電車移動で3時間の用事がありました。

 どっと疲れ寝入った翌日の朝。 

 唇が強ばってる。 

 瞼も動かない。 

 目がヒリヒリしてる!

 歯磨きしたら、口から水漏れるし…… 


 おいおい、またかいっ! 

 どれだけ私のこと好きなんだ? 

 ここまで付きまとわれると、憎さ余って惚れちまうがな。笑 

 まぁ、いいです。気長にこのやんちゃなウイルス君と付き合いましょう。 

 いっそ、愛してあげるさ。こんな私で良ければ、生涯添い遂げてくださいな。 

 ということで、私はまた顔面神経麻痺で入院。3回目です。

 

 若い看護師さん、点滴がなかなか落ちていかない時に、泣きそうな顔をして 

「ああ、どうしましょう。大事な点滴なのに」って、一滴一滴を、不安そうに見守って、ひえんと声を上げるんです。 

 毎日の業務に追われ、同じことを繰り返してる中でも、私の身体に流れていく一滴を『大事な点滴』って言ってくれた。 

 この一言がとても嬉しかった。 


 こうして崩れてゆく自分の顔を見ていると、もはや『かかと』や『脇の下』と同じで、ただ単に身体のパーツのひとつなんだなと思うようになりました。

 ぽかんと口を開けて、まつ毛一本マスカラ塗るのにも必死だったり、何万円もする化粧品をリボ払いで買い揃えたり、そんな頃の自分が、滑稽に思えるほど『顔』への執着がなくなりました。 


 ところが今回は、今までと違って、一年経った現在でも、回復はしません。

 瞬きはできるし、口角も上がります。

 でも、眉毛は全く上がらなくなりました。 

 瞬きをする度に、耳の中でゴソゴソと神経の動くノイズが24時間ずっと聞こえています。

 最初はこの音が気になって眠れなかったけど、今はだいぶ心拍や呼吸と大差なく感じてます。 

そして、額から首の裏にかけての頭痛が、一年間治りません。これにはちょっと困ってます。 

 やっぱり、歳を重ねるごとに後遺症は残っていくようですね。 

 私は今まで5件の病院、7人の主治医(大学病院は頻繁に先生が変わるから)に診て貰ってます。
でも、みんな言うことは同じ。 

「これ以上、良くはなりません」

 瞼は左右とも半分しか開かないし、視界も半分で普通に生活してるだけでとても疲れます。
いまだにボロボロと物を溢して食べてるし。 


 でも、元々目の細い人もいるし、アラフィフともなれば膝が痛いとか、癌を患ったり、何かしら心や身体に傷を負っている方がたくさんいます。 

 人間の身体は消耗品。 

 花弁が一枚ずつ落ちていくのを栄養剤では止められないように、老いることはどんな医療をもっても避けられないから。 

 受け入れてしまうことが自然だし楽なのです。

 抗おうとするから、余計に悩むんだろうなって。


 それでも、美味しいものを食べたり、歩いて好きな所へ行ける。時間ができたことで、子供の頃からの夢にこっそり挑戦してみたり。

 できないことを嘆くより、できることを探した方がいい。


 母の言葉 

「今いる場所で、幸せを見つけなきゃね」 

 これに尽きると思います。 


 ここまで、一年前までの出来事を振り返り、書き貯めていたブログを、駆け足で毎日投稿してまいりました。

何の工夫も面白味もなく、長々と読みづらいブログでしたが、共感して頂いた方々に深くお礼申し上げます。 

 これからは、何かありましたら、気まぐれの不定期で投稿させていただきます。






 

 この頃は母が倒れて一年が経ってました。 

 歩くことはもう絶望的で、家は狭小住宅なので、一階にベッドを置いたり、車椅子で動くスペースもありません。 

 私一人で面倒を見ることは、やはり無理だと感じました。 

 きっと、娘一人で親の介護をしてる人だっているだろうけど、こうして笑顔で接することはできないだろうなと。 

 それに頻繁に高熱を出しているので、その都度救急車を呼び環境を変えるのも、負担になるだろうし。

 薄情な娘だけど、その分足を運んで、アイスやケーキ、和菓子を一口ずつ食べさせてあげようと思いました。たまには、お寿司や鰻も。 

「家に帰りたい?」 

「私に家があるの?」
 自分の建てた家も忘れちゃってる。 

 母の面会には3日置きに行ってましたが、他の患者さんには殆ど面会って来てなかったな。 

 みんな仕事や家事、子育て、家で他にも面倒を見る親がいるのだろうし、家族で生活をしていると、時間を作るのは大変です。 

 それに、家に帰りたいって言われると辛いんだろうな。 


 有難いことに、駅からの送迎バスもあるので、交通費もそれほどかからないし、暫くは私自身ものんびりと過ごせた貴重な時期でした。

 面会帰りに一人で遅いランチをしたり、暑い日は家の電気代を浮かせるため、図書館に入り浸ったり、きちんと割り勘にして友達ともギクシャクする事もなく、毎月食事会を開いたり。 

 何事もなく、穏やかな日々が過ぎていきました。


 ところが、また私には災難が訪れたのです。

 忘れていた、あいつです。


 母には仲の良い男性の親戚Bさんがいます。 

 Bさんは高齢者ですが、いわゆるシュッとしたイケメン。 

 さぞかし若い頃はモテただろうし、え?50代には見えない!って程、今も若いです。 


 母の見舞いにもちょいちょい来てくれて、母もとても喜びます。

  遠くからわざわざ来てくれるので、私も毎回案内し、帰りはお茶飲んだり、一杯付き合ったりしてました。


 ある時、「粥子ちゃんは偉いな!」と、頭をポンポンされたんです。 

 誰にやられたって嫌だけど、血の繋がった親戚なのに、なぜかゾッとするほど悪寒がして。


 その後、会う度に

「粥ママって年金どれくらい貰ってるの?」 

「俺、金無いんだ」 

「生活大変なんだ」 

「今度一緒に○○に行こうよ!」 

「今度一緒に○○食べようよ!」と、お金の話や、母の面会よりも私と会うことの方が目的になっていました。


  粥子は二度の顔面神経麻痺で、高齢者であろうと、男性の気を引くような容姿ではありません。 

 私に興味があるとかは、全くあり得ないのです。

 ましてや、娘のような歳の私に生活が苦しいなどと打ち明けてきたりして。 

 これって、母が死んだら「金貸して」とか、言い出すのかな?
 その前に私を手懐けておこうとか。

 あー、やだやだ。また懐疑的になってる。 


 私は母の携帯から、Bさんとのやり取りを拾いました。

 あれ?一時期まで頻繁に連絡取っていたのが、倒れる一年前からぱたりと途絶えてる。 

 何があったんだろう。
 うーん、考えすぎかな? 


 でも、その1ヶ月後。 

 Bさんはまた面会に来てくれました。帰り道飯でも食おうかと言い出して。

 雨が降ってました。 

 Bさんはなぜか自分の傘をたたみ、私の傘の中に入ってきて、柄を持つ私の手を、上から握ってきたのです。

 私は衝動的に傘から出て逃げました。


 気持ち悪い。
 血縁だけに、尚更気持ち悪い。

 何がしたいの? 


 それ以来会うのをやめました。

 Bさんは一人で面会に行くようになりましたが、ある時母に聞かれたのです。 

「どうしてBさんと会ってあげないの?」

「Bさんが何か言ったの?」 

「寂しそうだったよ」 

 母に何を話したんだろう? 

 病人に「粥子ちゃんが会ってくれないんだ」なんて、心配かけるような話、普通しないでしょ? 

 無神経にも程がある! 


 私の知らないところで、呆けた母に何を吹き込んでいるのかと不安になりました。

 ドラマとかで良くあるけど、こうやって遺言とか書かせちゃうのかな?