今年の4月から専門職大学院に通っているというお話をしましたが、先月前期の講義が終わりました。専門職大学院では、社会教育・生涯学習をテーマに勉強をしています。以前に退職代行サービスの話を書きましたが、勉強をしているうちに、若者がなぜ退職代行サービスを利用するのかがわかってきました。生涯学習概論という講義の最後に、若者が自ら意思表示をせずに、この退職代行サービスを利用して退職の意思表示をする社会現象について考察して発表しました。今回は、そのことについて書いてみたいと思います。

 

 毎年5月ごろになると退職代行サービスのことが話題となります。退職代行サービスは、本人に代わって退職の意思を会社に伝えるサービスです。近年の働き方や職場環境の変化に伴い、利用者が急増しています。退職代行サービスが本格的に登場したのは、2010年代前半〜中盤とされています。2000年代後半〜2010年代初頭にかけて、ブラック企業や長時間労働が社会問題化した時期に「辞めたいけど辞めさせてもらえない」人がこのサービスを利用したことをきっかけに注目され始めたと言われています。また、2017年頃、このサービスがテレビやネットで話題になったことで「退職代行」という言葉が一般的に知られるようになりました。2020年代以降、コロナ禍や働き方改革の影響で、退職代行の利用がさらに加速しました。下の統計[1]を見ると、退職代行は、若年層を中心に「普通の選択肢」として定着しているように見えます。

 

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■退職代行サービス利用件数
  の推移(企業側の回答ベース)
  ■年代別の退職代行サービス
    利用率(2023.6~2024.5)
年 度 退職代行を利用して退職した社員がいた
企業の割合
  年代 利用率
 2019年以前 約15.7%    20代 18.60%
 2020年 16.10%    30代 約14〜16%
 2021年 16.30%    40代以降 10%未満
 2022年 19.50%   ※調査対象は転職した正社員800名
出典:「退職代行サービスに関する調査レポート(2024年)」マイナビキャリアリサーチLab
 2023年 19.90%  
 2024年上半期 23.20%  

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 ここでは、若年層が退職代行サービスを利用するという社会現象を考察し、それを引き起こす社会的環境の変化とそのために生じている若年層の「生きる力[2]」の低下について考えたいと思います。

 


[1] マイナビキャリアリサーチLab「退職代行サービスに関する調査レポート(2024年)」企業の人事担当者を対象に、2024年1月〜7月の中途採用活動に関する調査の一環として実施。

[2] キャリア教育における「生きる力」は、人生そのものを主体的に築くための総合的な力を意味します。

 

 

  なぜ退職の意思表示ができないのか?

 

 最近の若者が自分で退職の意思表示をすることをせず、退職代行サービスを利用する背景には、会社に直接「辞めたい」と言えない心理的な葛藤があるようです。上司を怖いと感じたり、気まずいと感じたりするなど、対面での「退職交渉」が強いストレスになる若者が相当数いると思われます。また、人によっては、対人でのやり取りを「煩わしい」と感じてしまうこともあるようです。SNSやチャットによるコミュニケーションが日常となった世代にとっては、対面コミュニケーションが逆に「非日常化」しています。そのため、人と面と向かって話すことそのものが、今の若者にはストレスになり易いと推測されます。

 

 これは、社会環境の変化による構造的な傾向と言えます。携帯電話とLINEなどのSNSによるコミュニケーションが主流の世代にとって、電話は「親しい人とするもの」であり、知らない人との通話は「非日常」となります。したがって、知らない人からかかってくる電話は緊張の対象となります。実際、ある調査では「知らない番号からの電話は怖くて出られない」と答えた若者が多数いました[1]。学校でもオンライン授業やチャットツールによる教育が増え、対面での言葉によるコニュニケーションの機会が減少しています。このことで表情・声・間の取り方などの非言語コミュニケーションの機会も失われています。同時に、対面でのコミュニケーションそのものが負担と感じる若者も相当数いるようです。

 

 対面コミュニケーションの経験が少ない若者にとって「面と向かって伝えることは怖いこと」という認知が形成され易くなります。したがって、対面でのコミュニケーションに慣れていない場合、退職の申出のような機微な事柄について強い不安を感じ、「避けたいこと」として意識されがちとなります。また、自分の気持ちを言語化する経験が少ないため「言葉で表現する力」が未発達で、「辞めたい理由を説明する」ことに困難を感じてしまいます。さらに、対面で伝えることで相手との関係が壊れるのではないかという必要以上の不安を抱き、沈黙や回避を選ぶ傾向が強くなります。その結果、退職の意思表示をすることを代行サービスに頼ることになります。

 


[1] 株式会社ソフツー「電話業務に関する実態調査」(2023年10月)

[2] 「国語に関する世論調査」Ⅰ 話し方やコミュニケーションについての意識(令和6年1月)

 

 

  対面コミュニケーションが減少する社会環境の変化

 

 対面コミュニケーションの不足は、実際の調査や報道でも指摘されています。文化庁の調査[2]では、若者の約40%が「日常的に対面コミュニケーションをほとんど取っていない」と回答しており、対面での会話に不安を感じる若者が増えています。また、「退職の意思表示は煩わしい」と感じる傾向も強まっています。このような若年層の対面コミュニケーションの減少は、デジタル技術の影響だけでなく、社会環境の変化も一因となっています。対面コミュニケーション機会の減少の要因となる社会環境の変化としては、次のことが挙げられています。

 

  1. 核家族化・少子化
    • 家族内での会話の機会が減少し、異世代との交流が希薄になっている。
  2. 地域コミュニティの希薄化
    • 近所付き合いや地域行事が減り、日常的な対話の場が失われている。
  3. 学校教育の変化
    •  知識重視の教育が続き、対話や表現力を育てる機会が不足している。
  4. 競争社会によるストレス
    • 他者との関わりが「負担」と感じられ、関係構築を避ける傾向がある。
  5. 個人主義の風潮
    • 「自分のペースを守る」「人に関わらない」が尊重される風潮がある。

 

  対面コミュニケーション減少の影響

 

 若年層の対面コミュニケーションの不足は、単なる「会話が苦手」というレベルを超えて、人間関係・社会参加・精神的健康・職業能力など、さまざまな領域に影響を及ぼすことになります。対面コミュニケーションは、単なる「言葉のやり取り」ではなく、非言語情報(表情・声・間・姿勢)を含む「総合的な人間理解の場」です。これが不足すると、相手の感情や意図を読み取る力が育たず、結果として「関係性の構築」や「信頼の醸成」が難しくなります。社会環境の変化によりもたらされた若年層の対面コミュニケーションの不足は、退職代行サービスの利用という現象にとどまらず、様々な深刻な問題を引き起こしつつあるように思えます。下表に具体的な影響とその現れ方を整理します。

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■対面コミュニケーションの経験不足がもたらす主な影響
領域 具体的な影響 現れ方の例
人間関係 ・信頼関係の構築が困難
・誤解や距離感が生じる
・挨拶ができない/挨拶をしない
・表情や声のトーンが読めない
職場・職務遂行 ・報連相が苦手 ・接客、電話応対やプレゼンなど強い不安
・何も言わずに帰宅/休憩でいなくなる
就職活動・退職 ・面接が苦手
・退職の申出が不安
・面接で極端に緊張する
・退職代行を使い退職の意思表示をする
教育現場 ・グループ活動/発表に消極的 ・ディスカッションで発言できない
・発表で極度に緊張する
社会参加 ・地域活動/公共の場での交流が減少 ・地域イベント/ボランティアに参加しない
メンタルヘルス ・孤独感や不安感の増加 ・人と話すこと自体がストレス
・回避傾向が強まる
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  職場で見かけるその他の現象

 

 私の経験した具体的な事例を紹介しておきましょう。ある年に第二新卒の女性が入社してきました。私には「新人の仕事は電話とり」との認識があります。ところが、この女性は、外線電話を全く取りません。何日か様子を見ていましたが、一向に外線電話を取る様子がありません。すべて先輩社員がとっているのです。一方、先輩社員たちも「あなた電話を取らなくちゃダメでしょ」と指導をしません。やむなく私が直接その女性に言いました。「先輩たちに電話を取らせてばかりじゃだめだよ。あなたが率先して電話を取りなさい。」その女性は、少しずつ電話をとるようになりました。

 

 あとで知った話ですが、この女性は、外線電話をとるのが怖かったそうです。生育期に、対面コミュニケーションの機会が不足していたのかもしれません。一方で、先輩社員たちが、この新人女性に対して何も指導をしないことにも驚きました。昔は、先輩社員が当然のこととして新人社員を指導していました。先輩社員たちも後輩を指導することで、嫌われたりするのではないかという心理があるのかも知れません。若年の社員同士で、波風を立てない態度をとる風潮があります。

 

 もう一つの事例が、挨拶ができない(をしない)社員です。この社員は、朝、出社して「おはようございます」の挨拶をしません。気づくと自席に座っています。夕方、姿が見えないなと思うと「お先に失礼します」も言わずに帰ってしまいます。もちろんこのような社員に対しては指導して、事態を是正していくわけですが、どうしてそうしなければいけないのかを説明しなければなりません。

 

 職場での「おはようございます」という挨拶は、その日の最初の対面コミュニケーションです。挨拶は「相手の存在を認め、自分の存在を示す行為」で、その日一日の職場の人間関係の開始を宣言するものです。もし、あなたが、職場の同僚や部下から挨拶をされなかったら、不快な気持ちになると思います。それは、あなたという存在が無視されたからです。

 

 また、「おはようございます」という挨拶は、組織における指揮命令関係の上では「ホウレンソウ[1]」です。上司に対しての「おはようございます」という挨拶は「ただいま出社しました。これから業務を開始します」という報告です。協働関係にある同僚に対しては「今日も一日ご協力をお願いします」というメッセージが込められています。挨拶は、情報の伝達だけでなく、報告や協力意思の表明という社会的役割を担います。体育会系の指導であれば、有無を言わさずにそうさせるところですが、職場では、上述のことを理解してもらう必要があります。

 

 挨拶は、単なる出会いや別れの言葉ではなく、組織における関係性の構築と業務上の報告です。「挨拶をすること」は、人間関係や信頼関係の出発点です。繰り返しになりますが、対面コミュニケーションは、単なる「言葉のやり取り」だけではなく、非言語情報(表情・声・間・姿勢)を含む「総合的な人間理解の場」です。組織は人間同士の相互関係の場であり、単に仕事をする場ではなく、他者と責任を分かち合い、協力し合って仕事をして、目的を達成した時には喜びを分かち合う場でもあります。

 

 対面コミュニケーションの不足が、職場では外線電話をとらない、挨拶をしないなどの現象として現れます。こうした現象を放置してしまうと「人間関係の構築」や「信頼の醸成」が難しくなり、引いては職場の雰囲気を悪化させていく原因ともなります。その結果、組織の内部統制の有効性が低下してしまうことになります。

 

[1] 「ホウレンソウ」とは、ビジネスにおける基本的なコミュニケーションルールの一つで、「報告・連絡・相談」の略語です。組織内のスムーズな情報共有と意思決定のために重要な考え方。

 

 

  キャリア教育における「基礎的・汎用的能力」の育成について

 

 キャリア教育における「基礎的・汎用的能力」は、どんな職業や分野でも活かせる「生きる力[1]」の土台として位置づけられています。文部科学省の中央教育審議会が2011年に提唱した「基礎的・汎用的能力」は、それまでの「4領域8能力[2]」を再構成したもので「社会的・職業的自立に向けて必要な力」とされています。この基礎的・汎用的能力のうち「人間関係形成・社会形成能力」は、対人コミュニケーション能力を基礎として培われるものです。

 

 この基礎的・汎用的能力は、若者が「自立した社会人・職業人として生きていくために必要な力」すなわち「生きる力」の基礎をなすものです。しかし、若者の対面コミュニケーションの減少が、基礎的・汎用的能力の基礎となる「人間関係形成・社会形成能力」の育成を妨げています。この結果「生きる力」が十分に育っていないと思われる若者が相当数いることが推測されます。

 

 

[1] 社会的・職業的に自立し、自分らしく生きていくための基盤的な力を指します。単なる知識や技能ではなく、人生を主体的に切り拓くための総合的な力。

[2] 領域:人間関係形成能力、情報活用能力、将来設計能力・意思決定能力 能力:自他の理解能力、コミュニケーション能力。情報収集・探索力、職業理解能力、役割把握・認識力、計画実行能力、選択能力、課題解決能力

 

 

  日本特有の事情の存在

 

 デジタル技術の発達や社会環境の変化が、若者の対面コミュニケーションの機会の減少をもたらします。こうした状況は、日本ばかりでなく欧米においても起こっていると思われます。そうだとする、欧米でも退職代行のようなサービスが存在していてもいいように思います。しかし、実際にはアメリアにおいても、ヨーロッパにおいても、その他の国においても退職代行のようなサービスは存在しません。このことは、日本独特の雇用慣行や労働事情が影響しているように思われます。

 

 欧米とは違う日本の雇用慣行に「メンバーシップ型雇用」があります。この日本型の雇用慣行が、退職の意思表示を困難と思う若者の心理に影響していると推測されます。欧米の「ジョブ型雇用」では「職務に人」を割り当てます。一方、「人に職務」を割り当てるメンバーシップ型雇用では、社員は「企業に属する人」として扱われるため、会社との一体感や帰属意識が強くなることが知られています。退職することを英語では”quit the job(仕事を辞める)”と表現しますが、日本語では「会社を辞める」と表現することが多いのも、退職は「仕事からの離脱」ではなく「組織からの離脱」、あるいはそれ以上に「共同体からの離反」のように感じられ、心理的な困難が伴うことになります。

 

 また、日本型雇用の場合、職務記述書が存在しないため、自分の役割や成果が明確でなく「辞める理由」を言語化しづらくなります。たとえば、担当業務が明確でないことで「担当業務の何が不満だったか」を言語化しづらくなります。また、成果に対する評価が不明確で「達成感がない」、「成長実感がない」と漠然とした不満を感じる人もいます。業務遂行能力よりも組織内の人間関係性が評価される傾向があるため、「辞めたい理由」が感情的・抽象的になりがちとなります。結果として「辞める理由をうまく説明できない」、「上司に納得してもらえないかもしれない」という不安が生まれます。メンバーシップ型の組織では、上司との関係が感情的な絆の強いウエットな人間関係として築かれることが多く、退職の意思表示が感情的な摩擦を生む可能性もあります。

 

 さらに言えば、「組織で働く」とはどういうことなのか、組織の内部統制の仕組みや労働契約・ワークルールについての知識不足や理解不足があります。労働者保護行政を担っている労働基準監督署や労働局の存在をそもそも知らない人も多いようです。また、日本では、権利教育が十分ではなく「退職の自由」が権利として意識されていないこともあげられます。多くの人は、日本国憲法第22条においては「職業選択の自由」が保障されていて、その必然の帰結として「退職の自由」があることも認識していません。また、民法第627条[1]により「労働契約の解除権」があり、期間の定めのない労働契約(雇用契約)は、当事者の意思で自由に解除できることをほとんど知りません。

 

 こういったことから「退職は迷惑な行為」「辞めるには会社の許可が必要」といった誤った認識がつくられ、退職は、一方的な意思表示でも可能であるにもかかわらず「交渉」が必要と認識しているようです。もちろん退職の理由を説明したうえで、会社に納得してもらう努力は必要です。そのうえで会社の理解を得て辞める(円満退職)のが望ましいことです。説明をしても会社の理解が得られない場合に、最後に一方的な意思表示をして辞めていくことはやむを得ないことだと思います。

 

 労働局の総合労働相談コーナー[2]では、労働トラブルの相談、あっせんなどを行っています。仮に「退職交渉」がうまくいかず、会社を辞めさせてもらえないと思う事態になったとしても、そういった公的機関の窓口で相談すれば、すぐに問題は解決すはずです。そもそも自分の意思に反して会社を辞められないということはないからです。「退職の自由」や「労働契約の解除権」が保障されていることを知っていれば、そもそも退職代行サービスに頼る必要はないのです。

 

[1] 「雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から2週間を経過することによって終了する。」

[2] 労働基準監督署や労働局総合労働相談コーナーについて学校や家庭で教えられる機会がほとんどないと思われます。

 

このように、SNSの普及など社会環境の変化による対面コミュニケーションの不足が自ら退職の意思表示をすることをためらわせます。それに加えて、「組織で働くこと」とはどういうことなのか基本的なワークルールや内部統制の視点から理解していないことで、退職をする場合に、自らとるべき適切な行動を見つけられないようです。このため、退職代行サービスに頼る結果となるものと思われます。

 

 4月から専門職大学院に通い始めました。そこで「社会教育・生涯学習」について学んでいます。皆さんは生涯学習という言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、「社会教育」と言う言葉を知っているでしょうか?社会勉強、社会学習などの言葉は一般的に使っていると思いますが、「社会教育」というと馴染みがありません。

 

  「社会教育」って?

 

 教育には、教育する主体があります。家庭教育というと、その主体は家庭で、親が子供を家庭において生活習慣や挨拶などの社会一般の決まり事などを教育することです。学校教育というと、学校において教師が児童・生徒たちが社会で働けるように学業一般を教育することです。それでは、社会教育というと、社会が誰かに対して、何かを教育することのようですが、ちょっとわかりません。「社会教育」というと、ありそうな言葉ですが、私たちには聞きなれない言葉です。

 実は、「社会教育」という言葉は法律に定められている言葉なんです。ご存知だったでしょうか?日本において、戦後の民主化と教育改革の流れの中で、教育関係の法律が相次いで制定されました。戦後、日本の教育は、民主主義の普及と国民の自主的な学習を促進するために再構築され、教育基本法が1947年に制定されました。教育基本法の中に、社会教育は「個人の要望や社会の要請に応え、社会において行われる教育」と定義されています(教育基本法第12条)。

 

 たとえば、公民館の活動として行われる地域住民向けの歴史講座、健康づくり教室、料理教室などは、住民の交流促進、知識の共有、地域文化の継承を目的として行われる社会教育です。図書館で行われる子ども向けの絵本読み聞かせ、高齢者向けの健康講座などは、世代間交流、読書習慣の促進、情報リテラシーの向上を目的とした社会教育です。地域防災訓練や避難所運営のワークショップ、防災マップづくりなども地域の安全意識向上、協働体制の構築を目的とした社会教育に含まれます。

 

  じゃ「家庭教育」は?

 

 同様に、教育基本法では「家庭教育」についても定義されています。家庭教育は「父母その他の保護者が子の教育について第一義的責任を有する」とされており、家庭教育に関しては、親が一義的な責任者です。「子どもが生活に必要な習慣を身につけることや、自立心を育むこと」が、親の義務とされています(教育基本法第10条)。

 

 このように教育基本法で、家庭教育のことが定められていたのは、ご存知だったでしょうか?お恥ずかしながら、私は、こういうことが教育基本法で定められているのを知りませんでした。したがって、教育基本法に定められている親の義務を認識したうえで、子育てをしていませんでした。その結果、子育てがうまくできていたのかは、はなはだ自信がありません。

 

 また、国や地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しながら、保護者に対する学習機会や情報提供などの支援策を講じるよう努めることとされています。これは、家庭が子どもの教育の基盤であるとしつつも、「社会全体でその支援を行うべきだという考え方」に基づいています。

 

  「学校教育」は?

 

 また、教育基本法では、当然に「学校教育」についても定めています。教育基本法では、「法律に定める学校は公の性質を持つものであり、国、地方公共団体、または法律に定める法人のみが設置できる」とされています(教育基本法第6条)。また、「学校教育は、教育の目標を達成するために、体系的かつ組織的に行われるべきものであり、教育を受ける者の心身の発達に応じた適切な教育が提供される」ことが求められています。

 

 「法律に定める学校」として、学校教育法で「小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校、幼稚園」が含まれるとされています。学校教育は、単なる知識の伝達ではなく、社会的な役割を持ち、国民の教育機会を保障する重要な制度として位置付けられました。

 

  古くからある社会教育

 

 一方、本題の「社会教育」については、「個人の要望や社会の要請に応え、社会において行われる教育」(教育基本法第12条)と定義されています。また、教育基本法が制定された2年後の1949年に「社会教育法」が制定され、社会教育に関する国および地方公共団体の役割が明確化されました。こんなに古くから「社会教育」ということが言われてました。社会教育法では、「国と地方公共団体の責務」について以下のように定めています

1. 社会教育の奨励
 国および地方公共団体は、すべての国民があらゆる機会や場所を活用して文化的教養を高められるよう、必要な施設の設置・運営、集会の開催、資料の作成・頒布などを行う責務を負っています。この法律に基づき、国や地方公共団体は、公民館や図書館などの社会教育施設の設置や運営を行うことになりました。

2. 生涯学習の振興
国民の多様な学習ニーズに対応するため、適切な学習機会の提供と奨励を行い、生涯学習の促進に寄与することが求められています。

3. 学校教育・家庭教育との連携
社会教育は、学校教育や家庭教育と密接に関連しているため、学校との連携を確保し、家庭教育の向上に資するよう配慮することが義務づけられています。

4. 地方公共団体への支援
国は、地方公共団体が社会教育を推進できるよう、財政的援助や物資の提供を行うことが定められています。

 

 

  生涯学習のための社会教育

 

 「社会教育法」は、私たちが学校を卒業した後も、自主的に学び続けられる環境を整えるための重要な役割を果たしているんですね。公民館や図書館は、社会教育施設として国や地方自治体により法律に基づき整備されてきました。

 

 社会教育は、学校教育と家庭教育以外の社会の中で行われる教育活動であるのに対して、生涯学習は、人が生涯にわたって行うすべての学びを言います。社会教育の実施主体は、公的機関(公民館、図書館、自治体など)やNPO法人などであるのに対して、生涯学習の主体は、個人になります。すなわち、社会教育は、個人が生涯にわたり、いつ、どこでも学ぶことできるように、個人の要望や社会の要請に応え行われる教育で、個人の生涯学習を支える役割があります。私たちには、「学ぶ権利」があって、国や地方自治体が私たちが学ぶことを支援する義務があるのです。

 

 こうした社会教育の法的基盤があって、生涯学習の環境が整えられてきています。現代においては、技術革新が激しく、私たちが働き続ける上で、生涯学習が必要です。私たちの知らないところで、生涯学習の環境整備がされているのを知って驚きました。

もう随分と前の話になりますが、若い頃、私はロンドンに2年ほど住んでいました。最近、訪れていませんので変わっているかもしれませんが、ロンドンには観音開きのドアがビルの出入口にたくさんありました。しばしば経験したことですが、イギリスでは、開いたドアが元に戻らないように、先に通る人が、後から来る人のためにドアを手で押さえて、待っていてくれるのです。イギリス人はたいへん親切でした。私は、前方の人にドアを押さえてもらった時に、日本語の癖でつい“Sorry”と言ってしまいました。「あぁ、すみません」自分としては本当に自然に出てきたものですが、ドアを押さえてくれたイギリス人に言われたのは、“You don’t have to apologize.”と言うものでした。「謝罪する必要はないよ」と言うのです。その時にはっと思いました。“Sorry”と言うと相手には謝罪しているとしか聞こえないんだ。感謝する時は“Thank you”、謝る時は“Sorry”としっかり区別して言わなければいけないんだということでした。今、日本に戻ってきていますが、感謝する時は素直に「ありがとう」と言うようにしています。

日本人が「すみません」という謝罪の言葉を「感謝の表現」として使うのは、ひとつには「謙虚さ」を示すことを意図しているようです。また、「相手に対して負担をかけたことを認識している」のを示して相手への配慮の気持ちを伝えているものと思います。謝罪の言葉で感謝を示すことで、相手に対する「感謝の気持ち」と「申し訳ない気持ち」を同時に伝えることができ、感謝ばかりでなく、謙虚さも示して相手とより良好な関係を保とうとしているのです。これは、敬語の発想と同じかもしれません。敬語は、相手のことを高める「尊敬語」、自分や身内のことをへりくだる「謙譲語」と丁寧な表現を使う「丁寧語」に分類されます。感謝を表現するのに「すみません」を使うのは、自分をへりくだる「謙譲語」の発想に似ています。謙譲語のようなものがない英語を母国語としているイギリス人にとっては、私が感謝を示すために“Sorry”と言ったのは、おそらく非常に奇妙に聞こえたんだと思います。極端な話、謙譲語の発想で、“Let me introduce you.  This is my stupid wife.”(紹介します。こちらが私の愚妻です。)と奥さんを紹介したら、とっても変ですよね。

相手に対して負担をかけたことに対する「申し訳なさ」と「感謝の気持ち」を同時に表現することは、日本人の美徳でもあると思います。しかし、こういう日本的な発想で「申し訳ない」意識を持ちすぎることが過度の負担になっている場合もあります。例えば、あなたにお子さんが生まれて明日から育児休業を取得して休むとしたら「すみません。明日から育児休業を取得します。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。」と上司や同僚に言いませんか?これって謝罪ですか?それとも感謝ですか?前の人にドアを手で押さえてもらった時に「ああ、すみません」というのは、相手に対する感謝に他ならないと思います。女性にしても、男性にしても育児休業を取る時には「皆さんにご負担をかけてすみません」と言う人が大多数ではないかと思います。人は謝罪を言葉にすることで実は心理的にも負担を感じています。育児休業は、育児介護休業法により定められた権利です。その権利を行使することに関して謝罪するのはおかしい気がします。一方で「法律で定められている個人の権利なんだから当然でしょう」という態度の人も少なからずいます。これもどうなのかなぁと思います。

本来ならば、私たちは、労働契約上は会社所定の休日(労働義務を免除された日)以外は債務の本旨に従った労働をする義務があります。ところが、日本は少子化でどんどん子供が減ってしまって困るので、育児を理由として休めるようにしようと社会政策上の配慮がなされました。子供が生まれて一定の期間は働かないで子育てに専念できるように社会が決めたのです。本来は労働義務があり労務を提供しなければならないところ、子育ての必要がある人は一定の期間は、労働契約を解除されることなく労働義務が免除されているのです。法律で定められた権利だから「会社や同僚に対して謝罪する必要もない」し、法律が定められた背景を考えれば「当然のことでもない」はずです。実際、自分が休業中は上司や同僚に負担をかけるのですから「当然のことではない」のは当然です。本来は、社会が育児休業を権利として法律で定めてくれたのだから、「ありがたいこと」のはずです。社会の一員である上司や同僚は「元気な赤ちゃんを産んで丈夫に育てなさいよ」という気持ちを持たなくてはいけないし、それに対して育児休業しようとする人は、会社の上司や同僚に「ありがとう」と感謝の気持ちを素直に示すべきなんだと思います。「当然でしょ」の態度でもなく、「すみません」の謝罪でもありません。

最近、社員が育児休業で休んだ場合に他の職員に手当を払って社内の不協和音を解消しようとする会社があるようです。私は、そう言うことで問題が解決するとは思いません。昔は夫が働き、奥さんが家事を切り盛りする役割分担がありました。奥さんが忙しいと近所のおばさんが子供を預かってくれるような「地域の絆」もありました。今は夫婦の共働きが増え「地域の絆」も細くなり、社会制度で子育てを支援していかなければならなくなりました。まずは、法律が作られた背景を社員によく理解してもらいましょう。上司と同僚は、暖かく本人を育児休業に送り出す気持ちを持ちましょう。また、本人は上司と同僚に対して感謝の気持ちを持ちましょう。感謝されることで上司と同僚は本人のために何かしてあげたくなります。もし、会社から手当が支払われたら、本人にとっても上司や同僚にとっても、それが当然になってしまいます。当然であれば感謝の気持ちは生まれることはありません。残された職員は残業することになって大変かもしれませんが、みんなで少しづつ休んでいる人の分をカバーすることでチームワークが向上します。本人が育児休業から復帰したときには全員で「待ってたよ」と迎え入れる。本人は「長い間ありがとうございました」と上司と同僚に感謝を伝える。手当を払うことではなく、そういうことで「組織の絆」はより良くなるのではないでしょうか。