五日ほど砂漠を歩いたところで、砂漠を行く一行を見つけた。十人ほどの隊で、馬超と同じ方角を、どこか厳かな様子で進んでいた。月明りが、それを淡く照らしている。思わず見とれるような光景だったが、微かな違和感を覚えた。
娘が一人、両手を縛られて引かれている。まるで罪人を護送しているかのようだった。娘はうなだれたまま、力なく歩いている。
人攫いか。馬超は一瞬そう思ったが、それにしては歩いている人間に粗野なところがない。しかし引かれている娘には、一切の希望を感じない。強制的に歩かされていることには間違いないようだ。
馬超は、わざと大げさに歩いて砂の丘を一行に向けて下りていった。一行が馬超に気付き、馬超の方へ目を向けた。娘も、顔を上げた。
「やあやあ、こんなところで人に会うとは。頭曼城はこの方角であっているのかね?」
馬超はあえて大声を出して一行に近づいた。仮に一行が賊なら、馬超に向けて剣を抜くなりするだろう。一行は馬超を警戒するも、特に何か行動するような素振りはなかった。
そして、一行の長であろう人物が一人、前に出てきた。
「旅のお方、我々も頭曼城を目指しております。方角も星を見る限り間違ってはいないと思います」
馬超は、繋がれた娘の手に目をやった。
「これはこれは、旅の方が疑われるのも無理はない。実は我らは、この方の輿入れの途次なのです」
「輿入れ?」
意外な言葉に、馬超は言葉を返した。
「輿入れの姫の手に縄をかけるなど、おかしなことだとお思いになられたのでしょう」
娘はじっと、馬超を見つめている。
「しかし、こうでもしないと、姫はきっと逃げ出してしまうでしょうから」
長は少しあきれ顔で、娘の方を見た。
その時、娘はいきなり長の身体を突き飛ばすと馬超に身を寄せ、馬超が腰に佩いていた短剣を抜き自分に掛けられていた縄を切った。その動きは、馬超がおや、と思うほど軽快で無駄がなかった。娘は馬超の後ろに身を隠し、一行を睨みつけている。
「姫、旅のお方にご迷惑をお掛けしてはなりません」
長は慌てる様子もなく、立ち上がって娘に話しかけた。
「旅のお方、私は白項氐国の蒲世と申します。そちらの姫君は楊霖様、白項氐王の千万様の妹君であらせられます」
「白項氐国?氐族の中でも、最も大きな勢力のひとつといわれる」
「左様。そして楊霖様は匈奴の右賢王である、呼廚泉様に輿入れするために、頭曼城へ向かっているのです」
隊の一人が、蒲世の言葉を遮ろうと後ろから腕を掴んだが、蒲世は首を横に振り、掴んだ手をそっと振り払った。
「なるほど、俺は隴西の馬超という。故あって頭曼城を目指している」
馬超が名乗ると、一行にかすかな動揺が起きた。父は羌族の血を引いている。羌族と氐族は似たような風俗を持ち、親近感を持つものも多い。馬超の名を知っていてもおかしくはなかった。
「あの高名な馬騰殿のご子息、馬超殿であったか」
蒲世が馬超を見つめながら言った。その視線は、馬超の何かを量るかのように執拗だった。敵意こそ感じられないが、馬超はこのような視線に、嫌悪感を抱いていた。人が人を理解するには、言葉を尽くすか、剣を交えるか、そのどちらかだと思っている。馬超はよく、後者を用いていた。
「私も不本意ながら、千万様のご意志の元致し方なく、姫君の自由を制限せざるを得ません」
「しかし様子からすると、輿入れは楊霖殿の意に反しているようにお見受けする」
楊霖は馬超の身体を盾のようにして、隊に敵意のようなものを向けている。蒲世はその敵意に、諦念のようなまなざしを向けている。
「よろしければ、馬超殿が頭曼城を目指す目的をお聞かせ願えますか?隴西からとあらば、よほどの目的がおありかと」
蒲世の言葉は丁寧で、分別があった。白項氐国では、高位の内政官なのだろうか。一応、信頼に足るのではと、馬超は思い始めた。
「大した用事ではない。馬を一頭、求めているのだ」
「なるほど、馬超殿が背負っている刀、さぞ重いのでしょう。中華の馬では力が足りない。それで匈奴の汗血馬を求められている。そんなところでしょうか」
馬超は、軽く頷いた。
「ではこうしませんか?同じ頭曼城へ向かうご縁、よろしければ護衛として同道していただきたいと存じます。無事頭曼城へ辿り着きましたら、そこで手に入る最上の汗血馬を一頭、馬超殿に献上させていただきたい。いかがですかな?」
蒲世のこの身勝手な発言で、馬超の肚は煮えそうになった。楊霖という娘の想いなど、まるで意に介しない。他の隊員も、この蒲世の部下なのかまるで意思を表そうとはしない。護身用の武器は持っているだろうが、武の匂いもまるで感じられない。楊霖がこの隊に敵意を抱くのも、何となくわかる気がした。
「蒲世殿、あいにく俺は馬を求めるだけの銭は持ち合わせている。この状況になった以上、楊霖殿の意思を汲む必要があるのではないだろうか」
蒲世の顔が歪み、眼をそらした。
「蒲世、このまま国へ帰りなさい。兄上には私が蠍に刺されて死んだと言うのです」
楊霖が馬超の後ろから声を上げた。蒲世が呆れたように息を漏らした。
「姫君、わがままで私を困らせないでください。そのようなことを言えば、私が責に問われます」
「蒲世、あなたも兄上も、私の手は縛れても、心まで縛ることなどできはしないのです」
楊霖のその言葉が、馬超の心の何かに、触れた。
蒲世の表情が、さらに歪んで、消えた。
「馬超殿、仕方ありません。このまま姫をお連れください。これは私からのお願いです」
「なんだと?」
「これ以上問答しても、無駄でしょう。我々は姫をお連れしたいが、馬超殿に抗う術もありません。国に帰り、千万様にあったままを報告いたします」
「俺に人攫いになれ、というのか」
蒲世が何か言いそうになったが、楊霖が馬超の背後から踊り出て、馬超の胸倉を掴んだ。
「違います馬超殿。私が、馬超殿を攫うのです。さ、行きましょう」
そう言うと楊霖は馬超の手を引き、砂漠の丘を駆け出した。
訳が分からず楊霖に引っ張られるまま、馬超は砂漠の砂を踏み出した。
振り返ると、蒲世はじめ隊のもの全員が平伏して、二人を見送っていた。