言語には「意味」「音声」「文字」の3つの構成要素があります。

 

「意味」はまさにこの世に存在する生物、物質、事象すべてです。その物の形や大きさ、質感、あるいは動きや特徴などすべてに意味が存在します。

 

「音声」は、「声」によってそれぞれの意味を表現することです。「声(音声)」によって様々な物事を表現するようになった人類は「ことば」を持つようになったのですね。(音声言語)

 

そして「文字」は、「声(音声)」によって表現されるものを記号で表したものです。この記号が「文字」ですね。(文字言語)

 

この音声言語と文字言語は人類史上どちらが古い歴史を持っているでしょうか?

 

言わずもがな、音声言語ですよね。

 

また、音声言語は地球上のほぼすべての地域に存在しますが、文字言語は存在しない地域もあります。

 

逆に、文字言語は持つが音声言語は持たないという地域は存在しません。

 

私たち日本人は当たり前のように文字を使っているので、文字がないなんて考えられないかもしれませんが、実は「文字」の歴史は音声言語に比べてずっとずっと新しいのです。

 

また、研究者の中には、「音声言語(特に母語)はいわゆる人間の本能の中に組み込まれ、自然に体得されるものだが、文字言語は学習によってしか獲得されない。」という人もいます。

 

さて、私たちが母語以外の言葉(外国語)を学ぶときのことを考えてみましょう。

 

いきなり文字言語の世界に入ってはいないでしょうか?

 

目で「文字」を見て「意味」を解釈する、というように、「音声」を介在させないで言語を身に付けようとしていないでしょうか?(単語の意味はわかるが発音できない、目で見るとわかるが耳で聞くと何の単語かわからないという中高生、けっこう多いですよね。)

 

「音声」は言語の非常に重要な要素です。これを省いては習得できるものではありません。

 

まず音声言語の世界をたっぷり味わい、その後に文字言語の世界に入っていくのが言語習得の自然の流れでしょう。

 

そして、音声言語の世界と文字言語の世界をつないでくれるのが、音韻認識活動とフォニックスなのだと個人的に思っています。

 

「音韻認識活動」はその言語の「音の成り立ち」に気づくこと。

 

そして、フォニックスはその言語の「音の成り立ち」を「文字」につなげていくこと。

 

この二つを省いて、いきなり「音声言語」の世界から「文字言語」の世界に飛び込んでいくのは、かなりタスクが高いでしょうね。

 

まして、「音声言語」をすっ飛ばしていきなり「文字言語」をベースとした文法や読解などの学習をさせるのは、根っこのない木を育てているようなものです。

 

先日、ある小学4年生が見せてくれた学習塾の英語のワークブック。

 

Be動詞、一般動詞、3人称単数などといった日本語の文法用語を使用した説明に加え、「次の日本文を英語になおして書きましょう。」という問題。

 

ああ、これでは本当の英語の力がつくわけがない。使える英語に育っていくわけがない。

 

ちょっと悲しくなった体験でした。