本気で生きるとは本気で愛すること | ♡守護天使からの贈り物★

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天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

人気の記事があります。(笑)

思わず、感想を伝えたくなるのか、
ブログでの反応を、ありがとうございます。

特に、

誰かのためなら生きようと思えるんだよ




が、人気が高いです。(笑)


まりあは、

キリスト教って、
愛に始まり愛に終わる、
とにかく、愛、愛、愛、なんだな、
愛の宗教なんだなぁ、

と、客観視をして、感じたことがありました。

前にもお伝えしました通り、
聖書には
「愛がなければ善行すらも意味がない」ことを伝えています。

そう言い切ったのは、イエス・キリストです。
法律よりも優先は愛だと。
愛に基づいて、本来ならば法律も出来たはずだからです。

この順序をよーく分かっておられる方でした。

そして、完結の最高の愛に死ねました。
愛する身内、愛する恋人のためではなく、
見ず知らずのような存在のためにも、
死ねました。

ここが、
愛する子供やパートナーの為に、
自分が犠牲になる愛よりも、
格段にスケールが違います。

映画やドラマ、小説では、
愛し合う存在、夫婦や、恋人、子供の為の話が多いですが、
その感銘のストーリーよりも
その上を行きます。

愛によって「死んで見せた」んですねー
初めから決めてきた、決められてきたから、
完結。

それも、
他の誰をも巻き込まないで、犠牲にしないで。

いくら、宗教のために死ねる、愛のために死ねると言っても、
まったく関係のない人までも巻き込んで犠牲にしたりすることは、真逆のこととなり、テロですが、
彼は違います。
「聖人クラス」とはそういう存在です。

お金も物質も持たないで、
何も得ようとしないで、
やってのけてしまいました。
それが「聖人」なんですね。

キリストののちにたくさんの「聖人」がキリスト精神を見習い
誕生しました。

ほとんど、聖人クラスと言えるのは、マザーテレサも言えましょう。

マザーテレサのことは多くの方々が敬愛されますが
キリストについての話となりますと、
たちまち、欧米のキリスト教関連の方々以外、
特に日本では、
「キリスト教」として、身構えられてしまいます。

「教会での結婚式」に世界一、人気があるのは、日本なんですけどね。苦笑

聖人クラスの意識が、
キリストが、欧米の作家などからも、鋭い客観視からでも、
「それ以上の人はいない、完全無欠だ、」とは言われる所以です。

何もまりあは、キリストが一番と言うつもりはないです。

何もわざわざ、
「人は、愛によって犠牲にならなくてはいけない、死んだほうが崇高で、目指さないとならない、」
のではないのですね。

体現して見せた人間がそこに居たという現実を、イエスは示し、地球で見せたかったのだと思います。

愛によって、犠牲になって、死ぬよりも、
「愛によって、死のう、」ではなくて、
「愛によって、生きろ、」なんですね。
「愛を基準にして、生きろ、」なのです。
なぜなら、それ以外は、無意味だから。

その理由は、


だから。


冷たい人間で生きることほどつまらないことはありません。

人が信じられない、となぜ、苦悩するの?


人が信じられるかどうかよりも、
ただ、愛を尽くせばいいだけなのに。

そうすると、
人はあなたに感銘を受けてあなたを信じてもらえるようになります。

そうすると、
あなたを信じる人達はあなたを愛する人達になるのです。

人を信じなくてもいいのです。
人の心は変化しやすいから。
それよりも信頼される人間になることだけに
注いだらいいのです。

それが本気で人を愛することなのです。

本気で生きるとはそういうことです。

なぜ本気で生きるの?
本気で生きたほうがつまらなくないし、楽しいからです。


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ないをあるに変える、

とは、

不可能を可能に変えることですが

愛がなければ、それは成り立ちません。

諦めない、も、愛がなければ、できません。

それ以外は、

「愛が足りない、」です。


キリストの数々の奇跡のしるしは
愛が実現させました。


まりあ