曹操が戦略を決めるとき、少なからず感情が介入することを自覚していた。逆に戦術、すなわち局地戦になると返って冷静になり、心が冷めていくことがある。この辺りが他の武将と違う点なのではないかと思っていた。

 幕僚が戦略を曹操に献策するときは、人の感情などは一切排除し、徹底した状況分析と緻密な計算によるものが多い。陳宮や郭嘉には、その傾向がある。それはそれで感嘆することもあるが、曹操にはどこかつまらなく感じることがある。計算され尽くされ、非の打ち所がないのが原因なのかもしれない。感情による閃きが、常人には考えつかないような策となることがあるのだ。

 そして荀彧や程昱の策には、策の中にどこか思想が含まれている。利害だけではなく、実現したい理想の世がまずあり、その為に曹家がどのように振舞うのが最も効果的か、という視点で策を考える。

 そのどちらも、得難き才と言えた。袁紹などはどんなに素晴らしい策でも、己の意に反すれば平気で策も人も切り捨てるだろう。袁紹は常に自分が頂点にいなければ気が済まない性格だからだ。名門の威を借りて河北統一を目前にし、勢力は群雄随一だ。天下は袁紹に傾くと人はうわさするが、袁紹のこの器量の狭さに、付け入る隙があると曹操は思っていた。

 翌年、体制を整えた曹操は再び徐州侵攻を開始した。領内の防備は最小限にし、曹操軍の主力と青州兵を引き連れ、徐州を一飲みにする。はずだった。

 陳宮が呂布を名主として担ぎ、張邈と共に反旗を翻したのだ。陳宮は瞬く間に兗州の各県を奪取、掌握していった。

 心が、震えた。これぞ男の生き様である。男たるもの、誰かに従属して生きてはならない。陳宮は己の命を懸けて、男として立ち上がったのだ。 陳宮を、呂布を、殺す。それが曹操の最も優先してやらなければならないことになった。天下などどうでもよい、とさえ思えてくる。この曹操とて、危急存亡の秋なのだ。兗州全土を奪われれば、青州兵と共に流浪の軍となる。それはすなわち、死を意味する。曹操は全力で兗州に取って返した。その途次、曹操の心は、高鳴ったままだった。

 分からなかったのは、陳宮が呂布を従えるのではなく、盟主として仰いだことだ。曹操の知る呂布は、盟主の器ではない。しかし、かつて呂布を従えた丁原、董卓の末路を考えれば、陳宮は呂布を従えるのではなく、担いで御す方が容易いと考えたのか。呂布の武力は群雄にとっては魅力だ。呂布が袁紹に身を寄せていた時は、袁紹が手を焼いていた黒山賊の張燕を、一撃で撃退したこともある。しかし袁紹は、呂布の尊大な性格と相いれず追放している。いずれ陳宮を捕らえたら、死ぬ前に聞いてみてもよい。裏切られたと知ったときは殺意も湧いたが、この戦が終わった時、曹操はまた陳宮を許し、配下にするだろうか。それはその時になってみなければわからない事だった。

 兗州にとって返した曹操を待っていたのは、絶望といえる状況だった。兗州のほぼすべての軍は反乱軍に与し、残った城は鄄(けん)城(じょう)、笵(はん)、東阿(とうあ)の三城のみという有様だった。それも荀彧、程昱、夏侯惇が奔走し、三城がようやく反乱に加担しないように抑えるのが精一杯だったのだ。夏侯惇は呂布軍と死闘を繰り広げ、左目を失った。

 陳宮がどの時点で反乱を決意したかはわからないが、短期間ですべての郡に根回しできたとは考えにくい。すなわち以前より兗州全土で、曹操に対する叛意が蔓延していたのだ。それはそれで痛快事であった。そうとは知らず、曹操はのこのこ徐州に遠征した自分自身を嗤った。

 三城を確保したとはいえ、濮陽に構える呂布を打ち破ることはできなかった。青州兵も呂布の騎馬隊の前では無力だった。これまで直接呂布の騎馬隊とぶつかった経験のない曹操は、その精強さに目を瞠った。

 馬具、具足の全てを黒に統一したその騎馬隊は、まるで一頭の黒いけもののように戦場を駆けた。騎馬隊として統率が取れている、という次元ではない。全ての騎兵が心を一つにしているかのように、合図もなく獲物を定め喰らいつく。そのけものに触れたものは、必ず倒れた。それが部隊であれば、必ず潰走した。そのけものの先頭を、常に方天画戟を天に掲げた呂布自身が駆ける。呂布の騎馬隊は、決して触れてはならないもの、曹操はそう直感した。

 曹操自身も、独自に騎兵隊を鍛え上げていた。虎豹騎と名付けたその騎馬隊は、百人隊長の中から選抜し、組織された。地獄のような訓練を課し、耐え抜いた者のみが虎豹騎兵として認められ、曹操軍屈指の騎馬隊として、栄誉と富が約束された。兵は皆、その栄華を夢見て、自らを鍛え上げる。虎豹騎とは、曹操が兵の可能性を最大限引き出すために作られた部隊といっていい。

しかし呂布の騎馬隊は、およそ栄誉とは程遠い、異次元の何かによる強さだと思った。あの騎馬隊は何を求め戦うのか。曹操は初めて呂布の騎馬隊を見た時から考え続けた。彼らを知り尽くさねば、彼らを破る策は決して見えない。曹操軍が蹂躙されていく未来しかないのだ。

 そしてあの黒き騎馬隊の求めるのは、征服なのだ、と曹操は結論付けた。

かつて呂布が袁紹に身を寄せていた時、袁紹が手を焼いていた黒山族の張燕の撃退を呂布に依頼したことがあった。呂布は五百の騎馬隊で黒山族二万を蹴散らした。すると呂布は袁紹の許可も得ず、黒山族の砦の物資の略奪を始めたのだ。戦に勝った者の当然の権利だとでもいうように、砦の物を奪い尽くした。

 戦に飢えたけもの。曹操はそう感じた。そこには夢も志もなく、ただ強いが故、本能のままに戦い、獲物に喰らいつく。呂布の騎馬隊の無類の強さの秘密が、そこにはあった。怯懦を知らない、無垢な生き物。それは、呂布という男そのものなのだ。

 呂布の騎馬隊に、青州兵はなす術はないだろう。青州兵は、曹操のために戦うからだ。呂布の騎馬隊に曹操自身が虎豹騎で正面から挑むなど、愚の骨頂だと思えた。それは蛮勇にすぎず、戦術も何もない犠牲を増やすだけの戦いと言えた。呂布の騎馬隊の本性が分かれば、策の立てようはあり、恐れるものではないのだ。