原罪・良い人でいようとする深い罪 | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…


 

「良い人でいよう、良い人に見られたい」

と思える人は

「私には原罪なんてありません」

と思えるのよね。

 

ここでの原罪とは

仏教的には

「人である以上、殺生をしている

(食べ物ももっと生きたかった生物を

殺していますよね、)」罪のこと。

 

キリスト教的には

「神様の言う通りにしないで

疑ったせいで楽園を追い出されたカルマ

(素直に信じなかったから

悪魔の言うことを信じてしまったから

生きる苦しみが生まれた)」罪のこと。

 

「私は善い人

反対に

あの人は悪い人」

 

の構図を創りたがり

 

「私は罪を犯さない人

あの人は罪を犯す人」

 

の区別を設けて

 

他にも

 

「私はマナーが良い人、常識人

あの人はマナーが悪い人、非常識人」

 

と言う構図もできあがっていって

 

裁くことをしだして

 

「正義」

 

などが成り立っていって・・・

 

あなたでありあの人であり

が消えて・・・

 

 

スピリチュアルで言う

最高の愛の境地

 

ワンネス

 

から

分離へ・・・

 

 

愛のない境地へ・・・

 

 

例えば

 

そんな人にとっては

学校が「正義」だから

「死んでも学校に行かないとならない」

なんてまで信じ込んでしまう。

 

「学校を嫌がるのは

ダメだ」

とかね。

 

どんなにいじめにやられて

追い詰められて

死にそうになっても

助けもしないで

「学校に行きなさい」

で我が子を自殺に追いやる

その凄いカルマ、その凄い罪。

 

を経験してやっと

 

「正しい人、良い人」

を辞めざるを得ないことに

気がついて

 

今度はその罪の重さに苦悩し出す。

 

だけどね

 

「もう背負わないで欲しい」

って・・

 

自殺したその子供の霊は

 

言ってるよ。

 

 

正義を持って今度は

「子供を死に追い詰めた親は

悪人だ!!!!」

 

とまたまた

非難をする。

 

 

なんだかね

 

そこでまた

スピリチュアル的な深い学びが

ずれていくのにね。

 

 

 

常々言ってますけども・・・

 

当たり前に非難していいって

思ってなかった?

 

当たり前に慰めてくれるって

思ってなかった?

 

当たり前に被害者って

思ってなかった?

 

意識ずらそう。

 

ちょっとずつ。

 

 

可哀相な役割から

降りることは出来て

被害者の役者はいつでも

辞められるんだ。

 

まりあが

障害でいじめに遭ってきたから

不登校になったから

孤立したから

わかる。

言える。

 

たくさん

同情されてきたから

親切にされてきたから

優しくもされてきたから

知ってる。

 

そして

 

たくさん

悪いこともあえて

知っててわかっててやったから

誇れる。

なぜなら

どちらの立場に置かれた意識が

理解できるから。

 

 

同情しない。と決意している。

それは

可哀相な人を

クリエイトするつもりはないから。

 

同情されない。と決意している。

まりあは

可哀相な人ではないから。

 

 

あんなに

辛い目に遭ってきたまりあさんなら

わかってくれるって?

甘いな。

 

そのレベルを超えよう。

もっと意識を

ワンネスに向かおう。

 

 

あなたの魂はそんなに

卑屈でもなく

崇高な神様なだけ。

 

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まりあ