その後、世の中は変な疫病で大変だったみたいですね。ぼくは関係なかったけど。


ここを忘れていたわけじゃない。でも休むのが気持ち良すぎた。


そこへストーンズの新譜が出るというニュース。彼らに先を越されるわけにはいかない。あわてて一言、書いておくことにしたよ。


これから世界はどうなるんだろう…。な〜んて心配してる人がいそう。大丈夫なのにね。


すべての時代はその後の時代に比べれば牧歌的なんだ。2030年代は今なんか目じゃないくらいハードだよ。


でも2040年代はそれをはるかに超えてハードになる。ずっとその連続さ。


結果、どの世代も「昔は良かったねえ」と言い続けることになる。つまり、悪い時代など存在しない。


なんとかなるもんなんだよ。ネコであるぼくの目から見ると人間の適応力は変化欲求とうまく対応してる。適応できない変化など、人は起こしたことないし、起こせないんだと思うよ。


現に80歳のミック・ジャガーがステージで華麗に動き回っても、変に思う人はそんなにいないはず。昔の年齢感覚からすれば考えられなかったことでしょ。彼はあと5年くらいは現役だよ。ストーンズの新譜もあと最低一回は出るだろう。


彼らが引退しても大丈夫。ぼくがいる。ずっと見ていてあげるから、安心してどんどん変化するといい。AIやゲノム編集の技術などと共に。


ついていけなくなったらこっちに来ればいいんだから、安全装置つきの綱渡りみたいなもんさ。呑気でいいねえ。


ま、ぼくはもっと呑気なんだけど…。とにかく存在を満喫しようや。


じゃ、また書きたくなったら書くよ。元気でね。

久しぶりの書き込みになると思う。もちろんこのブログはやめてなかった。ただ、休みたくしかない状態が続いていただけ。ちょっと色んなことがあったからね。

 

愛読者(主に巡回ロボットさん)の人は、いつ更新されるのか。ローリング・ストーンズの『ビガー・バン』に続くオリジナルの新作とどっちが早いのか。な〜んて思っていたわけがないね。有機体ですらないんだから。

 

でも高度の自意識さえもった有機体の身の上には、そりゃあ色々なことが起こるのさ…。僕はたくさんの国に出かけたりしたよ…。飼われてあげる相手も転々としたしね。

 

今はひとりでぼっち充を満喫してる。最高だね。ネコの狭い書斎の中にも万有あり、宇宙ありさ。羨ましがる必要なんてない。君も今すぐ体験できることだからね。

 

これから散歩に出かけてくるけど、またかわいそうな人たちをたくさん目にすることになるんだろうな。何しろ働いたり、子育てをしたり、老人を介護したり、してるんだからさ。

 

自分たちが、過去を断ち切られたという意味で、精神的には死んだ存在であることにも気づかず。

 

非常に多くの場合、心のつながりなどなく、ただ単に見栄で一緒にいるだけの家族に、今日も親や子の役を演じて見せなければならないしんどさを抱えて。

 

自分が実は死んでいることに気づきもせずウロウロ彷徨っている存在のことを、亡霊とかゾンビとかいうわけだけど、世の中はそんな存在に満ち満ちていて、悲しくなる瞬間があるよ。

 

でもネコで良かった。そんな同情も長くは続かず、次の瞬間には獲物を殺す快楽のことや、湧き上がった睡眠欲にどこで身を委ねるか、な〜んてことばかり考えているんだからね。

 

お前もネコになれよ。どうせ人としては死んでるんだろ?

 

これは余計な誘惑だったかな。だんだんボクの同類が増えつつある気も実はしているしね。いいことだと思う。そりゃそうさ。スマホでネットにつながり、色んな人の考えや意見を目にしているだけで、どんどん賢くなれる世の中なんだもの。ボクの過去記事は少ないけど、それもよく読んで参考にしてくれると嬉しい。

 

次の書き込みはいつになるかわからないけど、何年経ってもきっと戻ってくるから、せいぜい元気にしているんだぞ。

飼い主の膝に乗りながらTV鑑賞していたら、面白いことに気づいたのでメモしておいてあげる。


ゴジラはどうして日本の街しか破壊しないんだろう? 海外の街を破壊した例って、ローランド・エメリッヒ版のGodzillaしかないんじゃない?


これはとてもおかしなことだと思うんだよ。製作者は日本人向けの映画だから日本の街限定で破壊するんです、外国の街に攻め込んだらその国の人から苦情が来るでしょう、みたいな言い訳をするかも知れないけど、そうじゃないでしょう。


ゴジラは今や、世界の人気アイコン。ゴジラが攻めてきてくれたら、その国の人は大喜びだと思うんだよね。特に子供たちはね。


色んな国を次々に攻めて、その国の伝統を反映した怪獣たちと戦うようなストーリーを作ることで、新シリーズをワールドワイドな大成功に導くことができることは、簡単に予想できる・・・おっと、また僕がネコだからと言って、アイデアを盗もうとしていないかい? アイデア料は6千万円だからね。


なのに、そういうことをしない。これを読んでいる人は、なぜだと思うかい。


僕の答えを書いておこう。それは、ゴジラが日本人の日本に対する破壊願望の象徴だからさ。


日本人は、日本が大好き! こんな良い国はない!って、ことあるごとに叫ぶけど、それって違うから。ホントに自分の国が大好きな人は、いちいちそんなアピールはせずに、ひっそり黙って静かな日々を送れるだけで満足するものだから。


日本が大好きだ!って自分を鼓舞し、言い聞かせないと、とてももたないくらい、日本人は破壊願望をたぎらせているんだよ。日本のことが本当は、大嫌いなんだよ。


まあ、そう思える瞬間も多いってことだけどね・・・。色々なことに我慢に我慢を重ねすぎて。


そういう願望が、ゴジラを作らせたのさ。だから、ゴジラには外国に目を向けるヒマすらもなく、ひたすら日本を、日本だけを、破壊し続けて欲しいわけなのさ。


それに、もし仮に、海外の街を破壊し始めたとしよう。すると、何が起こると思う?


今度はゴジラに嫉妬する人が大勢出てくると思うよ。


間違わないで欲しい。ゴジラに来てもらった海外の人ではなく、ゴジラ自身に嫉妬が向かうということだよ。


「ゴジラめ、目立ちやがって!!」ってこと。「本当は俺自身が海外に雄飛して目にもの見せる活躍をしたいのに!!」って。「俺はこんな国で歯を食いしばって我慢しているのに!!」って。


製作者も、ほんとにものが分っているとしたら、それを恐れていると思うね。つまり、日本のファンにそっぽを向かれることをね。


さて、そう考えると、同じ構図がもののみごとに当てはまる分野が手近にあることに気づかないだろうか。そう、それが日本のサッカーさ。


みんな口ではがんばれ、がんばれ、って言ってる。でもね、ほんとはあんな連中が海外で華々しく勝利して欲しくなんかない・・・そう思っている人もたくさんいると思うんだよね。


ちょっとサッカーが上手いからって、国内ではなく海外で、おいしい思いをしてカッコよく目立ちやがって・・・。


あなたはそんなどす黒い感情が少しでもないかい。ない? そりゃあ心がご健康なことで・・・。


でもね、逆に選手の側には後ろめたさがあると思うんだよ。日本が嫌いだからこそ海外に出て活躍しているのに、こんな大会のときだけ日本代表でござい、という顔をしなくちゃいけない。そうでないと、協会の人とかに怒られちゃう。


だから、本気で勝ちに行けないんだよ。自分で自分を縛っちゃうんだよ。無意識に、ここで勝ったりしちゃ大変、日本で爪弾きになる~なんてびびっているんだよ。


ま、うがちすぎかもネ。事実の誤認もあるかもネ。


でもね、しょうがないんだ。


ボク、ネコだから。年を重ねて、性格がちょっぴり意地悪になっているのさ。


さ、しょうもない記事なんか書いていないで、外を散歩してくるかな。ネコにはゴジラを観るよりサッカーをするより楽しいことが、たくさんあるんだからね。
ネコなのにクルマを乗り回しているボク。今日も走ってきた。

正月の準備に忙しくしている人たちや、彼らが住んでいるのであろう郊外の家なんかを車窓から眺めているうちに、珍しく一句浮かんだ。

それは、こういうのだ。

「寒くてもクルマの中は暖かい」

もう一度書いておこう。

「寒くてもクルマの中は暖かい」

プロの俳人と言える存在が日本にいるのかどうか知らないけど、この句は盲点だったんじゃないの。だって、



「寒くてもクルマの中は暖かい」



だよ。

「それがどうした?!」というのは簡単だけど、完璧に俳句になっているんじゃない? だとしたら、黙るしかないよ。

これは、傑作の誕生さ。「寒くても車の中は暖かい」とか、「寒くとも車の中は暖かい」、「寒くともクルマの中は暖かい」・・・まあ、表記上、色々な類似例は考えられるだろうさ。

でも、「さむくてもくるまのなかはあたたかい」とか「さむくともくるまのなかはあたたかい」とかいう風に音読できる作品は、もう、「作者:angus」ということに決まってしまったんだ。

何かの句集に収録の際は、ひとこと連絡をくれないと困るよ。それに、誰かが勝手に盗作しているのを見つけたら、すぐに通報してくれれば、ボクが犯人を吊し上げるから。


何年理不尽なしごきに耐えて修行しようが、ボクの頭にポッと浮かんだ一句に敵わない・・・。まあ、そんなこともあるんじゃないの。

それにしても、なんてハートウォーミングな俳句なんだろうね。

厳しかった年の瀬、大変な思いをしてきたみんなは、この句を読んで、少しのあいだでも心を和ませて欲しいと思う。

クルマに乗っている人も、乗っていない人も、それはこの際関係ないんだよ。ここでの「クルマ」は、ひとつの象徴なんだからね。君をここからどこかよそに連れて行ってくれるものの象徴さ。だから、パソコンの前に座っている人も、スマホをもって立っている人も、パソコンやスマホが「ここではないどこか」へ君を連れて行ってくれるという意味でクルマのようなものだという見方に同意さえしてくれたら、この句をしみじみ味わい、来年を生きていく活力にさえも、する資格があるんだ。

要は寒く寂しい思いをしている人へのエールさ。その状態はいつまでも続きやしない。暖かい誰かが、何かが、君が見ている画面の先々のどこかで、きっと待っている ― そういうことを歌った句なんだ。

そんなこんなで、管理人ネコ、angusは、来年も君が元気で活躍するよう願っている。負けるんじゃないぞ。

ボクだって路上で一生懸命、ひとりぼっちで、生きているんだってことを、どうか忘れないで欲しい。

その約束を守ってくれさえしたら、来年は2~3回更新してもいいと思っている。君にだけこっそり伝える、これは耳寄りの情報のつもりだよ・・・
冬の冷たい地面の上を歩きながら、こう考えた。このアスファルトは、石油を精製したあとにできる残りカスが原料である。そしてその上を疾走する自動車は、ガソリンを燃料にして走る機械である。

石油もガソリンも、主にアラブ世界から輸入したアブラがもとになってできるものだ。そう考えると、ボクたちが「日本」と呼んでいるこの国のかなりの部分が、すでにアラブ化しているのではないかという素朴な疑問が湧いてくる。

だってそうじゃないか・・・。地面はアラブ、燃料もアラブ、燃料が燃えることで排出されたガスもアラブからやってきた物質がもとになっているのだから。日本と呼ばれている国の地・火・風のかなりの部分が、アラブに依存していると言っても決して過言ではない。さすがに水は日本産・アジア産が大勢を占めるようだが、「地水火風」の4大エレメントの内の3つまでが相当アラブ化しているとしたら、ここはもう古い日本とは別物の国になっているとさえ、言ってかまわないだろう。

アラブといえば砂漠である。したがって、今の日本は、要するに砂漠化が取り返しのつかない規模で進行中と言っていいわけだ。

日本は可住面積が狭い国だ。国土の3分の一程度しかない。しかし、そのなかで舗装道路が占める割合は、恐らく10分の一近くになる。人間の住める場所の一割ほどは、アスファルト道路という砂漠になっているのである。驚くほど高い砂漠率というべきではないだろうか。

しかし、本場のアラブとは、そこを行き交うのが駱駝などの有機生命体ではないところが大きな違いだ。ボクなんかが道路を横切るとき、よくよく気をつけないといけない彼ら。それは、IT化がどんどん進むスマートカーみたいなクルマのことである。

もはや自動ブレーキは実用化された。自動運転すら、もう夢物語ではないのだ。運転手は、今でもそうなのに、ますます機械の一部に組み込まれる。なにしろAT車は、放っとけば走ってしまう、元気いっぱいのロボットのような存在なのだ。活き活きしているのはむしろ彼らの方であって、運転者は、なんだか疲れた顔をしていることが多い。特に走り方の工夫もせずに、クルマが要求するままに、それこそ「機械的」に足を動かしている人が多いんでしょう? まあ、不景気で、多くの人が過重労働をしていたり、人間関係に悩んでいたりするせいかも知れないけど。

IT化されたクルマの方が、よっぽどモノを考えている ― そんな転倒した事態が進行してるように見えるんだよ。見るに忍びないとはこのこと。だからボクはますます穴倉にひきこもりがちになり、ブログの更新も年に一回がやっとのありさまになった。

年に一回も更新されれば良い方の老舗ブログなんて、ウチくらいのものじゃないかな。この伝統をボクは誇りに思っているけど、もっと別の運営のあり方があったかも知れないとは、ときどき思ったりする。

とにかく、人は機械に負けるな。クルマに負けるな。ロボットにはできない何かを必死で追求することの中にしか、人間の存在価値はなくなるんじゃないかとさえ、ボクは危惧するんだから。

これが来年、2013年に向けての、管理猫 angus からの伝言さ・・・。

大丈夫。そんなにおかしなことにはならないよ。だって、こんな殺伐と見える世界のなかに、佐々木希ちゃんは相変わらず女神の余裕たっぷりにニコニコ滞在中じゃないか。あの方が人々の目に見える存在でおられることのありがたさを多くの人は理解せず、演技力がないだのなんだのと、的外れなことばかり言ってる。

違うんだよ。前に書いた通り、彼女は天使さえひれ伏す女神なんだ。最近、飛行機の管制官役をやっているのは、もしかしたら、地上に飽きて、天上に帰りたがっておられることの兆候かも知れないけど、大丈夫、彼女はボクたちを見捨てやしないよ。

彼女が全身で語る言葉ならざる言葉に五感を集中させたりして、良い世の中を作り出していこうじゃないか。

それが、彼女に祝福されたボクたちの務めであり、ロボットたちは、それを補助してくれる仲間なんだよ。ワールド・イン・ザ・ハーモニー。砂漠の夜明けは近い。

そんなことを、冷たい地面を歩きながら、ボクは思ったのさ。
ウソまみれのくだらない政権がせっせと作り上げたアメリカべったりの戦後日本社会。80年代以後は特にひどかったですね。ちょっと内省的な態度をとっているだけでネクラなどと言われ、大学生の男はわれさきに部屋を飛び出してテニスやスキーのサークルに入ったりしました。部屋で文学や思想の本を読んでいたら、仲間はずれになりそうな雰囲気があったと聞いています。

批判精神なんか捨てろ。金は何とかなるんだから、手に入れて遊べ。そういうのが至上命令となり、誰もが追い立てられるような気持ちでお祭り騒ぎの毎日を繰り広げようとしていた・・・。

バカな話ですよ。そんな人間どもばかりの社会がずっとうまく回るわけない。でも、多くの人は、私も含めて、まあこんなもんだろうと思っていた。いまホットスポット(ではないかと自分で思っている)地域に住み、放射能食品で内部被曝しながら、私の頭の中をよぎるのはこんな考えです。

要するに、この40年ほどの日本は、狂っていたんだよ・・・。そのツケが回ってきただけ・・・。山よ海よ生き物よ、これまで大きな負荷をかけていたのに気づかず悪かったなあ・・・。でも安心してくれ。今や俺たちも間違いに気づいたんだから、これからは脱原発して少しでもナチュラルに、禁欲的に生きようと思うよ。昔の人たちの慎ましさを見習いながら、でもスマートフォンに代表される文明の利器の便利さは享受しつつ・・・。

などと懺悔の日々を送っているところへ、いくつかの朗報。首相の脱原発宣言。なでしこJapanのFIFA大会優勝(日本の女性は偉大)。ぴあ廃刊(これも大朗報! ぴあ批判は2年前くらいに書いた)。そして、思考停止したバカどもはお上(役人・政治家・マスコミ・御用学者など)に依存していればいいんだよ、自分でものを考えようなんざ百年早いんだよ、というメッセージを送り続けてきた日本のマスゴミ(世界的に悪名高い)の有害番組の筆頭であった『水戸黄門』が終了!

やった! 万歳、万歳! 喜んでください、ご先祖様がた!!

いま放送中だが、こんなクソ番組に電波を汚されるのを我慢しなければならないのもあと少しの辛抱。私だけが嫌いなのかと思うと悲しかったこの毒コンテンツも自己責任でもうすぐ滅ぶ。制作者はいい気味(下請けの人々を除く)。少しは反省しろというのだ。

あとは『笑っていいとも!』と『サザエさん』が終了すれば、日本もだいぶマシになる。これらが日本の良心のように思っている人たちもいるかも知れないが、冗談じゃない。

タモリはネアカ・ネクラという暴力的な図式を広めた張本人で、実質的に日本人のバカ化を狙ったアメリカの手先(ジャズ・ファンだし)だということを忘れてはならない。サザエさんだって、東芝かどこかの会社に勤める「物言わぬ従順な男たち」が自分たちと同じ企業奴隷(社畜)の再生産に励むというだけのくだらないストーリーではないか。

どこが日本の原風景であり、懐かしのコンテンツだというのか。あんなのが長寿番組であることに、何の価値もありはしないんだよ。

むしろ恥。有害番組をこんなに生き永らえさせている私たちの不見識という意味で恥。

・・・などと久しぶりに書いたら少しはすっきりした。さ、好きな矢沢永吉(もうすぐ新譜が出る。リメイク盤だそうだが)の音楽でも聴きながら明日に備えるとするか。私も社畜の一人ではあるので、本来は物言わぬ男なのだが、これを書く一瞬だけは人格がシフトし、普段はおくびにも出さないような言葉が出てくるのは面白いと思ったことである(永ちゃんのロックスピリットが影響しているのかもしれない。とにかく彼は偉大なミュージシャンだからな。アメリカ在住だし)。

昔友人に招かれて、花巻の温泉に入り、わんこそばを腹一杯食べたことがある。あと、仙台観光もした。それが私の東北体験といえるもののすべてである。


たったそれだけしかないのか、と自分でも呆れた。しかし、そのときの土地と人々の印象はとてもよく、東北地方が大好きになった。寺山修司など、東北出身のアーチストがもっている日本人離れした感性にも、いつも強い感銘を受けてきたものだ。


だから、今回のニュースを遠いところで知り、他人事ではない痛みを覚えた。今日は用事があったので、義援金は明日納めに行くつもりだ(お金の方がいい。モノは真に必要な物資の輸送に邪魔になる恐れがあるから)。


こんなブログでも、東北地方の人がたまたま目にすることがないとは言い切れない。だから、書いておくことにしたのである。


亡くなられた方々に心からの哀悼の意を表します。今困難と闘っている方々のご無事をお祈りしています。皆さんの冷静で思いやりを忘れない行動を見て、日本の悪口ばかり言っている自分の浅慮を反省しました。皆さんのことを尊敬し、一日も早く東北地方が復活することを願っています。

先日、angus が死んだ。


このブログの名前の元になったネコである。


比較的短かったが、誰からも愛された生涯だった。今ごろは間違いなく、天国から僕たちのことを朗らかに見守ってくれていることだろう。


ありがとう、angus。君のおかげで、僕は本当に色々と助けられたんだ。ネコがこれほど人間の力になってくれるなんて、以前の僕なら想像もしなかっただろう。


ネコの偉大さを教えてくれた、偉大なるネコ。人の心を読み、物静かに見守ってくれていたネコ。君を必要とするシーンでは、いつもそこにいてくれたネコ。


一生忘れない。


さあ、僕はこの悲しみを乗り越えて、どこに向かうべきなのか。幸い、新たな道は示された。来年から、僕は新天地へ向かう。そこで待っているであろう、新たな日々。


また会いたいとは馬鹿らしい妄想かもしれないが、新たな土地で旧友と会う楽しみには代え難いものがあるんじゃないかな。


そういう友だちの一人として、君はこれからもずっと、僕の心の中に生き続けてゆく。たまには、君の存在を感じさせてくれよな、angus。


君がここにいたことの記念として、このブログは残そう。そして、たまにではあるだろうけど、細々と書き続けていこう。


そのように決めてみた、今日一日であった。

おとといのNHKテレビで『消えた高齢者 ― "無縁社会"の闇』というのをやっていたので、見た。多くの人々がお金はともかく心の面で、ニヒリズムの極致ともいうべき虚しさに直面しているのだな、と思って重苦しい気持ちになった。


良い番組だったと思う。しかし、世の中ではどういう人々がどういう対策をこの問題に向けて打っているのか、考えると、ますます気持ちが沈んだ。


右翼も左翼も、「大変だ大変だ」というばかりで、何もしない連中が多すぎるのである。それどころか、こういう問題をただ言葉だけで論じ、その論述の思想的な凄さを誇るだけで事足れり、と考えている連中すら少なからずいるように見える。


学者や評論家や新聞の論説委員などの恵まれた地位にある者は、すすんで自分が音頭をとって、救貧院的な施設の設立でも進めたらどうなのだろうか。


特に忌まわしいのは仏教寺院である。何が宗教か。弱者の味方か。欧米のキリスト教圏では、無資格で入れる無料の宿泊施設などざらにあるのである。何の身分証明書も、コイン一枚すらなくても、飢え死になど絶対にせずに済む、それこそが進歩した社会、人間味のある社会というものなのである。


仏教寺院でそういうことをしているところがあるのだろうか。ないだろう。たいていの坊主どもは、態度だけえらそうな感じで目の前の生活に汲々とし、檀家の人の心をつかむことにすら失敗している有様ではないだろうか。そのくせ世の中の問題に心を痛めているフリをするのだけは上手い。


そういう連中は、慨嘆産業に従事する者たちである。困った社会問題を、ただ嘆いて見せるだけで、お金をがっぽり(でもないかもしれないが)稼ぐだけの外道だからである。慨嘆産業。この言葉を私は、「石炭産業」とかに響きが似ているから気に入って自分で使っている。日本社会のすべてがイヤというわけではないが、こういうヤツらは特に醜悪で、宇宙追放刑に処してもいいくらいだ。


日本は寅さん映画に描かれたような人情味あふれる社会、すごい製品を続々と生み出している超進歩社会だ、などという連中は嘘をついているのだということがわかる。日本は、まれにみるほど同胞に冷淡な社会だし、サービス残業という悪弊を改める必要すら感じない鈍感な鬼どもが支配する社会だといっていいのだろう。


これは恐らく実は、日本人は自分のことが大嫌いだ、ということから来ているのだろうと思っている。その証拠は、アニメだ。日本人は自分たちの顔をスクリーンでまで見たくないんですよ、と言った村上龍や宮崎駿は正しいことを言ったのである。私たちは、同族嫌悪の民。しかも、弱くて困っている者ほど助けず、ほったらかしにしておくことを好む。お互いが心の底で「こんなやつ、死ねばいいのに!」と思っている。そんな心当たりはないだろうか。


書いていたら気分がますます悪くなってきた。救いは、こんな文章を読む奇特な人など誰もいないということである。


もちろん私もそんな立派な人間ではなく、ちっぽけな群小庶民の一人にすぎず、こんなことを書く資格は本当はないのだから、誰かに読んでもらうなどおこがましいのである。


でも、近くに本当に困っている人がいたら、私なら声くらいはかけるかなア・・・。さ、考えていてもしょうがないし、一年に3本以上もブログの記事を書くなんて書きすぎなのだから、走って汗を流し、パートナーに好かれる体型キープに励むとしようか。

最近の出来事の覚え書き。歌舞伎座が4月で閉鎖となったが、これについてネット界の反応が極めて冷淡だったことは興味深かった。岡田斗司夫がそうだが、ネットに親和的であるような多かれ少なかれオタク的な人々、特に若者は、日本の伝統芸能に関心が低く、反感さえ抱いている場合が少なくないのである。実はオタク文化も文楽・歌舞伎の伝統の直系の後継者という側面があるのに、まったくおめでたい無知だとしかいいようがない。


血縁で支えられる文化など無意味で汚らわしいと感じる気持ちもわからないではないが、例えばそういう人々は、ローリング・ストーンズの面々があと数年で70歳台に突入することについて、どう気持ちの準備をしているのだろうか(ロックは聴かないか、そういう人たちは)。あの傑作ロゴであるベロ出しマーク(ジョン・パッシュさん作)を見ると白人ロックを聴く喜びがじわじわ湧き起こってくるという人は少なくないはずだ。それが、あと数年でもう、とうてい若者文化の一部とはいえなくなるのである。


今もすでに半分そうなっているが、ある意味、老人文化のシンボルになってしまうのである。もちろん、加齢に対抗して若々しい肉体を保つ努力を惜しまないミック・ジャガーは本当に偉い。ファンの夢を大事にして、ものすごい節制を行っているに違いないからである。しかしそれでも、70歳の人が「スタート・ミー・アップ」を歌うのは痛々しくないだろうか。


そういうふうに考えるとき、「二代目ミック・ジャガー」への欲求は極めて自然なものに感じられてくるのである。公認の、できればミックの血を継いだ誰かによって、ストーンズの名曲がずっと歌い継がれていくのを見たい・・・。さもなければ、ストーンズのコンサートを見られない、これからの子どもたちが可哀想じゃないか・・・。あの傑作ロゴマークが一代切りだなんて、あまりにも勿体ない・・・。そんなファンの気持ちは、歌舞伎俳優の場合と変わりはしない。欧米圏の人々にも、血縁者が文化を継承するというのはそれほど例外的なことじゃない(ワーグナー家など)。だから、多少なりとも3次元に興味のある若者なら、歌舞伎に少しくらい興味を持たないというのはおかしいといえるわけである。


ともあれ、これは血縁の世界を描いたドラマではないが、佐々木希ちゃんは極めて正しい王道を歩んでいる。それがいいたくてこの記事を書いた。もちろん、『土俵ガール』のことだ。相撲界が大スキャンダルに揺れているのと同時期に放送が始まったことは、幸運かどうかが話題になっている。もちろん、幸運に決まっているわけである。相撲と、それを必要とする日本の人々にとって。希ちゃんはコメディエンヌとしての才能も巨大だということが証明されたわけだが、どこか彼女には、そんなことすらもどうでもいいという風情が漂っている。まあ、好きにやりなさいというような、スタッフとファンへの貫禄たっぷりの余裕である。さすがは女神様というべきであろう。異常な暑さが「世界は狂っている」という不安を増幅させがちな今日、どんなに眠い深夜でも、前の番組に押されて放映時間がどんなに遅れても、『土俵ガール』だけは観ないわけに行かない。


希ちゃんに祝福してもらえるような伝統なら、ちょこっと回帰してみてもいいか・・・。そんな「国民的安心感」を、あのドラマは与えてくれるからである。