形あるもの手放せるのは神だから。 | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

何かに縋らなくては
が、ない。

宗教も消えてもいい。

守護天使すらも。

頼りしてもいいし
しなくてももう大丈夫。

だって

私は

そもそも

神、だから。




ここまで



行き着いた



感。




拠り所なんてそもそも
あっただろうか?




happyさんも
私は神
と言うように。

happyさんがまた
ブログを消すことで
無にする行動に
チャレンジしたくなるのも
とてもわかる。

その最大級の恐れを
抱えたままでは
神、ではないから。




自我の私は到底できないけれど
神の私ならできる。


自我の私は到底手離せないけれど
神の私ならできる。

自我の私は到底思いつかないことも
神の私ならできる。





まりあに
形あるものすべて
無だと教えてくれたのは仏教。



大地震や隕石落下で
人間達が作った
すべての建築物が消えようと。

マリア像だろうと
阿修羅像だろうと
観音像だろうと。

壊れてもまた生まれるから。

だからこそ
昔のものを執着なく
大事にできる。



無だからこそ
有になり
また無になり。
 

偶像崇拝するな、の
呼びかけの宗教が
仏教にもキリスト教にも
生まれたのも
それが手放せなくなるから。
それに依存するから。
物に超越できなくなるから。
執着するから。
などの意図…

そもそも意識が意図するところが
ズレたままになるから。



まりあに
執着を超越するのを
教えてくれたのも仏教。


ゼロという概念は
インドで生まれたらしい。
天才だな、やはり。


草場一尋さんの絵より。


あんなに整えた
まりあのお気に入りがたくさん
詰まった部屋が
もしもすべて消えたなら?

どんな境地?

と以前、問うた時
気持ちはやはり恐ろしかった。


でも


今は


すべて無


最初から無


なんとなく

変わってきた。





まりあ