おとといのNHKテレビで『消えた高齢者 ― "無縁社会"の闇』というのをやっていたので、見た。多くの人々がお金はともかく心の面で、ニヒリズムの極致ともいうべき虚しさに直面しているのだな、と思って重苦しい気持ちになった。
良い番組だったと思う。しかし、世の中ではどういう人々がどういう対策をこの問題に向けて打っているのか、考えると、ますます気持ちが沈んだ。
右翼も左翼も、「大変だ大変だ」というばかりで、何もしない連中が多すぎるのである。それどころか、こういう問題をただ言葉だけで論じ、その論述の思想的な凄さを誇るだけで事足れり、と考えている連中すら少なからずいるように見える。
学者や評論家や新聞の論説委員などの恵まれた地位にある者は、すすんで自分が音頭をとって、救貧院的な施設の設立でも進めたらどうなのだろうか。
特に忌まわしいのは仏教寺院である。何が宗教か。弱者の味方か。欧米のキリスト教圏では、無資格で入れる無料の宿泊施設などざらにあるのである。何の身分証明書も、コイン一枚すらなくても、飢え死になど絶対にせずに済む、それこそが進歩した社会、人間味のある社会というものなのである。
仏教寺院でそういうことをしているところがあるのだろうか。ないだろう。たいていの坊主どもは、態度だけえらそうな感じで目の前の生活に汲々とし、檀家の人の心をつかむことにすら失敗している有様ではないだろうか。そのくせ世の中の問題に心を痛めているフリをするのだけは上手い。
そういう連中は、慨嘆産業に従事する者たちである。困った社会問題を、ただ嘆いて見せるだけで、お金をがっぽり(でもないかもしれないが)稼ぐだけの外道だからである。慨嘆産業。この言葉を私は、「石炭産業」とかに響きが似ているから気に入って自分で使っている。日本社会のすべてがイヤというわけではないが、こういうヤツらは特に醜悪で、宇宙追放刑に処してもいいくらいだ。
日本は寅さん映画に描かれたような人情味あふれる社会、すごい製品を続々と生み出している超進歩社会だ、などという連中は嘘をついているのだということがわかる。日本は、まれにみるほど同胞に冷淡な社会だし、サービス残業という悪弊を改める必要すら感じない鈍感な鬼どもが支配する社会だといっていいのだろう。
これは恐らく実は、日本人は自分のことが大嫌いだ、ということから来ているのだろうと思っている。その証拠は、アニメだ。日本人は自分たちの顔をスクリーンでまで見たくないんですよ、と言った村上龍や宮崎駿は正しいことを言ったのである。私たちは、同族嫌悪の民。しかも、弱くて困っている者ほど助けず、ほったらかしにしておくことを好む。お互いが心の底で「こんなやつ、死ねばいいのに!」と思っている。そんな心当たりはないだろうか。
書いていたら気分がますます悪くなってきた。救いは、こんな文章を読む奇特な人など誰もいないということである。
もちろん私もそんな立派な人間ではなく、ちっぽけな群小庶民の一人にすぎず、こんなことを書く資格は本当はないのだから、誰かに読んでもらうなどおこがましいのである。
でも、近くに本当に困っている人がいたら、私なら声くらいはかけるかなア・・・。さ、考えていてもしょうがないし、一年に3本以上もブログの記事を書くなんて書きすぎなのだから、走って汗を流し、パートナーに好かれる体型キープに励むとしようか。