今日、両親とランチしてきた。
用事があって仙台に来たから。
今は、はらこ飯の季節。
普通のランチよりもちょっと高かったけど、ごちそうした。
二人ともおいしいって喜んでくれたのでよかった。
「忙しかったらいいよ」、って言われたけど、ちょっとだけでもね、会うのと会わないのとじゃ違うしね。
親孝行できるうちにね。
ほんとはもっと話聞いてあげたりできればいいんだろうけど。
近いわけでもないし、なかなか電話する時間もないし。
生きているうちに。
最近思うんだ。これ。
昨日、若手社長とランチした。
いろいろ仕事のことで相談というわけじゃないけど、たまに何かあると聞き役になることあって、じゃあご飯でも食べながらってことで。
で、彼が仕事のこといろいろ話しているとき、その彼も言ってたな。
先代の社長、つまりお父さまが生きている間にもっとしてあげればよかった、もっとしておけばよかった・・・もっと聞いておけばよかった・・・その時はこれで精一杯って思っていたけど全然足りなかったって。
いろんなこと、いろんな意味で。
親孝行に、もうこれで十分ってあるのか、私はないような気がしているけど。
やってもやっても「もっとこうしてあげればよかった」って思いは残る気もするけど、でもできるだけ、しておきたい。後悔しないように。
私は大好きだったばあちゃんが亡くなった後、大きな後悔が一つだけあった。
それまで毎年敬老の日に何かしていたのに、その年、何もしてあげれていなかった。
子供たちにばあちゃんの似顔絵でも書いて送ろうかとか考えていたのに、何もできないうちに、亡くなってしまってそれがなんだかいつまでも後悔だった。ばあちゃん、ごめんねって思った。敬老の日忘れてたわけじゃないんだよ、ばあちゃんのこと、忙しさのあまり忘れてたわけじゃないんだよって。
今年は私も大切な人の死、身近な人の死に何回かあったのでなおさら感じる。
実は、おとといも、帰りの東京駅でそのメールを見た。
そして、
親や身内だけじゃないんだけどね。
生きてるうちに、
思いを伝えておこう。
って最近思う。
本当は言いたい思い、たくさんあるのに。
「ありがとう」
って。
変な意地だったり、見栄だったり、伝えなきゃって思うとなんて伝えていいか余計にわからなくなって、なかなか素直に言えない時がある。
どんなふうに思われたって、いろんな思いが交錯したって、一番行き着くところは
「ありがとう」
の思い。
ごめんなさい。
許してください。
愛しています。
ありがとう。