楊霖は馬超の背に、静かに身体を預けていた。馬超は一歩一歩、砂を踏みしめて進んでいる。
頭曼城に向けて歩き続けて四日目だ。昨日まで何とか自らの足で歩んでいた楊霖が、膝を折った。
幸い水はあるので、死ぬことはない。ただ食料が十分にない経験など、楊霖にはなかったのだろう。馬超の背で何かにじっと、耐えている。
馬超もさすがに疲労を感じたが、身体の辛さなど、何ほどのものではなかった。むしろ何かから逃れるために、鍛錬で身体を苛めてきたといっていい。今は楊霖と共に、頭曼城へ行くという目的がはっきりしている。心はむしろ、軽かった。
夜もかなり更けてから、最後の泉に辿り着いた。遊牧民の建物もあり、馬超はその中で楊霖をそっとおろし、湯餅の準備を始めた。風が凌げるだけでも、随分ありがたい。楊霖は眠っているのか、微かに寝息を立てていた。
馬超は、焚火に照らされた楊霖の顔を覗き込んだ。いままであまり女性の顔を見つめたことはないが、楊霖は目鼻立ちがしっかりしていた。端麗な顔立ち、というのだろう。馬超は練った湯餅を枝に刺し、火にかけた。袋の中の麦の粉は、これでなくなった。
予定より一日遅れてはいるが、何とかなりそうだ。明日には頭曼城へ着くはずだ。そこでしばらく楊霖を休ませよう。呼廚泉に会いに行くのは危険だが、頭曼城に着けば、楊霖の気が変わるかもしれない。馬超は湯餅が焼けるまで、足を伸ばし揉んだ。
「馬超殿」
背後から声がした。
「私は、情けない」
馬超は振り返らなかったが、楊霖はうずくまって泣いている様だ。楊霖の次の言葉は、待っても出ては来なかった。
「明日は頭曼城へ着く。何も心配することはない」
馬超は楊霖の気を紛らわせようと、話を逸らした。
「私は心配をしているのではない。私の弱さを恥じているのだ」
馬超の試みは失敗に終わったようだ。こんな風になった女の扱いを、馬超は知らない。次の言葉が見つからなかった。
馬超は焼けた四つの湯餅のうち、三つを楊霖に差し出したが、楊霖は首を横に振って拒んだ。
「私は、今日歩いていない。湯餅はすべて馬超殿が食べてください」
「楊霖殿、明日は頭曼城に着く。食べるものもたくさんあろう。気にせず食べるのだ」
楊霖は足を抱えてうずくまったまま、湯餅を拒み続けている。
「ならばこうしよう。この湯餅は俺たちが二つずつ食べる。それで楊霖殿は明日一日、頭曼城まで歩いてもらう。これで平等だろう?」
楊霖はしばらく黙った後、微かに頷いた。馬超は息を一つつくと、言い知れない徒労感を感じた。
馬超は湯餅を腹に押し込むと、少し離れて大刀を振り始めた。
砂漠に入ってから、毎日砂の上で大刀を振っている。建物のそばの砂は硬いが、馬超は柔らかい砂の上を選んで大刀を振っていた。
初めは踏み込みが雑で、砂に足を取られていた。しかし構えた大刀を含む己の中心に意識を集中し、全ての力をその中心に集約するように動けば、足が取られないことに気付いた。そのように動けば、重い大刀もまるで自分の身体の一部のように振ることができた。
馬超がひとしきり大刀を振るうと、砂塵が舞ってはそれが引き裂かれ、細かく舞った砂が月明りに照らされて、輝きながら降ってくる。そして心地よい疲労感が、馬超に残った。砂が足に取られていたころは、足の突っ張りが不快感としていつまでも残っていたものだ。
もうこれ以上身体が動かない、というところまで大刀を振ると、馬超は大刀を鞘に納めた。
空が、白み始めていた。
馬超は焚火のそばで横になると、眼を閉じた。
「馬超殿はなぜそんなに強いのですか?少ない食料でも一日中歩き、鍛錬も欠かさない。私には到底できそうにもないことです」
「俺は自分が強いなどと思っていない。いや、以前はそう思っていた。誰にも負けない程鍛錬をしたとも思っていた。自信があったのだな。しかし、前の戦であっさり負けた。そして、死にかけた」
馬超は横になったまま、首筋の傷跡に指先を当てた。あれ以来、驕慢が心に芽生えそうなときは、無意識に首筋に指を充てるようになった。自分は弱い。そう思うと、不思議に鍛錬にも身が入り、冷静に自分の動きも見えるようになった。
楊霖が馬超に身体を寄せてきて、馬超の首の傷跡に、そっと触れた。