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アニメ批評

日本のアニメを考えます。

 思いの外、特定するのに時間がかかってしまいました。
個人的な推測では

A国=トルコ B国=ギリシャ

ですね。トルコにUCAVを売れば、伝統的に対立関係にあるギリシャがおもしろいはずがありません。それに対抗するために、やはりUCAVの導入を決定します。トルコへの米国製プレデターの導入は、アルメニア人の虐殺で両国関係が冷却しているフランスにとっておもしろいはずはありません。むしろトルコという市場を失ったEAE社は、挽回するべくギリシャに売り込みをはかり、それがほぼ成功しつつあったということでしょう。
 これに対して、ココは、ドイツ・スペインにも米国製のプレデターを売り込み、フランスを孤立化させ、さらにEAE社に敵対的TOBを仕掛けることで、企業そのものを消滅させようとしたわけですね。
 実はフランスは、無人偵察機の開発には非常に熱心なのです。湾岸戦争以降、軍事情報部DRMを創設したほどです。米英のエシュロンに対抗して、フランス国内と海外領土などの周辺各国に同様の無線傍受組織を持っています。無線傍受はDGSEの担当なので、そんな台詞も少しでていました。
 おそらくはEAE社も元フランス国営企業だったと推測されるので、元国営企業に対するココの批判的言動につながっているのだと思います。
 アルメニア人の問題があるとはいえ、トルコはフランスにとってよい武器市場であることには違いがありません。中東諸国は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの軍需産業にとってのよい市場なのです。

 もうあと何十年かすれば、「ニャル子」は三世代で見ることができるアニメになると思うのです。
 もうその頃にはおじいさんになっている現在の中年の皆さんが、「まっしぐらに堕ちてデザイヤ」で中森明菜を絶唱し始め、それを見ていて、やはりおっさんいなった息子が、父親譲りのうんちくを息子に伝える、そんな構図が目に浮かびます。
 音楽に話を限っても、「マジで恋する五秒前」といえば、広末涼子ですが、この曲を作曲したのは、山下達郎の嫁である竹内まりやです。竹内まりやといえば、不思議なピーチパイ、元気を出して、シングル・アゲインなどもありますが、やはりとどめは「告白」でしょう。
 邪神knowsも、元ネタはGod knowsで、「涼宮ハルヒの憂鬱」12話でのライブシーンがあまりにも有名ですね。
 「ロマンスの邪神様」も、元ネタは広瀬香美の「ロマンスの神様」で、スキーのシーズンになるとかかりまくっていた有名な曲ですね。いや、懐かしい。スキーには行きませんでしたが(笑)。たしか、広瀬香美さんの元旦那は大沢たかおさんでしたね。おそろいのカップルのような気がしていたので残念でした。
 あとは音楽ではありませんが、「尾道三部作」も出ていましたね。尾道三部作といえば、「転校生」、「時をかける少女」、「さびしんぼう」ですね。転校生は、小林聡美、時をかける少女は、原田知世、さびしんぼうは、富田靖子が主演でしたね。誰をとっても、それなりに存在感のある女優さんなので、今更ながらに驚いたりします。
 ・・・・
 といったことを、私も語ったりするのでしょうか(笑)
 「ニャル子」の原作者が、意外にお年を召しておられることが確認できました(笑)。
 

 緋色の欠片というのは、次のようなお話です。春日珠紀という高校生が、両親の海外転勤を機に、祖母の家に呼ばれ、一緒に暮らすことになるのですが、祖母の村に呼ばれた本当の目的は、先祖代々続く「玉依姫」の使命として鬼斬丸という刀の封印をすることでした。そこに、珠紀を守る宿命を負った守護者と呼ばれる少年たちが現れ、玉依姫としての使命に目覚めていく、というお話です。
 ここで、地名、といっても聖地というわけではないです。今日は少しとある本の引用をしてみましょう。
「山形県鶴岡市の南部、旧朝日村大網地区に『七五三掛』と書いて、「しめかけ」と呼ぶ小集落がある。(・・・)
 「七五三」という語は、必ずしも目出度いだけの言葉ではない。
 幼児、特に女児が晴れ着を着てお宮参りをする習慣は、日本人独特の麗しい行事ではある。だが、シメ(標、占)とは本来、朝廷・貴族や神社の占有地など神聖な土地に標識をたてて「不浄なものの立ち入り禁止」を示したこと、その土地のことである。
 『万葉集』巻一ー二〇に載る額田王(ぬかたのおおきみ)の、
 あかねさす、紫野行き標野行き、野守は見ずや、君が袖振る

 という歌は、知っている人も多いだろう。シメという言葉は、今の若者向きの表現をすれば、「バリアー(結界)を張る」というのにほぼ等しい。
 この用語に「七五三」の数字を当てるのは、その標識に使う注連縄(しめなわ)の縄を、左縒りにして七筋、五筋、三筋に縒り垂らすことから、義訓文字として使ったもの。先の「七五三詣で」は、幼児の三歳・五歳・七歳の成長の節目に、人生の安全と潔斎を願う行事である。
 したがって、「七五三」の文字面を見て即、「目出度い」とするのは早とちりである。この地名は、過去にもずっと「地滑り危険地帯」と認識されていて、「むやみに開墾の鋤を入れるな」というタブーの地だった。」
 種を明かせば、この本は楠原佑介著「この地名が危ない」幻冬舎新書p.108の引用なのですが、緋色と物語の構造が実によく似ていますね。鬼斬丸の代わりに地殻変動ととらえれば、上で紹介したエピソードとうり二つになります。
 大地の自然霊を鎮める神官とそれを補佐する人間というのは、日本に固有の物語の枠組みなのかもしれません。
 たとえば、昔歴史の授業で「平安時代の貴族にとって、和歌を詠むことが政治だった」という話を聞いた覚えがあるのですが、和歌の本質が言霊であるとすれば、上の話とも十分つじつまが合います。
 まだまだ、この枠組みの物語には可能性があるなあ、と思った次第です。人文地理学による地名の由来を読解できる学者、霊を鎮めることのできる強力な霊能力者、それにその警護をする人間で、日本各地の霊的バランスの崩れたところを補修する。そこに、霊力にあふれた日本の奪取を目指す海外の霊団の関係者が、日本全体に張り巡らされた結界を突き崩そうと陰謀を張り巡らせる。こんな話、だれかライトノベルで書いてみたらどうでしょうねえ(笑)