初川崎大師 | ぴねこんのぷくぷくしてらんない日々

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2017年3月半ばにツレが脳出血で倒れ、ドタバタが始まり
2020年春に自分が糖尿病だということが確定、治療に乗り出しドタバタ中
2023年1月半ば、ツレ父が急に旅立ってしまった日にツレの大腸がん発覚で
去年は年明けから秋口の相続税申告までドタバタしてました~!

記事を途中まで書いていたけれど、アップが遅くなってしまいました~。

 

先月、早朝開園の神代植物園に行った次の日

日曜日に川崎大師へ行ってきました(ってことは先月19日)。

というのも、電車の車内ポスターだったかで10年振りの大開帳奉修というのを見たから。

川崎大師は一度も行ったことがないし、大開帳は5月中というのでビックリマーク

 

 

 
ご開帳のせいか最寄り駅にも飾りがされてました。
 

 
駅からはテクテク徒歩、途中で名物のくず餅のお店が色々あり
ここも亀戸の船橋屋さんと同様、小麦粉を発酵させたタイプのくず餅
くず餅は私にはNGなので買わずに、見つけた麩饅頭をツレとシェアして大満足。
山門近くの仲見世の門、浅草寺の仲見世とはちょっと趣が違う。
 
 
門の両側は飴のお店、朝はまだ包丁でトントコと音をたてて飴を切るデモはしてなかった。
名物の痰切り飴は買わずに、味見しておいしかったきなこ飴をお土産に買って帰った。
 
 
飴のお店と、くず餅のお店に、ダルマのお店、お煎餅のお店が多かったかなぁ。
 
 
川崎大師の門にも、成田山と同じ魚河岸の名前の入った提灯が下げられてました。
 
 
もうちゃんと魚河岸って読める(笑)。
 
 
 
どうせだからと、この柱の紐も握ってきたわ(笑)。
本殿から一本の紐がこの柱と結ばれてる。
 
 

どうも、この御開帳は赤札授与というのが一番の売りだったみたいなんだけれど

待っている人があまりにもたんまりいるし、待っていてももらえないかもというのもあり

信者というのでもなかったので、そこはあっさり知らん顔してきた(笑)。

だって、この赤札、期間中1日に数回ある護摩焚きの後に配られるものらしいのだけれど

毎回配布があるわけじゃないらしいの。

必ずある回はあるのだけれど、あとは運なんだって。

 

御朱印はしっかりゲット!切り絵付きにしてみた(笑)。

ここの御朱印は、そんなに並んでいなかったのと

切り絵付きのは配布だったので、あっさり頂けちゃった。

 

 

 

 

川崎大師は、他にも建物があって境内は結構楽しめました。

 

こんな塔もあって、内部を見学できるようになってました。

せっかく開いていたので見てきたけれど、外は見れないしでどうってことはなかった(笑)。

 

 

 
こちらは鐘楼、本日は御開帳期間中ってことでなのか
露店があってシートやら色々置かれてる。
 

 
こちらは不動明王、ここの御朱印はかなり待たされました。
 

 
途中、護摩焚きに向かう川崎大師で一番偉い方の行列に遭遇。
塔を下りてきたら、係員さんが教えてくれの(*´艸`*)。
 
 
 
池の向こうに観音殿
 

 
赤い橋を渡った向こうに、全国の観音様のいらっしゃるお寺のパネルが飾られてました。
ちらほら知っているお寺や、訪れたことがあるお寺の名前があって見ていて楽しい。
 

 

 
インド様式?な観音殿、比較的新し目の建物だってこともあるけれど、インパクトある建物。
 

 
赤札を求めて並んでいる人の列
 

 
境内の中に、北の湖関の銅像があり、なんで?と思ったら檀徒さんだったらしい。
 
 

 

 
他にも瓢箪の形の「施茶翁塚」の石碑があり、茶筅供養の碑なのかなぁと思ったけれど
それらしい字はなく、「施茶:なので施茶とはなんぞや?と思って調べたら
「施茶」は社寺で神仏に茶を供した後、僧侶や一般庶民に施したお茶の事で
いわゆる、公の場で供せられたお茶ってことらしい。
この石碑、形も瓢箪だけれど、台座も瓢箪、水入れも瓢箪という瓢箪尽くしの石碑。
 
川崎大師のサイトによると
「当時の江戸の医者、羽佐間宗玄は、俗世をのがれて芝愛宕町に閑居し、雅号を瓢仙と称し、つねにふくべを愛蔵し、人に抹茶をたてるのが楽しみで施茶翁、と称されたという。
「地獄いや極楽とても望みなし又、六道の辻で施茶翁」但し、塚といっても、供養されたものは、茶筅や、瓢などである。」
ということでした。
 
 

帰りの川崎駅までの足は、バスにしてみた。

そろそろ駅だなって所でバス停に、川崎駅行きのバスが居たので飛び乗ってしまった(笑)。