先日、ある英語の先生が音素認識の研究についての記事を Facebookで紹介されていました。
その記事によると、音素認識の活動はあまり意味がなく、文字を介して「音」を認識させた方が効果があるという研究結果を記したものでした。
そしてこの投稿に対して、多くの先生がそれにコメントをされていました。
この記事のキーとなる単語はおそらく"overemphasis"(過度の強調)でしょう。
何事もやりすぎは良くない。
音素認識にしてもフォニックスにしてもそれ自体が英語学習の目的になってしまっては本末転倒です。
そしてその重要性がむやみに強調されるべきではないと思います。
どちらも言語能力を高めていくための手段であって目的ではないはずです。
そして先生はご自分の生徒さんの得手不得手を一番よく知っている存在です。
生徒ひとりひとりがよりよく英語を学べるようにどのような方法がその子に合っているのかを見極めていく力が必要です。
それには先生が様々な指導方法を知っている必要があります。
音素認識もフォニックスもそのうちのひとつと捉えるべきでしょう。(ただ、個人的には音素認識の活動やフォニックスは音声言語と文字言語を繋ぐ重要な役割をするものだと思っています。)
フォニックスは近年、日本でもかなり知られるようになってきて、多くの先生方がフォニックスを使って読み書きを教えられるようになってきましたし、保護者の方もご存じの方が増えてきました。
読み書き指導、そして日本の子どもたちにとっては発音指導の要素もあり、フォニックスは今や英語学習の目玉商品となりつつあります。
しかし、フォニックスは決して魔法の指導法ではありません。
「音」と「文字」を関連付けるのが苦手な子、そもそも「文字」を覚えることが苦手な子、「音」を繋げて発話するのが難しい子、書くことが苦手な子、本当に様々な子がいる中、このような子どもたちは時としてフォニックスを使っての読み書きを困難に感じている場合もあるのです。
また、日本の子どもたちにとって英語は外国語です。
英語の「音」は日本語のそれとはまったく異なるし、「文字」もそうです。
全くなじみのない「音」と「文字」をいきなり同時に学ぶのは、子どもによってはかなり負担が大きい場合もあります。
そんな場合には、やはり「音」と「文字」を切り離して、最初に「音」に触れさせ、その後「文字」を導入する方が良いこともあるのです。
この記事が書かれたアメリカとは状況が異なることも念頭に入れておくべきでしょう。
また、フォニックスを学ぶ前に音素認識が必要だという考えは最近日本の英語教育者の間でも広まってきていますが、ただむやみに英語圏の指導法を日本の子どもたちにそのまま適用するのには注意が必要だと思います。
加えて、様々な研究論文や文献、記事などを読むときには、クリティカル・シンキングが必要だということも念頭に入れておくべきですね。
書かれていることを鵜呑みにせず、様々な方向から検証し、自分の経験も絡めて自分なりの意見を持つことも必要なのではないでしょうか。