先ほどの記事
でご紹介したリュートさんの
そういえば、私は不登校児だった
で思い出した。
私も「そういえば」ということがあった。
ここ最近、「書くこと」で褒められることが続いた。
内容とか、記事数とか(笑)(←これについてはまた別記事でご紹介します^^)
そして、ワイス博士のワークショップのサイコメトリーの時も、気仙沼の方から、お互い何の情報交換もしていなかったのに「書く仕事とかしてますか?」と聞かれた。
で、「そういえば」ということがあった。
私、学生時代は、報道関係のサークルでした。
自分でネタを見つけて、スタッフとともに取材に行って。
音声さん、アナウンサー、技術さんなどを引き連れてあちこち取材に行くわけです。
そしてどんなことを質問するか、どんな番組にするか、どんなことを訴えたいのか、プロデューサーである自分がすべて考えないといけない。
番組制作の、骨組みから構成、ナレーションもすべて自分が書くわけで。
番組制作の前には先輩たちや幹部の審議みたいなのがあって、会議室でみんなのまえで発表しなければならない。とにかくきれる先輩たちばかりだったから、「それで何を訴えたいの?」なんて冷ややかな感じで言われると、一年生とか二年生のころはもうタジタジで、その審議がすごくいやだった。
打ちのめされて書き直して、骨組みからやり直しなんてこともあった。
なんでこんなサークルに入っちゃったんだろうって思ったこともあって、何度も辞めたくなった。体育会系にみたいに厳しかった。合宿とかあってもひたすら新聞を読んで記事を書いて、先輩にチェックされ、怒られ、みたいな感じだった。
番組を作る時は、起承転結で簡潔にまとめないといけない。ただ、今思えば、書くことで自分自身が何を訴えたいのか、どんな番組を作りたいのか整理できるんだろうね。
私は昔から文章を書くのが好きで、高校生の時に「フリーライターになりたい」と思っていた。
そして、大学に入ったら、たまたま入学してすぐくらいのときに、学校内でふらふらしていたら二人の先輩につかまって(笑)、よく聞いたら「文章を書くサークル」だというじゃない。これはもう、速攻で入部を決めた。
先輩たちはすごくいい人たちだったし、学校生活はほぼサークルというくらい中身の濃いサークルだった。
まわりからも私は4年間もたないだろうと思われていたところもあると思う。
だけど、途中行かない時期がありながらも辞めることはなく、最後の卒業コンパまで参加して、後輩たちからの寿司桶一気(日本酒)で、人生初、記憶をなくすくらい飲んだのもいい思い出(笑)
今思えば、あのサークル時代も、意味があったのかなと。(記憶をなくすくらい飲んだことじゃなくて)
だから、私がコンサルとかさせていただくとき、あるいはコンサルじゃなくても、
「あ、この方のこれをみなさんに広めたい」
とか
「この方のこういうところを出したらいいんじゃないかな」
とか思うと、
何を一番伝えたいのか、この人の魅力は何なのか(私が思う、ということだけど)、それについて絞りながら文章を書いていくというのはそのころに培ったものなのかもしれない。
うまい下手は別としてだけど^^;
だから、よく
「いつもブログ更新すごいですね~」
とか言われるけど、私的にはまったくそういう意識はない。
むしろ、「今日は書きたいことがもりだくさんで、次々更新でごめんなさい^^;」というときもある。
(たまに友達に「多くて読み切れない」とか「読むのが追い付かない」と言われることがあるから(笑))
ただ、私は書くことが好きなんだ。
高校時代、「フリーライターになりたい」と思っていたけど、結局形はなんでもいいんだなと思った。
だって、こうしてフリーで書きたいことを書けているんだからね
私の記事数を褒めてくださった方のご紹介はまた別記事で