今日は手術でした。
私のじゃなくて、旦那の(^o^;)
前にもちらっとブログで書いた件ですけどもね。
何人かその時ご連絡をいただいた方や話の流れでお話しした方もいましたが、それが今日でした。
だから今朝の記事で、「セッションって手術みたい」という言葉が無意識に出たんだろうなと思ったり
今回で旦那は三度目の手術なので、いつも思っていたんですよね。
手術って(旦那の場合は)体の中にある悪くなったもの、もう不要なものを取り出していくもの。
知らず知らずのうちにため込んでいたもの、旦那の場合で言えばそれは癌という形で知らない間に大きくなっていたその部分をとる手術。
放置すればそのまま大きくなって死んでしまう。
だから、それはよくなるための手術。
生きるための手術だった。
手術も危険を伴うし、痛みも伴うけれど、とらないで放置していたら死んでしまう。
なんとなく、私はここ最近セッションさせていただいて好転反応が出る方をみるたび、そんなことを思っていました。(もちろん命にかかわるとかそういう意味ではなくて、取るべくもの、出すべきものは出して行ったほうがいいんだろうなと。その出す時は辛くても)
旦那の手術をこれまで見てきて、本当に大きな手術であればあるほど、その後の痛みも大きかったし、復帰するまで時間もかかった。
(そういうのもセッションのときに大きなものを取り出されたあとの好転反応と似ているなと思っていたのでした)
一回目の手術は忘れもしない2012年、12月25日。
クリスマスの日。
肝臓の3分の2を摘出する大手術。
先生から「取りきれないかもしれません」と事前に話もされた。
命の危険ももちろんあります。
淡々と、手術前日、旦那と私に説明があった。
その時はろっ骨も切断して開腹開胸手術だったこともあって、「体をまっぷたつに分断されたようだった」とあとから旦那は言っていた。
二回目の手術のときは、前回切ったところと同じところを切ったのもあったし、取る臓器も大きいものではなかったのもあって前回ほどひどくはなかったようだった。
そして今日、三度目の手術。
今回のはそこまでの手術じゃないので、取ったものも今までのに比べたら小さいし傷口も小さいのもあり、日帰り手術。セッションで言えば好転反応のようなものはほとんどないみたい。
検査結果は来月。
生きているといろいろあるけどもね。
今出来ることをしていくだけですね!
あ、来月の講座日時変更のご連絡をいただいた方、すみません!前回送ってくださったというメール届いていなかったようなので、再送していただけますか?ヤフーメールは時々届かない事があるようなんですすみません^^;よろしくお願いします!