最近、「依存」についてあちこちで話になって思うことがあるので今日はこれについて。
私がお伝えしている講座でいえば、天使のスピリチュアル講座でお伝えしている「エーテルコード」。
このコードは誰とでもつながります。
親子、夫婦、恋人同士、セラピストとクライアント、身近な友達などなど。
私にとってもこれは無意識下で大きな課題でした。(自分では気付きにくいんですよね^^;)
そこで、この数年でいろいろ意識を変えたり、行動を変えたりもしてきました。
依存のコードにもいろんな要因があります。
お互いに依存し合っている時にはお互いに気付かなかったりします。
親子だから、恋人だから、夫婦だから、先生と生徒だから、セラピストとクライアントだから、それが当たり前、と思ってしまっていたりもします。
一見気付きにくかったりします。
一見、 何でも話を聞いてくれて何でも支えてくれて何でもやってくれて「いいことをしている」ようにみえます。「いい人」のように思えます。「いい人」だと思われたりもします。
でも、本当にそれを続けてその人は幸せになるのか、自分は果たしてそれで幸せに向かうのか、ということなんですよね。
実はその人が自分で考えたり、自分で調べたり、自分で頑張ったり、自分で見て感じる機会を失ってしまっているということもあるわけなんですよね。
結果としてその人のためにはならない。
親が子供を心配するのもそうですよね。
心配しすぎてあれこれやりすぎてしまったり、よかれと思ってやっていることが実はその子が経験するであろう機会を失ってしまっていたり、行きすぎて無意識にコントロールになってしまうと、その子が実際一人で生きていかなくちゃならなくなったとき、どうしていいのかわからない。
どういった関係でもそうですが、例えばセラピストとクライアント様等の場合でいえば、セラピスト側もいい意味で距離を保つようにしないと依存の関係になってしまうんですよね。
このセッションを受けたから変わるはず!
この伝授を受けたから人生が180度変わるはず!
この講座を受けたからセラピストとしてやっていけるはず!
というものではなくて、それらはあくまでもきっかけであって、そこから先はその方自身の問題。
そこからどう感じてどう感情が動いて、どう行動していくか。
セッションを受けて、講座を受けて、伝授を受けて、実際に変わる方もたくさんいます。
そういった方はそれを受けて、そこから先何らかの行動であったり、努力であったり自分と向き合われたり意識の変化があったからだと思います。
つまりは「自分」で何とかしたからそうなった。
これは他の事でも言えると思います。
この学校に入ったから大丈夫。
この仕事についたから大丈夫。
この人と結婚したから大丈夫。
というものではなくて、そこはあくまでもスタートに過ぎなくて、そこから自分で考えて自分の足で立って歩いていくことが大切なんだろうなと。
そしてどんな道を選んでも、人生の中では何らかの出来事や問題が起きたりするもので、その時にまた考えればいい。
このまま進んでいいのか、何か間違っていたのか、軌道修正すべきときなのかと。
そして、その周りの人も、その人が自分で考え、自分の足で立って歩いていけるようサポートするが一番なのではないかと思ったりします。