レモンテスト
国家にゆるされる宗教的行為の判定として、アメリカ連邦最高裁判所はいくつかの判決を経た上で1971年にレモン対カーツマン事件において、修正第1条との関係で合憲とされるためには、

1. 政府の行為は適法で世俗的な目的をもつものでなければならない。
2. 政府の行為はその主たる効果が宗教を助長または抑制するものであってはならない。
3. 政府の行為は政府と宗教との「過度の関わり合い」をもたらすものであってはならない。

の3要件を充足することが必要と判断した。この基準は、当事者の名前をとってレモンテストと呼ばれている。


津地鎮祭事件
しかしながら、元来、政教分離規定は、
いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、
国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。

ところが、宗教は、信仰という個人の内心的な事象としての側面を有するにとどまらず、
同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事象としての側面を伴うのが常であつて、
この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、
そのことからくる当然の帰結として、
国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するにあたつて、
宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととなる。
したがつて、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。

更にまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないのであつて、
例えば、特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をしたり、
文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出したりすることも疑問とされるに至り、
それが許されないということになれば、そこには、宗教との関係があることによる不利益な取扱い、すなわち宗教による差別が生ずることになりかねず、
また例えば、刑務所等における教誨活動も、それがなんらかの宗教的色彩を帯びる限り一切許されないということになれば、
かえつて受刑者の信教の自由は著しく制約される結果を招くことにもなりかねないのである。

これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、
政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、
それぞれの国の社会的・文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえないことを前提としたうえで、
そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、
いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とならざるをえないのである。

右のような見地から考えると、
わが憲法の前記政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、
国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、
国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、
宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、
そのかかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合に
これを許さないとするものであると解すべきである。

(二) 憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動
憲法二〇条三項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定するが、
ここにいう宗教的活動とは、前述の政教分離原則の意義に照らしてこれをみれば、
およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、
そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであつて、

当該行為の目的が宗教的意義をもち、
その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。
その典型的なものは、同項に例示される宗教教育のような宗教の布教、教化、宣伝等の活動であるが、
そのほか宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、その目的、効果が前記のようなものである限り、当然、これに含まれる。

そして、この点から、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたつては、
当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、
その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則つたものであるかどうかなど、
当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、
当該行為の行われる場所、
当該行為に対する一般人の宗教的評価、
当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、
当該行為の一般人に与える効果、影響等、
諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。


なお、憲法二〇条二項の規定と同条三項の規定との関係を考えるのに、両者はともに広義の信教の自由に関する規定ではあるが、

二項の規定は、何人も参加することを欲しない宗教上の行為等に参加を強制されることはないという、
多数者によつても奪うことのできない狭義の信教の自由を直接保障する規定であるのに対し、

三項の規定は、直接には、国及びその機関が行うことのできない行為の範囲を定めて国家と宗教との分離を制度として保障し、
もつて間接的に信教の自由を保障しようとする規定であつて、
前述のように、後者の保障にはおのずから限界があり、

そして、その限界は、社会生活上における国家と宗教とのかかわり合いの問題である以上、
それを考えるうえでは、当然に一般人の見解を考慮に入れなければならないものである。

右のように、両者の規定は、それぞれ目的、趣旨、保障の対象、範囲を異にするものであるから、
二項の宗教上の行為等と三項の宗教的活動とのとらえ方は、その視点を異にするものというべきであり、
二項の宗教上の行為等は、必ずしもすべて三項の宗教的活動に含まれるという関係にあるものではなく、
たとえ三項の宗教的活動に含まれないとされる宗教上の祝典、儀式、行事等であつても、
宗教的信条に反するとしてこれに参加を拒否する者に対し国家が参加を強制すれば、
右の者の信教の自由を侵害し、二項に違反することとなるのはいうまでもない。
それ故、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動について前記のように解したからといつて、
直ちに、宗教的少数者の信教の自由を侵害するおそれが生ずることにはならないのである。


裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部髙顯、同環昌一の反対意見:完全な分離説
(◯多数意見は完全な分離は実際上不可能であるとする)
しかしながら、多数意見のいう国家と宗教とのかかわり合いとはどのような趣旨であるのか必ずしも明確でないばかりでなく、
そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合とはどのような場合であるのかもあいまいであつて、
政教分離原則を多数意見のように解すると、
国家と宗教との結びつきを容易に許し、
ひいては信教の自由の保障そのものをゆるがすこととなりかねないという危惧をわれわれは抱かざるをえないのである。

なお、われわれのような国家と宗教との徹底的な分離という立場においても、
多数意見が政教分離原則を完全に貫こうとすれば社会の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないとして挙げる例のごときは、
平等の原則等憲法上の要請に基づいて許される場合にあたると解されるから、
なんら不合理な事態は生じないのである。


箕面忠魂碑訴訟
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。

理 由
上告代理人兼上告補助参加人代理人熊野勝之、同藤田一良、同加島宏、同坂和優、同小坂井久、同川下清の上告理由第一点ないし第四点、第一〇点及び第三〇点について
一 所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯することができ、原判決に所論の違法はない。原審の適法に確定した事実関係の大要は、次のとおりである。
1 本件忠魂碑の移設、再建に至る経緯について
2 忠魂碑の由来について

二 憲法は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」(二〇条一項前段)とし、
また、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」(同条二項)として、いわゆる狭義の信教の自由(個人の信教の自由)を保障する規定を設ける一方、
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(同条一項後段)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(同条三項)とし、
更に「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため......これを支出し、又はその利用に供してはならない。」(八九条)として、
いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けている。

元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、
信教の自由そのものを直接保障するものではなく、
国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。

そして、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、
国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、
国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、

宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、
そのかかわり合いが、
我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、
信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に
これを許さないとするものと解すべきである。

右政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、
およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、
そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、
当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであり、
ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては、
当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に従ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、
当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならないものである(最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁、同昭和五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁)。

右の見地に立って、本件をみるのに、前記の事実関係及び原審の適法に確定したその余の事実関係に
よれば、
(1) 旧忠魂碑は、地元の人々が郷土出身の戦没者の慰霊、顕彰のために設けたもので、
元来、戦没者記念碑的な性格のものであり、
本件移設・再建後の本件忠魂碑も同様の性格を有するとみられるものであって、
その碑前で、戦没者の慰霊、追悼のための慰霊祭が、毎年一回、市遺族会の下部組織である地区遺族会主催の下に神式、仏式隔年交替で行われているが、
本件忠魂碑と神道等の特定の宗教とのかかわりは、
少なくとも戦後においては希薄であり、本件忠魂碑を靖国神社又は護国神社の分身(いわゆる「村の靖国」)とみることはできないこと、
(2) 本件忠魂碑を所有し、これを維持管理している市遺族会は、
箕面市内に居住する戦没者遺族を会員とし、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的として設立され活動している団体であって、
宗教的活動をすることを本来の目的とする団体ではないこと、
(3)旧忠魂碑は、戦後の一時期、その碑石部分が地中に埋められたことがあったが、
大正五年に分会が箕面村の承諾を得て公有地上に設置して以来、右公有地上に存続してきたものであって、
箕面市がした本件移設再建等の行為は、
右公有地に隣接する箕面小学校における児童数の増加、校舎の老朽化等により校舎の建替え等を行うことが急務となり、そのために右公有地を学校敷地に編入する必要が生じ、旧忠魂碑を他の場所に移設せざるを得なくなったことから、
市遺族会との交渉の結果に基づき、箕面市土地開発公社から本件土地を買い受け、従前と同様、本件敷地を代替地として市遺族会に対し無償貸与し、右敷地上に移設、再建したにすぎないものであることが明らかである。
これらの諸点にかんがみると、
箕面市が旧忠魂碑ないし本件忠魂碑に関してした次の各行為、
すなわち、旧忠魂碑を本件敷地上に移設、再建するため右公社から本件土地を代替地として買い受けた行為(本件売買)、旧忠魂碑を本件敷地上に移設、再建した行為(本件移設・再建)、市遺族会に対し、本件忠魂碑の敷地として本件敷地を無償貸与した行為(本件貸与)は、
いずれも、その目的は、小学校の校舎の建替え等のため、公有地上に存する戦没者記念碑的な性格を有する施設を他の場所に移設し、その敷地を学校用地として利用することを主眼とするものであり、
そのための方策として、右施設を維持管理する市遺族会に対し、右施設の移設場所として代替地を取得して、従来どおり、これを右施設の敷地等として無償で提供し、右施設の移設、再建を行ったものであって、専ら世俗的なものと認められ、
その効果も、特定の宗教を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない。
したがって、箕面市の右各行為は、宗教とのかかわり合いの程度が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、
憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。

また、所論は、箕面市の右各行為は憲法二〇条一項後段、八九条にも違反する旨主張するが、
箕面市の右各行為が憲法の政教分離規定の基礎となる政教分離原則に違反するものでないことは、右に述べたとおりであり、
また、本件忠魂碑を所有し、これを維持管理している市遺族会は、憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」、八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」のいずれにも該当しないと解すべきことは、
後述のとおりであるから、
箕面市の右各行為は憲法の右各規定に違反するものとはいえず、右違憲の主張も理由がない。
以上の点は、前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかというべきである。
右と同趣旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に、所論の違憲、違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。


同第一点(右に判断した点を除く。)、第七点ないし第九点について
憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」とは、
宗教と何らかのかかわり合いのある行為を行っている組織ないし団体のすべてを意味するものではなく、
国家が当該組織ないし団体に対し特権を付与したり、また、当該組織ないし団体の使用、便益若しくは維持のため、公金その他の公の財産を支出し又はその利用に供したりすることが、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になり、憲法上の政教分離原則に反すると解されるものをいうのであり、
換言すると、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指すものと解するのが相当である。
このことは、前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。

本件についてこれをみるのに、所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、
右事実及び原審が適法に確定したその余の事実関係によれば、財団法人日本遺族会及びその支部である市遺族会、地区遺族会は、いずれも、戦没者遺族の相互扶助・福祉向上と英霊の顕彰を主たる目的として設立され活動している団体であって、
その事業の一つである英霊顕彰事業として、政府主催の遺骨収集、外地戦跡の慰霊巡拝、全国戦没者追悼式等への参加、協力などの活動のほか、神式又は仏式による慰霊祭の挙行、靖国神社の参拝等の宗教的色彩を帯びた行事をも実施し、靖国神社国家護持の推進運動にも参画しているが、
右行事の実施及び右運動への参画は、
会の本来の目的として、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行おうとするものではなく、その会員が戦没者の遺族であることにかんがみ、戦没者の慰霊、追悼、顕彰のための右行事等を行うことが、会員の要望に沿うものであるとして行われていることが明らかである。

これらの諸点を考慮すると、財団法人日本遺族会及びその支部である市遺族会、地区遺族会は、
いずれも、特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体には該当しないものというべきであって、
憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」に該当しないものと解するのが相当である。
これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違憲、違法はない。
論旨は、いずれも採用することができない。


同第五点及び第六点について
原判決に所論の違法はなく、論旨は、いずれも採用することができない。

同第一一点、第一二点及び第二八点について
一 本件各慰霊祭について、原審の適法に確定した事実関係の大要は、次のとおりである。

二 被上告人Dが本件各慰霊祭に参列した行為が、憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規
定に反するものであるか否かをみるのに、右事実関係及び原審が適法に確定したその余の事実関係によれば、
(1) 旧忠魂碑は、地元の人々が郷土出身の戦没者の慰霊、顕彰のために設けたものであり、
元来、戦没者記念碑的な性格のものであって、本件移設・再建後の本件忠魂碑も同様の性格を有するとみられるものであること、
(2) 本件各慰霊祭を挙行した市遺族会の下部組織である地区遺族会は、
箕面地区に居住する戦没者遺族を会員とする団体であって、
特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする団体ではないこと、
(3) 本件各慰霊祭への被上告人Dの参列は、
地元において重要な公職にある者の社会的儀礼として、
地区遺族会が主催する地元の戦没者の慰霊、追悼のための宗教的行事に際し、
戦没者やその遺族に対して弔意、哀悼の意を表する目的で行われたものであることが明らかである。

これらの諸点にかんがみると、被上告人Dの本件各慰霊祭への参列は、
その目的は、地元の戦没者の慰霊、追悼のための宗教的行事に際し、
戦没者遺族に対する社会的儀礼を尽くすという、専ら世俗的なものであり、
その効果も、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為とは認められない。
したがって、被上告人Dの本件各慰霊祭への参列は、
宗教とのかかわり合いの程度が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、
憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。

以上の点は、前掲各大法廷判決の趣旨に徴して明らかというべきである。
これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違憲、違法はない。

さらに、所論は、被上告人Dが本件各慰霊祭に参列した行為が憲法二〇条二項に違反するものであり、同人に対する右参列に要した時間に相当する分の給与の支給は違法である旨主張するが、
右規定は、狭義の信教の自由を直接保障する規定であり、
同人の信教の自由の侵害に関する事実は原審において認定されていないから、
右違憲の主張は、その前提を欠く。

また、同人に対する右参列に要した時間に相当する分の給与の支給を適法とした原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。
論旨は、いずれも採用することができない。


同第一三点ないし第二一点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の各判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、いずれも採用することができない。

同第二二点について
:省略。

同第二三点について
:省略。

同第二四点ないし第二七点、第二九点、第三一点ないし第三四点について
:省略。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官園部逸夫の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。

最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 貞 家 克 己
裁判官 坂 上 壽 夫
裁判官 園 部 逸 夫
裁判官 佐 藤 庄 市 郎
裁判官 可 部 恒 雄