東京瘋癲酔人日記 -31ページ目

東京瘋癲酔人日記

夜の街で飲み歩く、私、安吾の日記。

キャバクラ、BAR、居酒屋などで見かけた様々な事柄を綴りながら、自作の小説も発表しています。

d7a905b3.jpg  寝てしまえば、月曜日。それがいやで、ダラダラ「OUTPUT」を見ている。日曜日の深夜に軽いエロ…サラリーマンの見方だ、テレビ東京は。明日もマンデーブルーになるだろうから、一軒行くことになるな.....
 北方謙三は、くすぐったい。批判を恐れずに言えば恥ずかしい。決して小説のことを言っているわけではない。マスコミへの自分のプレゼン方法である。

 今日、テレビ東京の「ソロモン流」に北方謙三が出ていたのだが、あのような自己演出に惹かれる男は多いだろうと思いながら見ていた。ふた昔前なら、そこそこいけてるのかもしれないが、あの過剰な「俺流=男とは○○であるべきだ」発言やこだわりは、今の空気にマッチしない。
 誤解を恐れずに言えば、ハードボイルドとも言えない気がするが、、、。こだわる自分に多少の照れ感じながらも意地を張り通すが、それを「誇張」しないところにグッとくるものだと思う。
 照れがまったくないものに、今のキャストたちは反応するのか?それとも「過剰な俺流」が昔と変わらずもてるのか?
 男の生き方の是非ではなく、キャバクラでの評価を私は知りたい。

 こんなことを気にしてる私は、生き方も評価も低いだろう、、、でも、正直、恥ずかしいと感じてしまう。趣味の問題なのか。
 駅で、若いサラリーマンがスタンドミラーで髪型をチェックしているを見た。これは、今、普通の事なのか。

 朝、眠さをこらえてホームに立っていると、若いサラリーマンが鞄からスタンドミラーを取り出し、「無造作ヘア」の微妙な崩れを直しているのだ。着ているスーツは気をつかっているようだが、私の趣味ではなかったし、正直しんどい感じである。そんな感じのサラリーマンが1分ぐらい、鏡とにらめっこしているのだ。
 大概のことでは驚かないが、この時は眠さが吹っ飛んだ。私も、ふとショーウインドウに映った自分をチェックし、髪の毛は崩れを気にするほどの量がないので、ネクタイの結び目やポケットチーフを直すこともある。しかし、男か公衆の面前でスタンドミラーを見ているのだ。これは、どうなのだろう。
 ホームや電車の中で化粧を直す、また、いちから化粧を始める女性がいるが、このことについては、マナーという観点より、プライドという言葉が浮かぶ。ヘアスタイル、メイク、ファッション、こういった「身を飾るもの」は自分を武装するものだと私は思っている。外見に気を使うのは薄っぺらいという考え方があるが、これは間違いだ。もちろん、人間、中身が大切ではあるが、外見に気を使うのは社会生活を円滑に営んでいくための武装であると私は思っている。別におしゃれに気を使わなくても、シーンに合わせ、身だしなみを整えればいいわけで、これを怠ると、社会生活の様々なシーンで相対する相手にマイナスイメージを持たれ、円滑に進まないのは事実だ。
 日本人は外見で人を判断しないということになっているが、最近はあやしいと思う。海外では元々外見で人を判断する。それは、初めて会う相手に的確な判断を下さないと、大げさな言い方になるが侵略されるおそれがあるからだ。ほぼ同一民族が海に囲まれた領土に暮らす日本人には理解しがたいことだが、土地に何となくひいた線で国が分かれている地域では、他民族の侵略は日常茶飯事である。そのため、欧米人は目が合うと笑いかけるのだ、「敵意がない」ことを示すために。
 話がそれたが、こうした武装は、自分の陣地でやるべき=家でやるものだと思う。それができてない=準備が整わない「素の状態をさらす」ことに耐えられるか否かのプライドの問題だと思う。
 外見を良く見せたいのに、それを整えるところを公衆の面前で見せる。不思議な心の動きだ。仲間の視線がない場所は、他者も存在しない誰もなにもない空間=砂漠の中みたいな意識なのか。

 もし、若い男のなかでスタンドミラーが既に常識なら、世間に疎くない、とうぬぼれていたことになる。
 常識ではないことを願いたい、、、
 そういう意識を持てない私は、たぶん、若いキャストの意識も察知できず、キャバクラが楽しくなくなるからだ。