それから馬超は、大刀を振り続けた。槍を振るう気は起きず、手に入る刀で最も大きなものを選んで振り続けた。刀身は一尋(約百八十センチ)程もあり、柄を両手で掴んで振るうものである。刀身には反りがあり、全身で振るった時の威力は、立てた丸太を一撃で両断した。
ただ勢いに負けて、斬り終わりに何度も地面を転がった。戦場で転がるわけにはいかないので、威力を出しながらも下肢で踏ん張り、転がらないように鍛錬した。
 いつしか全身の筋(きん)は盛り上がり、大刀を意のままに振り回すことができるようになった。槍を扱うには繊細な技術が必要だが、そこまで筋の力は必要としない。大刀は自分の膂力を、今まで以上に引き出した。馬超はこの大刀の持つ豪快さに、魅了された。
 馬超は丸太を十本、並べ立てた。
 ずしりと重い大刀を低く構え、気息を調えた。馬超と大刀の気が、一つになる。それが弾けた時、馬超は地面を蹴った。
 踏み出した勢いを全て大刀に乗せ、下から斬り上げた。空へ舞い上がろうとする大刀の下に潜り込み、身体を捻る力に大刀を巻き込むように斬り下げる。切っ先が地面に触れる直前で跳躍し、中空で大刀を引き上げ一回転しながら、両脚で着地した。大刀が地面すれすれでぴたりと止まる。
 しばらくして、最後の丸太が縦に二つに割れた。馬超は立ち上がり、振り返った。両断され散らばった丸太を見た。込み上げてきた憤怒で、馬超は雄叫びを上げた。
 馬超は大刀を背負い、馬に飛び乗ると北に駆けた。とにかく狄道の城郭(まち)から出たかった。
 狄道は、父馬騰が本拠としている城郭だ。祖父の馬平の代から住み着いている城郭で、馬氏にとっては故郷のような場所だ。
 幼少より父の背中を追い続けて生きてきたが、最近の父の背に、覇気が感じられなくなったように思う。戦に次ぐ戦が、そうさせたのか、それとも抗い難い老いが、父の覇気を喰い尽くそうとしているのだろうか。
 父の血に、救われた。
 馬超が目を覚ました時、父が傍にいた。そして父は、黙って泪を流した。初めて見る、父の涙だった。
 しかしそれは武人としての涙ではなく、父として慈愛に満ちた涙だった。父にはもう、武人の血は流れていないのか。追うべき背中が、今は見えない。
 馬超にとって狄道とは、牙を抜かれた武人が故郷で安寧を望み、朽ちていく場所に思えてきたのだ。そこに自分の居場所はない。自分を今衝き動かしているものを、知る場所ではないのだ。
 しかし、だからといって父を尊敬していないわけではない。馬氏の長男として生まれた誇りは、常に持っていた。曾祖父の馬援は劉秀、後の光武帝に仕え異民族平定のため全国を駆け巡った名将だった。
 祖父の馬平の代で官位を失い、路頭に迷うことになったが、祖父は狄道に留まり羌族の娘を娶り、そして父が生まれた。若き日の父は山で薪を割り、城郭で売るという惨めな生活を送っていた。幼き馬超の眼にはそれが屈辱に映ったが、父はそんな生活を、気にした風ではなかった。
 今から十年前、涼州で起きた大規模な反乱を鎮圧するために、涼州牧は勇敢な兵を市中に募り、父はそれに志願した。
父の雄偉な風貌を見るなり、軍の指揮官は父を抜擢し兵を率いさせた。父もその期待に見事応え軍功を上げ、軍司馬(将校)に取り立てられた。
 その後董卓が長安に遷都すると、董卓は父を招聘し偏将軍に任じた。それを受けた父は、長安に居を移した。
 しかし、董卓が死んだあと朝廷を掌握した李傕、郭汜の横暴を見かねた劉焉らとともに反旗を翻すが、計画が事前に露見し失敗に終わった。父は降格させられるも、それ以上の咎は受けず、狄道に戻ることになった。故郷で再び力を蓄えようというのである。
 ここ涼州は中央からも遠く、羌族や氐族といった異民族も混在し、昔から中央の支配が曖昧な土地であった。
 とはいえ漢の影響力は大きく、かつて武帝の時代に武都郡が設置されると、そこに住んでいた氐族は山間部に追いやられるなど、これまで幾度となく弾圧を受けてきた。
 羌族と氐族は風俗も近く、共に漢と戦った歴史もある。時に漢に服従することもあるが、この地に反乱の芽が絶えないのは、こうした異民族と漢との関係も、要因にあった。
 馬平は官位を失った後羌族の娘を娶ったため、馬超にも羌族の血が流れていた。
 馬超がそのことを、ことさらに気にしたことはないが、羌族の自由闊達なものの考え方を好ましく思っていた。逆に漢民族には儒教思想が根付いているためか、その言動に堅苦しさを感じることがある。
 父の戦は乱に次ぐ乱であったが、その戦いは馬氏を一代で涼州の軍閥として力を持つことができた、偉大な功績である。その馬氏の長男として生まれた使命は、馬氏の力をより大きくすることだと、考えてきた。
 しかし、死にかけた。
 ただ、己が未熟が故である。武人としてこの恥辱を払わぬ限り、馬家の明日はない。そう思い定めた。
 北に駆けて一日、金城の城郭が見えてきた。金城はあの韓遂の本拠地がある城郭だ。馬超は金城には入らず、さらに北に駆けた。
 韓遂に対する憎悪は、いまも消し難くある。このまま韓遂の館に押し入り、韓遂を縊り殺してやりたい。しかしそれは武人のやり方ではない。いずれ、戦場でまみえた時に堂々と首を刎ねてやればいい。それまで、ひたすら武を磨き続けるのだ。それが今自分のやるべき事であり、生きる意味だ。馬超はそう、思っていた。