あるてみすてんぷるの沙羅です。
幼い頃、姉妹の喧嘩でやったらやり返す、が普通だと思っていました。
やられたままでは負けたような気がして(笑)
叩いたら叩き返す。
言われたら言い返す。
大人になっても多くの方は子どもの頃に行った通りに行っているかもしれませんね。
同じことを行い続けていたら、怨みや憎しみは延々と続き、しいてはそれが
戦争へと続きます。
ダンマパダの言葉に「実にこの世においては、怨みに報いるに恨みを以てしたならば、
ついに恨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。
これは永遠の真理である。」(5)とあります。
怨みは捨ててこそ、でしょうか。
あるいは慈悲によって怨みを消していくのです。
この慈悲の心。
簡単なように思えますでしょう。
これがなかなか完璧にしようと思うと難儀するのです。
慈しみの心というものは、元々人の本性に入っています。
自分の子どもがいる方は分かると思うのですが、自分の子どもを愛する。
あるいは人を愛する。このような愛するという心は誰でも持つので、
愛するを練習すれば霊が上がるということでキリストはその愛するの道を作ったと
エドガー・ケイシーは言います。
とにかくキリストをまねて愛するを練習しなさい、と。
仏陀も同じことをおっしゃっていて「慈しみと悲しみの心を、ひろく人間のうえに、
さらに、生きとし生けるもののうえに拡げてゆくとき、
それが慈悲というものである。」 と。
しかし、ここで利己心を私たちは持ちます。
そんなに簡単には全てにおいて慈悲心を、とはいかないのです。
とにもかくにも、しかえしすることは止めましょうか^^