頭曼城は、呼廚泉が滞在していることもあってか、活気に満ちていた。人の往来も多く市も開かれており、栗や麦、絹などの産物が並んでいた。
匈奴の男は皆精悍で、身体も大きかった。遊牧と騎馬で鍛えられた身体は屈強で、漢は永きにわたり匈奴の騎馬隊に苦しめられてきたことが、この匈奴の男の体つきを見ると実感できた。対して漢族は農耕に従事する民が多く、中背で細身である。代りに学術に優れ農業の生産性も高く、肥沃な大地に強大な帝国を築いてきた。
楊霖は、馬超の足並みにしっかりと付いてきた。どこか吹っ切れたところがあり、前向きな気を放つようになった。到着した日は宿で一日泥のように眠っていたが、次の日からは頭曼城の町を興味深そうに歩き回った。
しかし治安はあまりよくなさそうだった。目つきの悪いごろつきのような輩も見受けられ、馬超は常に楊霖の身辺に気を払った。
前方より近づいてくる一行を見て、馬超は目を疑った。先頭を歩く老人は、武威で出会った、泉の場所を教えてくれたあの老人だったのだ。老人は馬超に気付くと、おう、といって近づいてきた。
「若いの、無事にたどり着いたようじゃの」
老人が微笑みながら言った。身なりは襤褸ではなく、匈奴の民と同じ胡服である。
「ご老人に泉の場所をご教示いただいたおかげです。まさかまたお会いできるとは」
一行は老人の他は皆若者のようだ。馬などは連れていない。つまり皆己の足で歩いてきたのだ。つまり、馬超たちとさほど変わらない日程で砂漠を抜けたことになる。
「おじい様」
背後から楊霖が駆けてきて、老人に抱き着いた。
「この大馬鹿者め、砂漠で蒲世に行き会って事情は聞いた。心配かけおって」
老人の声は厳しかったが、何処か優しさを帯びていた。老人は楊霖を脇に退けると、馬超に一礼した。
「そなたがあの馬超殿であったか。儂は楊騰と申す者。楊霖がご迷惑をおかけいたした」
馬超は、楊騰の放つ気に圧倒された。武人のような猛々しさを内に秘めながらも、全てを包み込むような柔らかさがあった。英傑の気、馬超はそう直感した。
「こちらこそ、あなたに泉の場所を教えていただけなければ、砂漠を越えることは難しかったでしょう。楊霖殿を伴うことになったのは、まあ成り行きでしょう。気にしておりません」
「馬超殿を伴ったのは私の方です。忘れないでいただきたい」
「あなたが楊霖殿の祖父君であったとは」
「こちらこそ、蒲世に馬超殿の事を聞き、頭曼城へ急いだのじゃ。会えてよかった」
二人は近くの食堂で話すことにし、歩き出した。全く会話に入れてもらえない楊霖が、不貞腐れながら付いてきた。
楊騰は雍州周辺の氐族をまとめ上げ、仇池へ本拠を移したという。その後、息子の楊駒へ家督を譲り、楊駒は四方を山で囲まれた仇池の地を白項氐国とし、知勇を用いて守り抜いた。
しかし昨年楊駒が若くして病没すると、後を継いだ楊千万が、突然攻城兵器の開発と調練を始めたのだった。千万は幼少より蛮勇が指摘されていたという。
「民族の誇りを持ち戦うのはよい。じゃがそれが野心となり民を戦禍に巻き込むのは、許されることではない。儂はそう思うのじゃが、馬超殿」
楊騰の顔には深いしわが刻まれているが、眼の光は強く、声にも覇気があり馬超の肚に響いてくる。それは馬超にとって、心地よいものだった。
「私は未だ若輩者故、戦の是非の判断は付きません。しかし一族の長が決意を持って戦に臨むのなら、民も覚悟を持って付き従う他はないとも思います」
楊騰は目をつむり少しうつむいた。目を閉じた楊騰は本当の老人のようにも見えた。
「兄上は間違っています。民のための戦とはとても思えません。今、漢に攻められているわけではないのです」
楊霖が勢いよく立ち上がりながら言った。
「控えろ、楊霖」
「いえ楊騰殿、楊霖殿の言われることも正しいと思います。人の数だけ正義がある、という事なのだと思います」
「ふむ、では馬超殿の正義をお聞かせ願おう。常人が扱えぬほど大きな大刀を背負い、その武に耐えうる馬を求める武人の正義とは、何か」
馬超は、正義で武を磨いているのではない、と思った。
戦で武人としての誇りを穢された。いや、楊霖のように自ら恥じたのか。弱き自分を肯ことができなかったのか。よくわからない。
ただ馬家のために、自分が強くならねばならない。それだけははっきりと自覚できている。ただそれを今、言葉にしようとは思わなかった。
「楊騰殿、楊千万殿に会わせてはいただけないだろうか」
楊騰の表情が、あるかなきかの反応を見せた。
「なぜ?」
「俺は武人です。是非はともかく、戦を決意した男の前に立てば、何かが分かるかもしれない」
楊騰は、しばらく馬超の眼を見つめた。
「儂は隴西の馬騰殿を、一角の英雄だと思っておる。その嫡子である馬超殿の考えをお尋ねしたにすぎぬ。今、馬超殿を馬騰殿の許しなく千万に会わせるのなら、別の意味を持つことになりかねぬが」
楊騰の英傑の眼差しが、馬超を射抜いてくる。その圧に、馬超は耐えた。
「俺が元服した時、父は俺にあらゆる自由を与えました。己を磨く為であれば、何をしてもよいと。たとえ一人で万の悪に立ち会うことも、己の成長の為であれば許すと」
「なるほど、それで一人で砂漠を越え、馬を求める旅に出た、という事か」
馬超が、楊騰の眼を見つめたまま頷いた。
「よかろう。すでに隠居した儂の許可など、本来いらぬのだが、儂が一筆書けば話も早かろう」
「感謝しいたします。楊騰殿」
「しかし馬超殿、その前にお主がここに来た目的を果たさねばの」
「私の目的もです。おじい様」
楊霖の胆が込められた声を聞いて、楊騰が眉をひそめた。
「楊霖、呼廚泉など気にすることはない。儂が呼廚泉の館に矢文を打ち込めばそれでしまいじゃ」
楊騰のたしなめるような声を聞いて、楊霖の顔が見る間に赤く膨れ上がった。
「おじい様、それでは私の気が済みませぬ。婚姻は国同士の約束事、氐族の品性が疑われますわ。破談にするにしても、それ相応の礼を尽くさねば」
楊騰が、深いため息を一つついた。
「もともとは、千万の馬鹿者が口うるさいお主を遠ざけようとしただけじゃ、婚姻といっても、呼廚泉は妾がひとり転がり込んできたとしか思っておらんぞ。それに匈奴と氐族が結ばれたとしても、戦略的な意味もほとんどありはせん」
「いいえ、おじい様は間違っておられます。白項氐国は歴とした国なのです。一部族の集落ではありません。国として礼を失すれば、世間の笑いものになりますよ」
楊騰が、困ったような視線を馬超に投げかけてきた。
「分かりました、楊騰殿。私が楊霖殿と呼廚泉に会ってきましょう。一言挨拶をすれば、楊霖殿の気も済むことでしょう。すぐに戻ってきますよ」
「そうじゃのう、馬超殿には重ね重ねご迷惑をお掛けするが」
楊霖が卓を叩いて立ち上がった。その音に二人は驚いて少し腰が浮いた。楊霖の顔がさらに赤く膨れ上がっている。
「馬超殿は私が連れてきたのです。黙って私に付いて来れば、それでよいのです」
二人は、もううんざりだという顔で、運ばれてきた料理に箸をつけた。