さて、書けるところから書いて行こう。
先日、急に私の中から出てきた言葉。
「私は女でいてはいけない」
これは前世からの言葉でもあったらしいけど(ブロック解除の時に言われた)、最後の方で「子どものころのこと」にも関係していると言われた。
先日友達から受けたヒプノのインナーチャイルドの時にも言われたキーワードと結びついた。
そんな感じで徐々に過去あるいは過去世からの感情が勝手に噴き出してきて、ある方とのメールのやり取りから急に聴こえてきた言葉があった。
それが、
「私の何がだめだったの?」
という言葉。
自分で聴こえてびっくりした。
え?子供のころの私、そんなこと思ってたの?
何度も何度も聴こえて、何度も何度も聴こえるたび胸の奥が苦しくなって涙が勝手に出たりした。
前世の「私は女でいてはいけない」も聴こえてびっくりしたけど、それと同じくらい自分でびっくりした。
そして、インナーチャイルドのこの思いは、私の恋愛とか男性に対しての接し方にも影響していたとわかった。
私がだめだからみんないなくなった。
私がだめだから一人ぼっちになった。
私がだめだからお母さんもいなくなった。
私がだめだから・・・・
私のインナーチャイルドは、ずっとそう思っていたみたいだった。
私、これには全く気づいていなかった。
ずっと自分を責めているというか、自分で言うのもなんだけどけなげに、「自分の何がだめだったんだろう」って去っていった男の人のことをずっと思いながら泣いている過去の私と、妹の付添の入院で母がいなくなって一人ぼっちでいるような子供のころの自分が重なった。
自分がだめだからってことは自分がだめじゃなければいいのねって一生懸命頑張っている子供の自分が視えた。
そのビジョンを見たら勝手に泣けてきた。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
だから、私、一生懸命、何年も、昔から、がむしゃらに頑張ってたの?
だから私、ずっとずっと走り続けてたの?
「私の何がだめだったのかな?」
ってうるうるした目で頑張ってあくせく働いている子供の自分。
お母さんにまた置いて行かれないように、無意識に、頑張ってたのかな。
半年間、母と妹がいない生活だったはずなのに、その頃の記憶が一切ないのは、辛すぎて、さびしすぎて、感情を感じないように蓋を閉めていたからなのかな。
今の私なら、理解できて、耐えられる寂しさであったとしてもその頃の、小学生のころの私はそれがどんな重さで、どんな辛さだったのか、今は想像もできない。
記憶がないということは、ただ単に忘れてしまったのか、忘れないといけなかったのか。
私の何かがだめで置いて行かれたわけじゃないってわかってたはずなのに、子供の私の心ではそう感じていたのかなって。
私は我慢強い子で聞きわけもよくて手がかからない子だったと両親から良く聞いていた。
でも、ほんとは言わなかっただけなんじゃないのかな。
言えなかっただけなんじゃないのかな。
弟もいるし、妹は病気だし。私は病気じゃないんだから、妹はかわいそうなんだから、お母さんが妹のところに行っちゃってもしょうがないって思おうとしてたんじゃないのかな。
私は何でもないんだからがまんしてあたりまえって。
その頃の私、一体だれの前でこの気持ち、寂しさを言えていたんだろう。
誰の前で泣いていたんだろう。
いや、言えていなかったんだと思う。
泣いていなかったんだと思う。
だって、父に、私は小さいころから
「泣かないで偉い」
って褒められていたから。
今、やっとその時の感情が、出てきているんだと思った。
涙と一緒に。
自分的に、それを今回はじめて知って、衝撃だった。
胎児期退行のときのバーストラウマ の衝撃よりも衝撃だった。