あなたの中にある真実の愛を思い出そう | ♡守護天使からの贈り物★

♡守護天使からの贈り物★

天国な時間を過ごしています。
誰でも、気づけば、
それは叶う…

{C02B202A-0931-4100-94B4-4E07E388002B:01}
ルカによる福音書より
聖書の放蕩息子の話、知っています…よね?
あまりに有名で。

男の兄弟のうち、
一人は財産を分けて欲しいと得て
出ていって、放蕩して、
無一文になって、惨めになり、
ああ、これなら、親の雇い人になろう、罪を犯したから息子にはなれないけれど、
と帰ります。
しかし、
父親は最高のもてなしをします。
そこで父親のそばにいた兄が、こんな祝いは私はしてもらったことがないのに、フェアではないと、怒ります。
しかし。
父親は
あなたはいつも私のそばにいて
私のものはすべてあなたのものだ。
しかし、あなたの弟は死んだのに生き返ったので、祝うのはあたりまえだ、
と、答えます。

感動の傑作と言われています。
新訳聖書では、ルカによる福音書が
一番好きです。

もうあなたの子供の資格はありません、
悔い改めましたので
どうか雇い人にしてください、と
跪いてうなだれている弟に
よく気がついてくれた、
帰ってきてくれたと
泣きながらキスをしている父親。
そして
拗ねる兄の肩を抱きながら
息子よ…と
温かく説得したのが浮かびます。
できることなら私と同じ気持ちに
なれないだろうか…あなたも彼が
改心したのを喜んで欲しい…
気がついて欲しいと思いながら。

神とは
この父親のようなものだよ、
と、イエスが教える場面です。

この、
罪を犯した子供が悔い改めて
帰ってくるのを
遠くからずっと待って見ている。
帰ってきたら
大歓迎する。

は、まるで、

親鸞の
『善人尚もて往生をとぐ  いわんや悪人をや』
に通じるかもですね、^ ^

『出来が悪い子供ほど哀れだし、可愛い、』
と、前にも記事に書きました。
真の情けです。

出来がいい子供だけを
可愛いと認めるのは
どちらかと言うと
母親よりも父親に多いですね。
最近は男性も愛に目覚めてきました。

出来がいい子だけ可愛いなんて
『自分の都合の良い人生のために
子供はあるから
迷惑をかけてもらいたくない、』
と言ったエゴの冷たさを感じます。

それで、出来が悪い子供には
出ていけと言うのが多いですね。
特に昔はそうでした。
しかし母親がかばったものでした。

出来が悪い子供に泣かされて
苦労させられて
苦しんで
その奥にある
自分の中の愛。

どうしようもない子供を本気で
掴まえて泣いて叱る。

ヘトヘトになっても
諦めそうになっても
それでも諦めない。
自分の中の愛を知るために
こんな経験をさせてくれるのです。

愛は尽きることがない…
もう無理、もうないと思えても…

まりあの母は
沢山いた猫の中で
1番アホで1番ブサイク
1番情けない猫を可愛がっていました。
本当は真っ白の美形が好きだったり
していますが
愛さずにいられないようでした。

だから

【出来が悪い子ほど可愛い】
が口癖でした。

神様って、仏様って
きっと、そうなんだろうな~^_^

親から愛をベタベタ~と向かうと
子供はやたら欲しがっていた愛を
求めなくなり落ち着いてきます。
飢えなくなります。
すると大人になっても
親から埋めてもらえなかった分を
埋めようとして焦り
異性にも飢えることを
しなくなります。
むやみに傷つく青春を
送らなくて済みます。

こんなにも
自分の中に愛があったんだ…

この発見が起きるまで
様々なお試しがあの手この手で
やってきてくれます。
ならイヤイヤ宿題をしても
合格しないから
積極的にかぶりつきましょう。笑

放蕩息子のように
出て行く子供には
見送ることもするでしょう。

それでも諦めない。
黙って遠くから見ている。
信じ続けて待っている。

ベタベタを充分していないうちから
自由にと
冷たく突き放さないことです。
しっかりと親の愛が後ろにある。
親の目が後ろにくっついている。
どんなに遠くても。
そして
出て行くのを
ずっと見守ることです。

溢れる愛をマスターすると
今度は
出来が悪い子供ほど
愛さずにいられない。
そんな感じです。
やはり、
【悪人をや。】

生まれつき
ヒステリーの子供がいました。
噛み付くし
荒れた犬みたいなものです。
これ、実は脳の障害とも
言えるのですが
確かに
ヒステリーの子供には参ります。
恐ろしいので可愛いと思えないから
余計大変です。

でもね、
哀れに思うわけです。
この慈悲心。

ヒステリーを起こしている子供も
幸せではないだろうと
哀れを感じるのです。

この慈悲心の目が実は
親…あなた様、自分自身を癒します。

自分の中に仏を見るからです。^_^

あ、
困った悪い異性ほど
愛してしまうのとは
また、Levelも訳も違いますからね。^^;
ここのあたり、混同しない。

無理に愛そうと努力する、
のでも、全く違いますからね。

私を犠牲にしてもいいよと
覚悟まである
奥底に到達する
泉に触れる、
愛の悟りです。^ ^

この愛に触れた時
人は爆発的な力を持ち
恐れが消え、不動になります。

愛が太くて強いから
動じないの。

すぐ動じてしまうのは
まだ愛が足りないからなの。
自分の中の無限の愛に
まだ到達していないのです。^_^


まりあ