どんな状況下でも「絶対的幸福感」それが悟り。 | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

もともと

カトリックの家で生まれたまりあは

聖人達の自ら選んだ過酷な障害そしてその生涯から

「どんな状況下でも絶対的幸福感」を

生み出せる彼らに

その秘密、

を長年、知りたかったのです。

 

「なぜ、

彼らの目はいつもきらきらしているのだろう?」

 

のうらやましさから始まりました。

 

聖人級な人に出会うと

うつむいて見た目はわからないほど

落ち着き、静かな風情の彼らなのですが

話すと、澄んだ美しい目は

キラキラした希望しかありません。

 

彼らも若い頃は悶々と世界のことを憂い

様々な困難により

不条理に向き合わさせられます。

 

しかし必ずと言って良いほど

「悟り」

と言えるその先に行きます。(シフトします)

 

それが

「至福」なんですね。

絶対的幸福感

 

で彼らは

牢獄に入れられたりしても

「不動で不変」なのです。

 

そして

 

宗教は異なりますが

 

禅宗もうちの家系はつねづね褒めていたので

関心があり

 

仏教の修行の果てもまた

 

「至福」であり、「絶対的幸福感」があり

 

それが「悟りなんだな」とわかりました。

 

親鸞は特にそれをわかりやすく伝えている気がします。

 

 

「絶対的幸福感」は

まったく

「幸せかどうかさえも比較のない」世界です。

 

幸せかどうか?

幸せになりたい?

がないのです。

ずっと

「初めから終わりなき幸せ」なのです。

 

簡単にわかりやすく言いますと

 

「結婚したらもっと幸せになる」

がない。

 

「結婚前も結婚後も、結婚してもしなくても変わらない絶対的幸せ」

なのです。

 

比較が無いのです。

 

 

常に至福の中に居る人が結婚したとしたなら、

 

「結婚する前から”幸せ”の渦の中にいるから

幸せを求めていないから

幸せな結婚という現実になったに過ぎない。」

 

わけなのです。

 

 

まったく

「幸せだと喜ぶよりも、その中にいつも居る状態」です。

 

常に常に

 「何かが得られたら幸せ」と言う比較が一切無いのです。

 

あこがれのマンションを得たから幸せ、

大好きな人と結婚できたから幸せ、

 

の比較ではないのです。

 

ここを超越すると

 

常に「至福」のただ中に居るので・・・

 

また

 

「思ってもいない嬉しいこと」が手に入ります。

 

聖人達をよくよく観察しますと

彼らは実は、

「あり得ない」幸運を沢山経験しています。

(結構大金を得ていまして、それをまた世界のために全額還元していますから、一貫して初めから変わりなく貧しく見えますが。それすらもそれは彼らには重要視ではなく、「余録」「補足」に過ぎません。)

 

 

まりあは

「彼らのように絶対的に目が変わらないで居られる人になりたいから、いつしかそれが得られるならば、修行をしてみたい」

魂は望んでいましたが

心が現実的なことに追われて、どんどん彷徨っていたので

 

どうしようもない絶対的に動けなく

絶対的に果てしの無い拷問の苦しみ

の病気になりました。

 

そのものが「過酷な修行」となりました。

 

そこで

やっと

「第一部の気づき」

を得ました。

 

今も修行しているのは、

にゃんたくんがまりあの膝の上だけが

それこそ

「絶対的安心感」だとわかっているので

できるだけその上で寝ようとするので

時には

90分以上、そのままじっとしています。

 

ずっと重たい彼を膝の上に乗せて

前はスマホを見て、調べ物をしたり

メッセージの返事をしたり

プレミアム会員に波動が高い時にメールを送ったり

していましたが

 

それを一切辞めました。

 

「何もしない」

「だるま」でいること。

 

をやりはじめました。

 

「にゃんたくんのために動かない。」 

また新たな修行を実践させてくれました。

 

 

母が

「猫だっこしてじっとしてるの!?

修行だなあ〜人間できるね〜、笑」

 

まりあ

「ま、魂が望んでいるんでしょう、笑

もともとなまけものの心なのでちゃんと用意される。笑

こうでもしないとしないからね。」

 

母は

深いところで理解していました。

 

高山病の危険と隣り合わせの修行も

色々な修行も

前世もおこなっていたようです。

 

きっと

得たかったのでしょうね。  

 

そんな人は

 

大金持ちの中にも

まったく貧しい中にも

有名な中にも無な中にも

どちらも

存在していると思います。 

 

 

「わかっちゃった人」「わかっちゃっている人」

 

とも言えますね。

 

 

「人が真に得たいことは

これですね。動じない心ですね。」

 

とかつて

 

20年ほど前に仏教学者と話をしました。

 

 

インドの詩人は言います。

 

 

 

私を試せ、

どんな過酷でも絶望なことでも

私を試してみろ、

 

 

変わらないから。

 

 

 

と。

 

 

 

つまり。

 

 

 

「絶対的に奪えないものがある。」

 

 

それが

 

 

「目に見えない世界」

 

 

 

スピリッツ

 

 

 

です。 

 

 

 

最愛の息子を原爆で亡くても

絶対的幸福感の中にあった

まりあの曽祖父母は

だから

いつも豊かで

そして

心を煩わせないので

どこも悪くならないままに

(原爆にも遭っているのに)

どちらも

老衰で亡くなりました。

 

 

image

 

 

閃いたので例外的に書きました。

(またまた22日のために準備なう〜)

 

 

まりあ