「賊だと」
轟交賈の輸送隊の隊長が、ひとりで現れて賊の存在を胡土児に伝えた。包頭市の北東の山中に、五百程の賊が根城を築いているという。大きな城郭は襲われないが、二千人ほどの小さな邑は常に略奪の危険に晒され、現に麓の銀号鎮という邑はすでに度重なる襲撃を受け、壊滅寸前だという。輸送隊もその村を通過することができず、手前の山中に荷と共に身を潜めているという。玄旗隊も村を迂回し、山中の小径で合流するように提案してきた。
「いや、間道を抜け銀号鎮へ進む。お前は影から邑の様子を見て、安全と判断したら荷を銀号鎮へ運べ」
隊長も胡土児がそう言うであろうと予想していたのか、少し肩をすくめると、駆け去っていった。
「蕭尤、耶律哥、進発だ。間道を抜け、麓の邑を目指す」
「胡土児様、何事ですか」
「五百の賊退治だ。鍛錬の成果を示せ」
二人がにわかに色めき立った。
「そしてお前たち二人はここで従者の任を解く。玄旗隊の将校として、状況に応じて二百騎の指揮を執れ。戦闘準備、一刻後に進発」
二人が肩を震わせ直立し、上ずった声で命令を復唱すると駆け去っていった。
胡土児自身も、何かが始まる予感に心が躍った。
山の中腹、村が見渡せる場所に出ると、村のそここに火の手が上がっているのが見えた。微かな闘争の気配が、血の匂いと共に伝わってくる。火の手は主に村の南側で起き、手前の北側は静かだ。
「急ぐぞ」
胡土児は馬を返し、駆け出した。すでにけもの道は抜け、馬を駆けさせることができる道に出ていた。ひと駆けで麓に降りた。
胡土児は並足で邑の道を進んだ。村の北側は静まり返り、人の営みの気配はない。すでに村人は邑を放棄するか、避難するかしたようだ。
不意に街道沿いの家から礫が飛んできた。礫は胡土児の馬の足元に力なく、転がった。
「けだものめ、帰れ」
見ると杖を突いた老人が、こちらを睨みつけている。眼は落ち窪み、血走っている。杖を突く手は震え、立っているのがやっとのようだ。胡土児はゆっくり馬を降り、老人に近づいた。老人は腰を抜かし、尻餅をついたが、目だけは胡土児を睨みつけている。
「爺さん、勘違いするな。この軍は賊ではない。賊のことを教えてくれ」
胡土児が腰の水筒を差し出すと、老人は胡土児から水筒をひったくり、水を一息に飲み干した。すると震えは止まり、落ち着いたようだ。
「あんたらどこの軍だ」
「俺たちはどこの軍でもない。私兵みたいなもんさ。その賊とやらは、どこにいるんだい」
「奴らはここから十里ほど南の山中の、九長城を根城にしておる。この邑は城から
一番近く、すでに食いもんは奪い尽くされ、若い女もほとんど連れ去られていかれた。他の者は皆邑を捨ててどこかへ行きよった。この邑はもう終わりじゃ」
「爺さんは逃げなかったのか?」
「わしゃもう十分生きた。この通り歩くこともままならんのでな。賊が来たらこいつで、ひと刺しして死んでやろうと思って、待ち構えとったんじゃ」
老人が足元の踏み鋤を指さして笑った。しわくちゃな顔が、さらにしわくちゃになった。歯はほとんど残ってない。
「地方軍はその賊を討ちに来なかったのか?」
「軍など来るわけなかろう。奴らは民の反乱を鎮圧するためと、わしらから税を取り立てるためにおるんじゃ。武装した賊など、危険を冒して退治するわけがなかろう」
何のための軍だ。何のための国だ。老人の言葉を聞いて胡土児は思った。国は民の安全も守ろうとせず、税を取る事しか考えていない。この老人にとって、国などないほうがいいのだ。この老人の生涯は、賊に怯え、国から搾取される人生だったに違いない。
「賊は何もない邑を、何故襲っているんだい?」
「奴らは殺戮を楽しんでおる。邑を離れられない者を見つけては嬲り殺し、家に火を放ち遊んでおるのじゃ」
「遊び、だと」
その言葉を聞いて、胡土児の心の中に、黒いものが沸き起こるのを感じた。それはある程度大きくなると、胡土児に抑えられ小さく硬くなり、また膨らもうとする。
「分かった。爺さん。ありがとうな」
胡土児は振り返った。
「あんたはいい奴じゃ、会えてよかったよ」
「爺さん、死ぬ覚悟なんて、そうそうするもんじゃないぜ」
胡土児は老人を見ずに、隊に駆け戻った。
「蕭尤、耶律哥、百騎ずつ率いて邑の南側を駆け回れ。賊を討てるだけ討ち、南十里の根城まで追い込め。ただし山中に罠があるかもしれん。山の手前で待機。犠牲は許さん」
胡土児が馬に飛び乗りながら言うと、二人が復唱し、玄旗隊が駆け去っていく。胡土児は一人、南に向かってゆっくり歩みだした。しばらくして、怒号と叫び声が邑にこだましてきた。