定は生存権侵害である。
25条に関する判断部分のみ
さて、憲法第二五条第二項において、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しているのは、
前述の社会生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施設の拡充増強に努力すべきことを国家の任務の一つとして宣言したものである。
そして、同条第一項は、
同様に積極主義の政治として、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したものである。
(◯プログラム規定説)
それは、主として社会的立法の制定及びその実施によるべきであるが、
かかる生活水準の確保向上もまた国家の任務の一つとせられたのである。
すなわち、国家は、国民一般に対して概括的にかかる責務を負担しこれを国政上の任務としたのであるけれども、
個々の国民に対して具体的、現実的にかかる義務を有するのではない。
(◯具体的権利性なし)
言い換えれば、この規定により直接に個々の国民は、国家に対して具体的、現実的にかかる権利を有するものではない。
社会的立法及び社会的施設の創造拡充に従つて、始めて個々の国民の具体的、現実的の生活権は設定充実せられてゆくのである。
朝日訴訟上告審判決多数意見
事案:生活保護受給者が、兄から仕送りを受ける様になったので支給を打ち切ったところ、基準金額600円が、健康で文化的な最低限度の生活を維持するに足りるものでないとして提訴。
主 文
本件訴訟は、昭和三九年二月一四日上告人の死亡によつて終了した。
中間の争いに関して生じた訴訟費用は、上告人の相続人A、同Bの負担とする。
理 由
本件上告理由は、別紙記載のとおりである。
職権をもつて調査するに、上告人は、昭和三八年一一月二〇日本件上告の申立をしたが、昭和三九年二月一四日死亡するにいたつたこと、記録上明らかである。
上告人は、十数年前から国立岡山療養所に単身の肺結核患者として入所し、
厚生大臣の設定した生活扶助基準で定められた最高金額たる月六〇〇円の日用品費の生活扶助と現物による全部給付の給食付医療扶助とを受けていた。
ところが、同人が実兄Cから扶養料として毎月一、五〇〇円の送金を受けるようになつたために、
津山市社会福祉事務所長は、月額六〇〇円の生活扶助を打ち切り、
右送金額から日用品費を控除した残額九〇〇円を医療費の一部として上告人に負担させる旨の保護変更決定をした。
同決定が岡山県知事に対する不服の申立および厚生大臣に対する不服の申立においても是認されるにいたつたので、
上告人は、厚生大臣を被告として、
右六〇〇円の基準金額が生活保護法の規定する健康で文化的な最低限度の生活水準を維持するにたりない違法のものであると主張して、
同大臣の不服申立却下裁決の取消を求める旨の本件訴を提起した。
おもうに、生活保護法の規定に基づき要保護者または被保護者が国から生活保護を受けるのは、
単なる国の恩恵ないし社会政策の実施に伴う反射的利益ではなく、法的権利であつて、
保護受給権とも称すべきものと解すべきである。
しかし、この権利は、被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利であつて、他にこれを譲渡し得ないし(五九条参照)、相続の対象ともなり得ないというべきである。
(なお、念のために、本件生活扶助基準の適否に関する当裁判所の意見を付加する。
一、憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。
この規定は、
すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり(プログラム規定説)、
直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(具体的権利性否定)
(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。
具体的権利としては、
憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。
生活保護法は、
「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、
その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、
右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。
もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、
結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。
しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、
その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、
多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、
いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、
その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、
直ちに違法の問題を生ずることはない。
ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等
憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、
法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、
違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない(例外的に裁判規範性を認める)。
原判決は、保護基準設定行為を行政処分たる覊束裁量行為であると解し、
なにが健康で文化的な最低限度の生活であるかは、厚生大臣の専門技術的裁量に委されていると判示し、
その判断の誤りは、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題にすぎないものであるとした。
覊束裁量行為といつても行政庁に全然裁量の余地が認められていないわけではないので、
原判決が保護基準設定行為を覊束裁量行為と解しながら、
そこに厚生大臣の専門技術的裁量の余地を認めたこと自体は、理由齟齬の違法をおかしたものではない。
また、原判決が本件生活保護基準の適否を判断するにあたつて考慮したいわゆる生活外的要素というのは、
当時の国民所得
ないしその反映である国の財政状態、国民の一般的生活水準、
都市と農村における生活の格差、
低所得者の生活程度とこの層に属する者の全人口において占める割合、
生活保護を受けている者の生活が保護を受けていない多数貧困者の生活より優遇されているのは不当であるとの一部の国民感情
および予算配分の事情である。
以上のような諸要素を考慮することは、保護基準の設定について厚生大臣の裁量のうちに属することであつて、
その判断については、法の趣旨・目的を逸脱しないかぎり、当不当の問題を生ずるにすぎないのであつて、
違法の問題を生ずることはない。
二、本件生活扶助基準そのものについて見るに、
この基準は、昭和二八年七月設定されたものであり、
また、その月額六〇〇円算出の根拠となつた費目、数量および単価は、第一審判決別表記載のとおりである。
生活保護法によつて保障される最低限度の生活とは、
健康で文化的な生活水準を維持することができるものであることを必要とし(三条参照)、
保護の内容も、要保護老個人またはその世帯の実際の必要を考慮して、有効かつ適切に決定されなければならないが(九条参照)、
同時に、それは最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、かつ、これをこえてはならないこととなつている(八条二項参照)。
本件のような入院入所中の保護患者については、
生活保護法による保護の程度に関して、
長期療養という特殊の生活事情や医療目的からくる一定の制約があることに留意しなければならない。
この場合に、日用品費の額の多少が病気治療の効果と無関係でなく、
その額の不足は、病人に対し看過し難い影響を及ぼすことのあるのは、否定し得ないところである。
しかし、患者の最低限度の需要を満たす手段として、
法は、その需要に即応するとともに、保護実施の適正を期する目的から、
保護の種類および範囲を定めて、これを単給または併給することとし、
入院入所中の保護患者については、
生活扶助のほかに給食を含む医療扶助の制度を設けているが、
両制度の間にはおのずから性質上および運用上の区別があり、
また、これらとは別に生業扶助の制度が存するのであるから、
単に、治療効果を促進しあるいは現行医療制度や看護制度の欠陥を補うために必要であるとか、
退院退所後の生活を容易にするために必要であるとかいうようなことから、
それに要する費用をもつて日用品費と断定し、生活扶助基準にかような費用が計上されていないという理由で、
同基準の違法を攻撃することは、許されないものといわなければならない。
さらに、本件生活扶助基準という患者の日用品に対する一般抽象的な需要測定の尺度が
具体的に妥当なものであるかどうかを検討ずるにあたつては、
日用品の消費量が各人の節約の程度、当該日用品の品質等によつて異なるのはもとより、
重症患者と中・軽症患者とではその必要とする費目が異なり、
特定の患者にとつてはある程度相互流用の可能性が考えられるので、
単に本件基準の各費目、数量、単価を個別的に考察するだけではなく、その全体を統一的に把握すべきである。
また、入院入所中の患者の日用品であつても、経常的に必要とするものと臨時例外的に必要とするものとの区別があり、
臨時例外的なものを一般基準に組み入れるか、特攻基準ないしは一時支給、貸与の制度に譲るかは、
厚生大臣の裁量で定め得るところである。
以上のことを念頭に入れて検討すれば、原判決の確定した事実関係の下においては、
本件生活扶助基準が入院入所患者の最低限度の日用品費を支弁するにたりるとした厚生大臣の認定判断は、
与えられた裁量権の限界をこえまたは裁量権を濫用した違法があるものとはとうてい断定することができない。)
よつて、民訴法九五条、八九条に従い、
裁判官奥野健一の補足意見および裁判官草鹿浅之介、同田中二郎、同松田二郎、同岩田誠の反対意見があるほか、
全裁判官一致の意見により、主文のと判り判決する。
ここから堀木訴訟上告審判決の多数意見
事案:障害福祉年金受給者の児童扶養手当併給禁止規定の合憲性
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
上告代理人井藤誉志雄、同藤原精吾、同前哲夫、同佐伯雄三、同宮崎定邦、同堀田貢、同前田修、同木村治子、同高橋敬、同吉井正明、同田中秀雄、同持田穣、同野田底吾、同原田豊、同中村良三、同羽柴修、同山崎満幾美、同野沢涓、同小牧英夫、同山内康雄、同宮後恵喜、同大音師建三、同田中唯文、同伊東香保、同前田貢、同山平一彦、同古本英二、同前田貞夫、同川西譲、同木下元二、同垣添誠雄、同上原邦彦、同足立昌昭、同木村祐司郎、同竹内信一名義、同岩崎豊慶、同橋本敦、同西元信夫、同松本晶行、同新井章、同大森典子、同高野範城、同渡辺良夫、同四位直毅、同池田真規、同金住典子、同田中峯子、同門井節夫、同金井清吉の上告理由について
一 原審の適法に確定したところによれば、本件の事実関係は次のとおりである。
上告人は、国民年金法別表記載の一級一号に該当する視力障害者で、
同法に基づく障害福祉年金を受給しているものであるところ、同人は内縁の夫との間の男子A(昭和三〇年五月一二日生)を右夫との離別後独力で養育してきた。
上告人は、昭和四五年二月二三日、被上告人に対し、児童扶養手当法に基づく児童扶養手当の受給資格について認定の請求をしたところ、被上告人は、同年三月二三日付で右請求を却下する旨の処分をし、上告人が同年五月一八日付で、被上告人に異議申立てをしたのに対し、被上告人は、同年六月九日付で、右異議申立てを棄却する旨の決定をした。その決定の理由は、上告人が障害福祉年金を受給しているので、昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手当法四条三項三号(以下「本件併給調整条項」という。)に該当し受給資格を欠くというものであつた。
二 そこで、まず、本件併給調整条項が憲法二五条に違反するものでないとした原判決が同条の解釈適用を誤つたものであるかどうかについて検討する。
憲法二五条一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、
この規定が、いわゆる福祉国家の理念に基づき、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるよう国政を運営すべきことを国の責務として宣言したものであること、
また、同条二項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定しているが、
この規定が、同じく福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したものであること、
そして、同条一項は、国が個々の国民に対して具体的・現実的に右のような義務を有することを規定したものではなく、
同条二項によつて国の責務であるとされている社会的立法及び社会的施設の創造拡充により個々の国民の具体的・現実的な生活権が設定充実されてゆくものであると解すべきことは、
すでに当裁判所の判例とするところである((◯食料管理法違反事件)最高裁昭和二三年(れ)第二〇五号同年九月二九日大法廷判決・刑集二巻一〇号一二三五頁)。
このように、憲法二五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。
しかも、右規定にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものは、きわめて抽象的・相対的な概念であつて、
その具体的内容は、その時々における文化の発達の程度、経済的・社会的条件、一般的な国民生活の状況等との相関関係において判断決定されるべきものであるとともに、
右規定を現実の立法として具体化するに当たつては、国の財政事情を無視することができず、
また、多方面にわたる複雑多様な、しかも高度の専門技術的な考察とそれに基づいた政策的判断を必要とするものである。
したがつて、憲法二五条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、
立法府の広い裁量にゆだねられており、
それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、
裁判所が審査判断するのに適しない事柄であるといわなければならない。
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日本国内での判例とプログラム規定説 [編集]
日本国内でプログラム規定説が問題となった訴訟としては、
日本国憲法第25条と生活保護法について争った「朝日訴訟」、社会保障立法における併給禁止規定の合憲性を争った「堀木訴訟」などが典型である。
これらの訴訟における最高裁判所の判例はプログラム規定説に立っている[1]が、
両訴訟とも裁量権の著しい逸脱など、一定の場合に第25条の裁判規範性を認めていることから、
純然たるプログラム規定説ではないとも言われる[
堀木訴訟控訴審判決
同
第二項に基づいて国の行う施策は、結果的には国民の健康で文化的な最低限度の生活保障に役立つているとしても、その施策がすべて国民の生存権確保を直接の目的とし、その施策単独で最低限度の生活の保障を実現するに足りるものでなければならないことが憲法上要求されているものとは解されない。
むしろ憲法第二五条は、すべての生活部面についての社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進を図る諸施策の有機的な総合によつて、国民に対し健康で文化的な最低限度の生活保障が行われることを予定しているものと考えられるのである。
結局同条第二項により国の行う施策は、個々的に取りあげてみた場合には、国民の生活水準の相対的な向上に寄与するものであれば足り、特定の施策がそれのみによつて健康で文化的な最低限度という絶対的な生活水準を確保するに足りるものである必要はなく、要は、すべての施策を一体としてみた場合に、健康で文化的な最低限度の生活が保障される仕組みになつていれば、憲法第二五条の要請は満たされているというべきである。
本条第二項の趣旨が以上のようなものであるとすると、同項に基づいて国が行う個々の社会保障施策については、各々どのような目的を付し、どのような役割機能を分担させるかは立法政策の問題として、立法府の裁量に委ねられているものと解することができる。
また、本条第二項による国の責務の遂行には、当然に財政措置を伴うものであり、而も財政には制約があるから、国は国家財政、予算の配分との関連において、できる限り、社会生活水準の向上及び増進に努めればよく、それをもつて同条項の規定の趣旨に十分合致するものと解すべきである。
そうして、国が右のような努力を続けることによつて、国民の生活水準が相対的に向上すれば、国民の最低限度に満たない生活から脱却する者が多くなるが、それでもなお最低限度の生活を維持し得ない者もあることは否定することはできないので、この落ちこぼれた者に対し、国は更に本条第一項の「健康で文化的な最低生活の保障」という絶対的基準の確保を直接の目的とした施策をなすべき責務があるの
である。
すなわち、本条第二項は国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務のあることを、同第一項は第二項の防貧施策の実施にも拘らず、なお落ちこぼれた者に対し、国は事後的、補足的且つ個別的な救貧施策をなすべき責務のあることを各宣言したものであると解することができる。
ここまで堀木訴訟控訴審判決
朝日訴訟地裁判決
:この憲法第二五条第一項は国に対しすべて国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるように積極的な施策を講ずべき責務を課して国民の生存権を保障し、同条第二項は同条第一項の責務を遂行するために国がとるべき施策を列記したものである(最高裁判所昭和三二年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。
: 生活保護法(昭和二五年法律第一四四号)は
国がまさにこの憲法第二五条の明定する生存権保障の理念に基いて
困窮者の生活保護制度を、同条第二項にいう社会保障の一環として、国の直接の責任において実現しようとするものであり、
憲法の前記規定を現実化し、具体化したものに外ならない(同法第一条参照)。
同法第二条は「すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護を無差別平等に受けることができる」と規定している。
これは同法に定める保護を受ける資格をそなえる限り
何人に対しても単に国の事実上の保護行為による反射的利益を享受させるにとどまらず、
積極的に国に対して同法第三条の規定するような「健康で文化的な生活水準」を維持することができる
最低限度の生活を保障する保護の実施を請求する権利、すなわち保護請求権を賦与することを規定したものと解すべきである。
そこで、本件において問題とされている併給調整条項の設定について考えるのに、
上告人がすでに受給している国民年金法上の障害福祉年金といい、
また、上告人がその受給資格について認定の請求をした児童扶養手当といい、
いずれも憲法二五条の規定の趣旨を実現する目的をもつて設定された社会保障法上の制度であり、
それぞれ所定の事由に該当する者に対して年金又は手当という形で一定額の金員を支給することをその内容とするものである。
ところで、児童扶養手当がいわゆる児童手当の制度を理念とし将来における右理念の実現の期待のもとに、
いわばその萌芽として創設されたものであることは、立法の経過に照らし、一概に否定することのできないところではあるが、
国民年金法一条、二条、五六条、六一条、児童扶養手当法一条、二条、四条の諸規定に示された障害福祉年金、母子福祉年金及び児童扶養手当の各制度の趣旨・目的及び支給要件の定めを通覧し、
かつ、国民年金法六二条、六三条、六六条三項、同法施行令五条の四第三項及び児童扶養手当法五条、九条、同法施行令二条の二各所定の支給金額及び支給方法を比較対照した結果等をも参酌して判断すると、
児童扶養手当は、もともと国民年金法六一条所定の母子福祉年金を補完する制度として設けられたものと見るのを相当とするのであり、
児童の養育者に対する養育に伴う支出についての保障であることが明らかな児童手当法所定の児童手当とはその性格を異にし、
受給者に対する所得保障である点において、
前記母子福祉年金ひいては国民年金法所定の国民年金(公的年金)一般、
したがつてその一種である障害福祉年金と基本的に同一の性格を有するもの、と見るのがむしろ自然である。
そして、一般に、社会保障法制上、同一人に同一の性格を有する二以上の公的年金が支給されることとなるべき、
いわゆる複数事故において、
そのそれぞれの事故それ自体としては支給原因である稼得能力の喪失又は低下をもたらすものであつても、
事故が二以上重なつたからといつて稼得能力の喪失又は低下の程度が必ずしも事故の数に比例して増加するといえないことは明らかである。
このような場合について、社会保障給付の全般的公平を図るため公的年金相互間における併給調整を行うかどうかは、
さきに述べたところにより、立法府の裁量の範囲に属する事柄と見るべきである。
また、この種の立法における給付額の決定も、立法政策上の裁量事項であり、
それが低額であるからといつて当然に憲法二五条違反に結びつくものということはできない。
以上の次第であるから、本件併給調整条項が憲法二五条に違反して無効であるとする上告人の主張を排斥した原判決は、
結局において正当というべきである。
(なお、児童扶養手当法は、その後の改正により右障害福祉年金と老齢福祉年金の二種類の福祉年金について児童扶養手当との併給を認めるに至ったが、
これは前記立法政策上の裁量の範囲における改定措置と見るべきであり、このことによつて前記判断が左右されるわけのものではない。)
三 次に、本件併給調整条項が上告人のような地位にある者に対してその受給する障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じたことが憲法一四条及び一三条に違反するかどうかについて見るのに、
憲法二五条の規定の要請にこたえて制定された法令において、
受給者の範囲、支給要件、支給金額等につきなんら合理的理由のない不当な差別的取扱をしたり、
あるいは個人の尊厳を毀損するような内容の定めを設けているときは、
別に所論指摘の憲法一四条及び一三条違反の問題を生じうることは否定しえないところである。
しかしながら、本件併給調整条項の適用により、
上告人のように障害福祉年金を受けることができる地位にある者とそのような地位にない者との間に
児童扶養手当の受給に関して差別を生ずることになるとしても、
さきに説示したところに加えて原判決の指摘した諸点、
とりわけ身体障害者、母子に対する諸施策及び生活保護制度の存在などに照らして総合的に判断すると、
右差別がなんら合理的理由のない不当なものであるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。
また、本件併給調整条項が児童の個人としての尊厳を害し、
憲法一三条に違反する恣意的かつ不合理な立法であるといえないことも、上来説示したところに徴して明らかであるから、
この点に関する上告人の主張も理由がない。
以上の次第であるから、論旨は、いずれも採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
ここまで堀木訴訟
以下朝日訴訟の補足意見、反対意見
省略
以上、28分