第111話
「さて、皆さん。乾杯の準備はよろしいでしょうか?」
ホテルの食堂のステージ上には金銀のモールがたわわに飾られ、そして真ん中にはくす玉が飾られている。
「おいおい、急に何の祝い事なんだ?」
一年生男子はじめ、オケの大多数の面々は首をかしげる。
こずえちゃんがマイクを握る。オケでは今晩、緊急の立食パーティー。
「さて、今宵のパーティー、バイキング形式になっておりますが、何か食べたいものがあれば具材的に言ってください。ホテルの厨房で何とかしてもらいます」
「あと、大多数がビールだとは思いますが、民主主義に則り、数少ない焼酎派の意見も承ります」
ププっと笑いがもれる。
「そうそう、あと、カラオケ大会があります!」
「飲めや歌えや、深夜まで、夢の股胸!」
ハミデこと尾崎くんがこずえちゃんに質問する。
「こずえちゃ~ん。段取りの説明はいいからさ、まずさ、これ何のパーティーなの? 教えてよ」
「実は、私の性で、一人の男の人の人生を狂わせてしまったんです……」
「キスマークが引き起こした悲劇とでも申しましょうか。いえ、喜劇……」
「正先輩がこの合宿に戻ってこられなくなりました」
「え~っ?」
隆と水野はじめ、何人かが驚きの声をあげる。
合宿係で全てを掌握しているみどりちゃん、紀香ちゃん、夕子ちゃんは、哀しそうな眼差しで首をもたれたまま。
「ほらほら、しんみりしない!」
「正先輩に関しては、さよなら参加資格、また来て失格。そういう運命だったんです」
「何があったぁ~?」
水野が心配そうにこずえちゃんに聞く。
「私と正先輩の馴れ初めですか?」
「あれっ? 慣れハメの方? いやだ、いやらしい……」
「違う違う。なぜ正が合宿に戻ってこれないのかって?」
「わかりました。カニつまんで話しましょう」
「正先輩は実は立場無しが長いんです。一応車の運転の経験はあおりのようです」
「つまみすぎ。今さら正の基本情報を聞いてどうする」
「正先輩、優しい人なんですけど厳しい面もあって、こずえに、スキン買っては許さない、とか……」
「わかった、わかった。じゃあ聞くよ、こずえちゃんと正の馴れ初めって何だったんだよ?」
水野は仕方なく、まずこずえちゃんの話したいこと、全部話させることにした。
「馴れ初め。そう、太めがあったその日から、好きになってしまった正先輩」
「それから毎日、正先輩のこと日常の中でフトン思う瞬間が多くなって……」
「ああ、一目惚れね」
「でも正直言って、正は女の子に一目惚れさせるようなタマじゃないぞ」
「だから、タマじゃなくて、太めがあって……」
「違う違う。いや……、いいからいいから。先に進めて」
「はい」
「一目惚れをするのにはテクニックがあります」
「一目惚れする? させるテクニックじゃなくて?」
「はい」
「八つのポイントがございます」
「八つも?」
「はい。一目惚れは縁起物、七転び八起きと申しまして……」
「それ、違うでしょ? まあいい、何だったの正とは」
「一つめとしてドラマティックな出会いを演出しました」
「私がキャンパスで愛犬ペルを散歩させていて、意図的に正先輩の目の前に立ち止まり、あら? 猫糞踏んじゃった、と言ったあと、ペル!、チンチン! お触り! とできるまで唱えました」
「ペルのチン……んん、は立ったのですが、お触りができずにいて叱っていると人が集まってきて……。そしたら正先輩が、全く、ひとさわらせな女だなって声をかけてくれて」
「そうやって気をひくことに成功しました」
「あのさ、学内、犬の散歩禁止じゃない?」
「いいんです。印象づけができれば肉親でも使います」
「あそこで勃っているのがうちの兄です、何ていうのも手としてありでした」
「はいはい……」
水野は呆れる。
「二つ目は、初対面でも会話をせざるを得ない状況を作りました」
「何をしたの? こずえちゃん」
今度は紀香ちゃんと夕子ちゃんがこずえちゃんに問いかける。
「正先輩の授業に紛れ込みました。そして隣にちょこんと座り、正先輩、少し汗ばんでますね。はだかざわりのいいタオル、どうぞ、と」
「そうしたら、ありがとう。めちゃ毛があって、欲で来た女だね、って!」
「三つ目は、目があったら必ず見つめる。四つ目は、できるだけ接近です」
「こずえその後、思い切って離れてみる、みたいなアドリブも入れたんです!」
「はいはい。仕方がないから聞こう」
隆も水野も、とにかく正の近況が聞きたい。でも、ここはまず、こずえちゃんに付き合うしかない。
「確実に一目惚れするには瞳の魔力です。目があったら必ず相手をじっと見つめること。瞳の奥を穴があくほど覗き込むように」
「こずえ、男あさりな性格なので、これめっちゃ得意なんです!」
「効きますよぉ~。大抵の男はこれで落ちます」
「こずえちゃんにじっと見つめられたら……。確かに勘違いしてでも落ちるよな……」
こずえちゃんファンの太田くんがポツンと呟く。
「正先輩からも穴があくほどほどそれされて……、こずえ……、パックリと穴が開いてしまいました……」
「それな〜。放送禁止」
水野が一応釘をさす。
「さて、確実に一目惚れさせるため、オケでの飲み会、練習、残尿、じゃなかった残業練習など接近できる機会はフルに使います」
「押して押して、押しまくります」
「ただ、ここで注意です」
隆と水野が息を飲む。
「女は上手くいったと思いきや、グイグイ相手に近づき自分をどんどん売ろうとします。これがしつこい女、調子のいい女ととられて嫌がられてしまう原因にもなりかねません」
「相手の心が引く前に、こちらから引く手あまたな状況を作り出します」
「こずえちゃん。その引く手あまたって言葉の使い方、違かない?」
「まあ、話を聞いてください」
「正先輩とは話したんです。私達、もう泡ないほうがいいと思うの……」
「そういうと、石けん知らずだなぁお前。マゾめに考えてみろよ。先輩と交配の関係だろ? 考えが、まっ、泊まらないの? って」
「そんな話しになるわけないでしょ……」
親友とはいえ、夕子ちゃんがため息まじりに横槍を入れる。
「男には心の縛りと肉体の寸止めが大事です。そうすれば、どんどん愛の持続力が強く長くなっていき、女からは離れられなくなっていきます。そして、アノ快楽もより深いものへと」
「はいはい」
紀香ちゃんもため息ひとつ。
「五つ目はどこか1点でも、印象に残るポイントを残すこと」
「まだ五つ目かよ。こずえちゃん。もういいでしょ。あのさ、正、ホントどうしたの?」
水野がシビレを切らす。
こずえちゃんは水野を無視して話を進める。
「紀香ちゃんや夕子ちゃんと私ことこずえ、新歓合宿のとき、男の子の印象に残ってもらうため影で必死に努力していたんです」
「紀香ちゃんは、私、化粧なおししてくる、といいました」
「夕子ちゃんも、化粧なおししてくる、と」
「こずえは、私、化粧まわししてくる」
「そうやって正先輩には、新歓の四股入りで股間から瞳を逸らさないようにしたのですが、無理でした」
「もういい。もういい」
「こずえちゃん。ホント、正に何があった?」
こずえちゃんは、しなやかに胸ポケットからそっと一枚のカードらしきものを取り出す。
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「すまないね、恵ちゃん」
「正くん、大丈夫?」
助手の有田先生が恵ちゃんと電話連絡。
「今病院にいます。正くんが電車で知り合った名聖大の女子大生のお父様の病院です」
「血液検査やレントゲン、腹部エコーの結果から間違いなく盲腸、急性虫垂炎だそうです。本人もかなり痛がっています」
「他に変わったことは?」
「あと、右首筋にうっすらとピンク色の虫刺され跡みたいなものが残ってます」
「でも、そこは痛くもかゆくもないそうです」
「それはよかった。ところで、これからの治療の方、どうなるの?」
「病院の先生のお話では、2、3日抗生物質を投与して安静にし、食事制限をして様子を見てとのことです」
「どう? 色素研究会の方は出られそう?」
「それが……」
「入院?」
「はい。まず抗生物質の点滴で一晩様子をみて,翌日,翌々日の状態で手術するかどうか判断するそうです」
「ほとんどの場合、抗生物質で症状が軽減するらしいのですが、悪化時は緊急手術になることもあるらしくて……」
「病態の経過次第です」
「痛みがあまりに強く続くようなら、いつ外科的治療を行ってもおかしくないそうです」
「困ったね……」
「はい。困りました」
「恵ちゃんは予定通り色素研究会に参加してね。ただ、その間正くん、どうしよう?」
「なんだか、知りあった名聖大生の娘さんが、2、3日であれば付き添っていただけるそうで、お言葉に甘えようと思いまして……」
「そうだね、いた仕方ない。そうしてもらおう。それはそうと、志賀高原で合宿中のオーケーストラへの連絡は?」
「正くんが保険証を持参していなかったらしく、自分で送ってもらうよう連絡を入れたようですが、そうしたら……」
「そしたら?」
「合宿担当者から保険証の譲渡条件を提示されたみたいで……」
「譲渡条件? 保険証でしょ? 自分の」
「はい……」
「?」
「これからの定演までの練習スケジュールを連ねたチケット綴りの写しが来て、これからの練習を絶対サボれないような内容になっているらしく……」
「仕方ないじゃない。自分でまいた種だし」
有田先生の声は恵ちゃんに意外に冷たく響く。
「はい。担当者の方からも、仕方がないじゃない。自分でまいた子種だし、と連絡があったようで」
「とにかく、練習チケットだけなら良いのですが、クーポンという形式で10枚ほど寸止めレッスンという綴りがあるらしく、それが痛みに苦しんでいる正くんには肺活量強化のための息止め練習かと思い快諾したみたいで……」
「腹部の痛みでもがき苦しんでいるので、なんでもいいから保険証と唸っていて……」
「まあ、オケの方はなんでもいいから正くんの方はよろしく頼むよ」
「はい」
「問題は、正くんがする予定だった英語プレゼンをどうするかだよ……」
「Abstractも配布済みだし、同業研究者からの注目度がとても高いんだ」
「あのぅ……」
「何? 恵ちゃん」
「私でよければ、代役いたしましょうか?」
「いやいや。それはいい。自分の発表だけに集中して」
「恵ちゃんの発表テーマも注目度大なんだから」
「義雄くんに行かせるか……」
「義雄くんですか?」
「ああ。研究室の中では彼がいちばん発表原稿を読みこんでいるんだよ。今一番のピンチヒッターかもしれない。ただ……」
「ただ?」
「正くんのような流暢な身振り手振りを交えたプレゼンはできないと思う。最初から最後まで原稿の棒読みになると思う。でも、もうそれでも構わないと思う。発表のうまい下手で研究の価値は下がることはない内容だから」
「ところで、義雄くん、間に合います? 発表、明日の午前中ですよ?」
「朝一のJR東海道本線で東京駅から熱海、熱海から豊橋。豊橋から名鉄名古屋で名鉄名古屋に行ってもらおうと思う」
「発表時間は到着にあわせて変更してもらう。緊急事態だからね」
「新幹線でくるんじゃないんですか?」
「研究室の台所事情が厳しくてね……」
「この経路だと、新幹線の半額で行けるから」
「仕方、ないですか……」
「ああ。仕方ない」
「車中の6時間半で原稿を頭に焼き付けることができるだろうから、かえっていいと思うよ」
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「ジャカジャ~ん!」
こずえちゃんがくす玉の紐を引く準備。
「さて、こずえがこれから5秒数えます。そうしたらくす玉を割ります」
「いいですか? みんなで一緒にカウントダウ~ン!」
「5・4・3・2・1!」
こずえちゃんがみんなのカウントダウンの声を無視して、一人で勝手に数えてくす玉割り。
「こずえちゃん、それ、数え方が早くて1秒半くらいしか経っていないわよ。全く……」
このパーティーに乗り気じゃないみどりちゃんがため息をつく。
金銀、赤黄の紙吹雪とともに現れた垂れ幕。
「正先輩、病気祝いな……」
「えっ? 病気祝い?」
「なんだそれ?」
水野がこずえちゃんに問いかける。
「実は正先輩、盲腸になりましたぁ~!」
「それで祝い?」
「はい。何か変でしょうか?」
「あのさ、こずえちゃん。大抵のことは大目に見てあげてる。でもさ、盲腸、病で苦しんでいる正への病気祝いというのはちょっといただけないな」
隆が辛口の叱咤。
「隆先輩、水野先輩、よ~く見てください。病気祝いではなく、病気呪いと書いてあるんです」
水野が垂れ幕に近寄ってみる。
「あっ! ホントだ」
確かに、病気祝いではなく、病気呪いと書いてある。
「邪気払いです。こういう時は病気が治って、また楽しい日常が戻って来た時の正先輩を想像してひたすら明るく飲み食いしましょう!」
「あのさ……、だから今は違うだろ。どこでそういう発想になる?」
こずえちゃんは無視。
「それではこずえからのテンション上がりまくる、正先輩への応援ソング、まいりま~す」
「レベッカ、フレ~ンズ! 正先輩への応援歌で~す!」
ホテルスタッフがビールの栓を一斉に抜く音とともに、レベッカのフレンズのイントロが食堂に鳴り響く。
こずえちゃんが赤いカチューシャをつけ、涙を模すように紫のラメのアイシャドーを瞳からほおに散らして付ける。
「キスマークを、つけた日~には~」
「豚の顔、さえも~牛に見えた~」
「こずえちゃん。どこが悲しい?」
隆がつぶやく。
「楽しく盛り上がっているじゃん」
水野も同意。
「ポケ~ットの、ゴムあつ~め~て~」
「一つづつ、夜に~、はめていったね~」
「何の応援歌?」
「ほ〜ら、あれが勝負の、す〜んだ〜下着〜、おぉ〜!」
「ど~こで~、でちゃったのた~だし~!」
「なえる日には~、見つめあ~って~」
「ゆ~びを、からめ~たら、お~だし~」
「寸でと~めた〜、でかした~」
「おいおい。ここでも寸止め、執拗に語る?」
水野が呆れる。
「好き勝手歌ってるな。下ネタじゃん。どこが応援歌だよ。でも、実はこずえちゃんのさみしさの裏返し……?」
「そうそう、ところで正の真の目的である名古屋での予定どうなるんだろうね?」
水野がそういうと、こずえちゃんが満面の笑みを浮かべて、
「恵先輩との夜はなくなりました!」
「これがキスマークの魔法とでも言うのでしょうか」
全然寂しがってない。いや、嬉しがってる。
そしてこずえちゃんが遠い目をする。
「あぁ、あの星空の下誓った二人の思いが届くなんて」
「神様、仏様、お稲荷様」
「あのさ、お稲荷様って何?」
水野の言葉を無視して、こずえちゃんは話を続けようとした矢先、
「こずえちゃん、こずえちゃん」
「何ですか? みどり先輩。毛短にお願いします」
「今確認したら恵さんから連絡入っててね、正先輩の色素研究会の発表の代役、義雄さんになるみたいよ」
「へぇ〜。そうでっか」
「こずえちゃん。冷たくあしらわないで。大切な正先輩の代役でしょ」
「しかも義雄さん、新幹線じゃなく、普通列車で原稿覚えながら名古屋に向かうみたいよ」
「応援しようと思わない?」
「それ、本当かや? とろくせゃあ。おみゃ〜、男なら新幹線げな」
こずえちゃんは、急に名古屋弁。
「あら、どうして新幹線?」
みどりちゃんが尋ねる。
「よ〜け、ちんちんエキを飛ばしやりゃあ!」
「たくさん、熱いエキを飛ばしなさい?」
「駅を飛ばす、エキを……」
「それ……、ちんちんの使い方違うでしょ……」
みどりちゃんは顔を赤く染めうつむく。
こずえちゃんがにんまり。
「じゃあ、聞きますけどみどり先輩。ちんちんってどう使えばいいんですか?」