呂布の騎馬隊を破る策を考えている最中、空を黒い霧が覆った。夥しい数の蝗だった。蝗は喰らえるものを喰らい尽くし、去っていった。
曹操はその黒い霧に身を晒し、身体に纏わりついた蝗を一匹、握りつぶした。体液はほとんどなく、乾いた殻が、砂のように砕けて風に舞った。彼らも、飢えているのだ。地には、仲間に食われた蝗の死骸が散乱していた。青い顔をした夏侯惇が、陣中の兵糧が全て無くなった事を報告に来たが、曹操の関心は、蝗がどこからきてどこへ行くのか、という事だった。生れた時から飢え、仲間に喰われながらどこかへ向かって飛んでいく。蝗に感情などないだろう。生れたから飛ぶ。飢えるから仲間だろうと喰う。己の命に、ただ忠実なのだ。
青筋を立てた夏侯惇が煩わしかったが、打開策はすぐに思いついた。人は窮地に立たされればよい知恵が浮かぶというが、窮地というほどでもなかった。兗州の残った三城のうち、東阿を袁紹に割譲し兵糧を譲り受ける。ただそれだけだった。東阿を決死で守り抜いた荀彧たちを慮ることはしない。主君が配下にできる事は、遇することだけだ。気に入らなければ叛けばいい。それもまた、人の道である。
蝗害はむしろ、曹操に僥倖をもたらした。同じ蝗害の被害に遭った呂布は、兵糧を得ることができず、濮陽を放棄した。濮陽を奪還したことで、曹操は兗州の北半分を呂布から取り戻すことができた。当初呂布に付いた兗州の北の豪族たちは、曹操がすぐに滅びると踏んでいたのだろう。奪還後、曹操が豪族たちを召し出すと、みな蒼白な顔をしていた。曹操が以前と変わらぬ協力を要請すると、みな安堵と緊張を綯い交ぜにしたような引きつった顔をして帰っていった。
豪族とは曹操にとって、蝗よりもはるかに劣る生き物だと思っている。たかが数百の私兵を持っているというだけで、自分が選ばれた人間かのように尊大に振る舞い、民草に威圧的な態度を取る。しかし強大な力を持つ州牧には媚びへつらう。しかし州牧に対し不満が募れば、豪族同士が結託して州牧を脅すようになる。豪族が十、二十と結託すれば州牧も無視できない脅威となるからだ。実際陶謙も、豪族たちをまとめるのに苦労して、徐州を掌握しきれずにいた。その結果、闕宣のような賊をのさばらせることになったのだ。
その点、最近配下にした許褚という男は見事だった。圧倒的な膂力を持つ男で、邑の若者を集め、自警団を組織し黄巾の乱から邑を守り続けてきたという。噂を聞いた曹操は自ら身分を隠して視察に行った。曹操の一行は、邑の入り口自警団に遮られた。その先頭に立つ巨躯に、曹操は一目見て心を奪われた。その目は一点の曇りもなく、曹操が邑に入るのを拒絶する硬い意志だけを感じた。供回りに許褚に敵う者がいないと判断した曹操は、一計を案じ、許褚を縄の罠で捕らえ、本営に連行した。
縄目に遭っても、剣を突き付けられても、許褚の目が変わることはなかった。縄目を恥じている様子もない。曹操は訊いた。お前に感情はあるのか、捕えられたことを恥じることはないのか、と。許褚は短く答えた。罠を仕掛けた卑怯者のお前が俺を殺せば、俺は天からお前を罵ればいい。俺が恥じる事ではない、と。
それを聞いた曹操は、即座に許褚の縄を解き、身分を明かし、罠にかけたことを謝罪した。そして頭を下げ、配下になって欲しいと懇願したのだ。許褚は困惑した表情を浮かべたが、邑の青年たちが許褚を説得し、曹操の配下になることを承諾した。虎のように強く、人が欲するものにまるで頓着がないことから、虎痴というあだ名をつけた。皆はそのあだ名を喜んだが、許褚自身は特に気にした風ではなかった。名などどうでもいい、という感じだった。
許褚の働きは実直そのもので、身分で人への態度を変えることなく、与えられた仕事を淡々とこなした。出世や富を得ることにも関心がない。私心がなく、武技で配下の誰も許褚に敵う者がいなかったので、曹操は許褚に身辺警護の任務を与えた。誰もが許褚の実直さを知っていたので、異を唱える者もいなかった。