東京瘋癲酔人日記 -43ページ目

東京瘋癲酔人日記

夜の街で飲み歩く、私、安吾の日記。

キャバクラ、BAR、居酒屋などで見かけた様々な事柄を綴りながら、自作の小説も発表しています。

 キャバクラで遊んでる方なら、誰もが「想いを遂げたい」と思ったことがあると思う。
 その度合いは、ひとにより違うと思うが、まったくそんな風に思ったことがない方は、いないと思う。どうだろうか?

 私がいままで「想いを遂げた」ときのことを思い出してみると、そのほとんどが「あれっ?」って感じで、簡単に遂げてしまったことが多い。初めての店、または、初めて会ったキャストで、その日に場内入れて、アフター。そのまま想いを遂げてる。まさに「出会いがしらの事故」のようである。出会ったその日ではなくとも、次に会うのは店外で、そのまま遂げる、というのも多い。これも、最初に会ったとき「出会いがしら的」な「何か」が、お互いの間に漂ってる。漂ってるから、最初の場内で、即、店外なわけである。
 こういった「出会いがしら的な何か」というのは、恋愛の始まりやいち夜の出来事が起こった時、お互いの間に漂っている。つまり、キャバクラで想いを遂げたとき、「出会いがしら的な何か」が漂っていれば、それは、キャバクラ嬢として、想いを受け入れたというより、単純に、客を「好きだ」と思ったわけで、「出会いがしら的何か」=「ひとめぼれ」ということだ。
 「ひとめぼれ」されることは、人生において何度もあるわけでなく、当たり前だが、20数年飲んできても、「出会いがしらで想いを遂げた」ことは、10本の指で足りてしまう。また、こういった場合、「想いを遂げた」あとはつきあうという形になることが多い(キャストとの恋愛については、また、別のときに書いてみたい)。
 では、出会いがしら以外で想いを遂げたときのことを考えてみると、そのほとんどが、いわゆる「枕」だった。色恋営業の延長線に枕が用意されてる場合、やり方さえ間違わなければ、ほとんど想いを遂げることができる。この「やり方を間違わない」というのが、実は、なかなか難しく、「枕を出さなくても、色恋だけで引っ張れる」とキャストに判断されたら、永遠とそのチャンスは訪れない。もし「想いを遂げるため」または「つきあいたい」と思って通っている客が、キャストにそう判断されたら、お金を使えば使うほど、ゴールは遠くなる。
 では、「出会いがしら」だけに絞って、次々と指名を変える、または、一人のキャストを長く指名しないというのが、正解か、といえば、そうでもないようだ。前者に関しては、ものすごく効率が悪いし、後者の場合でも、長く、そして一途に指名したことで、相手に想いが伝わり、うまくいくといこともあった。
 つまり、キャバクラで想いをとげるのに、近道やマニュアルはない、という至極あたりまえの結論に達する。ただ、確実にいえることは、今までの人生のなかで、全く恋愛経験をもってない客は、キャバクラでも、もてないということ、そして、数多くの男性、しかも「下心を持った男性」に接する機会が多いキャストたちは、学生やOLより遙かにシビアに男を見てるということである。
 あなたが、使っても使っても枯れない財布をお持ちなら、アプローチの仕方も変わるし、違う世界が開け、想いを遂げることができるだろう。実際に、そうやって飲んでいる方もいる。しかし、私のような極々普通の勤め人が想いを遂げるのは、なかなか難しいわけである。
 かくいう私も、想いと遂げようとして貯金通帳をゼロにしたり、寒空の下、待ちぼうけをくったり、家まできていただいたのにのらりくらりと誤魔化されて、想いを遂げられなかったりと、散々「しんどい勉強」してきた。
 それでも、あの「出会いがしらの事故」が『今夜こそ、また、起こる気』がして、夜の街を彷徨う。
 ほんとに懲りない、アホである。
 実際に川が流れる店もあるが、ここでいう川とは、バーカウンターのことである。

 新宿にCというバーがある。もう20年以上通っている店で、同名の兄弟店が銀座にもある。ボトルキープができる店で、店内には、いわゆるフュージョンといわれる音楽が流れており、しかも、アルバム1枚につき1曲で、次のアルバムをかけるという気の使いようだ。数百円のチャージを取られるが、カウンターやボックス席のテーブルに置いてある数種類のナッツやチョコレートを、自由に食することができる。キープボトルを飲むには、ボトルチャージも取られるが、両方あわせても千円ちょっとであり、ボトルが底をつくまで、その料金で飲んでいられる。氷ももちろん、かち割りである。
 この店の良さは、客と店側との距離感にある。
 ボトルキープができる店なので、当然、常連と言われる客も多いが、バースタッフと常連客との間に親密さはあるものの、そういう店にありがちな「排他的な雰囲気」がない。
 私は、ほとんど一人で訪れ、軽い本を片手に飲んでいることが多いが、読んでいるときや、本を閉じて、ぼーっとしているとき、スタッフは決して必要以上の会話してこない。しかし、私がちょっと酔って「軽口をたたきたいな」と思っていると、すーっと声をかけてくる。
 ここのオーナーマスターと話をしていて、この「距離感」の話になった。マスターは「お客さんと私たちの間にあるこのバーカウンターは、『川』みたいなものです。決して、なくならないけど、そのときのお客の気分を察して、川幅を広くしたり、狭くしたりしなくちゃいけないと思ってますよ」と言っていた。
 お酒の種類やカクテルの技量だけが、BARの魅力ではないと思う。ただ、酒を飲むだけなら、家で飲んでも同じなわけで、こういったプラスαが、人を酒場へと向かわせる。
 もちろん、このC、お酒の種類やカクテルの味もなかなかである。
 JRの比較的大きな駅の構内に、即売店が出ていることが多い。今日、会社の帰り、その一軒に、まさに誰かに背中を押されるように立ち寄った。老眼鏡を販売する店である。
 中学の時から、いわゆる「ピントフリーズ現象」にあり、遠近のものを見分けるのが不得意である。目の前の教科書を見ていて、目を上げ黒板を見ると、霞んでおり、数秒後ピントが合う。その後、また、教科書を見ると、やはり霞んでおり、同じようにピントが合うまで数秒間かかる。
 こういった症状を抱えているため、40歳を過ぎて、近くのものが見えにくくなっても「ちがう!ちがう!」と言い聞かせてきたが、同年代の友人が、かけ始め、「まさか?」と思っていた。しかし、吸い寄せられた店で、一番、度が軽い「1.0」というのをかけて、設置されている「かけて、見てみてください」と記された、細かい字がたくさん書き込んである紙をみてみると、なんと楽なことか。
 昔から、「目・歯・魔羅」といわれており、その順番で厳しくなるようだが、厳しさが、私にも忍び寄ってきたようである。
 独身・×なし・子供なし。「平成生まれのキャストと想いを遂げるまでは」と日々精進しているが、肉体は待ってくれそうもない。
 魔羅の口ひげに白いものを発見したときと同じ衝撃をうけた夜だった。