クリスマスの時に突然感じた言葉。
ここでちらっと書いたけど。
http://ameblo.jp/angels-2009/entry-11116978763.html
このとき感じたのはマリア様からの言葉だったけど。
「あなたが犠牲になることを神はお喜びになりません」
ここでの「神」ってキリストと感じた。
このときの言葉、その後続きがあって、私の中で
「へ~そうなんだ~。キリストって本当はそういうことを言いたかったのか~」
と気付きみたいなのがあった。
この言葉、ずっとこのときこだましていて。
それからキリストがすごく近くに感じてきてしまった。
でもそれについて書いたら、キリストがまた近くなるような気がして、この言葉、下書きしたものの、それで終わっていた。
なんでだろう。このキリストからの思い?マリア様からの言葉ではあったけど、キリストの思いを記事に書いてしまったら、キリストと向き合わなければならないような。キリストと向き合う=本当の自分を知る、自分のルーツを知るってことに自分ではわけもわからず何か抵抗を感じて、書かないでいたのに、今またこの言葉が来てしまった。
何度も何度も聴こえる。
だから書いちゃった。
どこかで前から苦手意識がありつつ、すごく過去世から強い何かつながりがあるように感じていたキリスト。
向き合いたくない、知りたくない、とどこかで知らぬふりしてきたキリストが、すごくすごく近くなってきたように感じる。
ドキドキする。
昨日の年齢退行セッションでも実は出てきてしまったし。キリストが。
そして昨日そのセッションの前には、私は自分でもびっくりするようなはじめてのことをしてしまったんだ。
インフルエンザの娘にレイキをしながら、なぜかキリストを呼んでいた
これまでマリア様やミカエルを呼んだことはあったし、呼んで無くてもキリストを感じることはこれまでもあったけど、自分からキリストを呼んだのははじめてのことだった。