あるてみすてんぷるの沙羅です。
知識と聞くとどのような解釈をされるでしょうか?^^
エドガー・ケイシーは「真の知識とは同胞に対する自分の在り方において、
ますます自己を消し、それによっていよいよ神の栄光が現われることを求める時、
私たちは知識を持っているといえる」と言います。
他にも「利己的な世界のただ中にあって無私でいられるのは知識だ」とも言います。
知識とはもともと私たちに備わっているものである知識であり、
上から授かっている高次の知識という意味だと思うのです。
知ること・知っていること・認識すること・理解することを
怠ってはいけないですよね。
要は自分には関係ないことだと思わないように、ということです。
それにより悟り・気づきが得られ最終的に
神の真意を知ることになるのだと思うのです。
峻厳という言葉が好きです。
生きていく上で優しいだけでは成り立たないことが多々あります。
峻厳とは非常に厳しい様を指す言葉ですが、優しいだけでは成り立たない、
時には厳しく、毅然として立ち向かう強さが必要になります。
本当の優しさにも神の愛にも厳しさは含まれます。
甘ったるい言葉やうわべだけ取り繕ったものには、尊敬も信頼も得られないのです。
本質的なものは表面だけでは分かりません。
見た目に惑わされないように、うわべの言葉に騙されないように、
行動やその立ち振る舞いが真の姿ということを忘れないようにいたしましょう。
怒ることをためらうことがありますが、義のために怒る事は大事です。
ただ感情に任せたものではないかどうかを確認しつつ、
時には厳しさを持ちつつ生きましょう。