越谷から北越谷の桜
元荒川の川沿いも桜が綺麗なのです。
今回Hさんにお誘いいただき越谷方面から北越谷駅に向かって歩き始めました。
と、その前に
越谷駅から川に向かって歩いている途中
烏骨鶏とシロヤギの親子を発見!
烏骨鶏のたまごを売っていたら買いたかったなぁ。
ヤギのお母さんはおっぱいがパンパンに張っていて重たそうでした。
越谷駅から15〜20分位歩くと元荒川の土手に到着しました。
越谷駅方面は
桜の枝が歩道と住宅街側に伸びていて桜の下を歩けます。
触る事ができる低い位置まで花が咲いています
一方の北越谷駅方面は文教大学辺りから
川の方に向かって枝が垂れるようになるのですね。
桜と川の景色がガラッと変わるのが面白いです。
越谷から北越谷駅まで10000歩近く歩きました!
(大分歩いたなぁトコトコ)
でも桜を眺めながら歩いたのであっという間でした
ちょうど私が歩いた16:00頃の遊歩道はご近所の方や犬の散歩コース。
犬も老若男女大勢の人を和ませてくれている桜なのでした。
桜を眺めながら、ふと周囲の住宅が気になりました。
私、先日関宿城の博物館で川と人々の暮らしを勉強してきたばかり。
川の近く=洪水との戦い工夫として
土手を高くする
家の土台を高くして、玄関まで三段位の階段を設ける
所が、越谷の元荒川沿いは土手も低く、玄関の高さも低いままのお宅がとても多いのでした。
ここら辺の土地は洪水が少なかったのか?
直さん気になったので帰ってから調べてみました。
【元荒川について】
その名のとおり元々は荒川の本流でした。江戸時代(1629年)に伊奈忠次によって荒川を利根川から分離する付け替え工事と堤防工事が行なわれました。
熊谷市久下で荒川が締め切られたことによって残った河道が元荒川となりました。ただし、元荒川は利根川水系に属しています。
荒川はその名のとおり「荒ぶる川」であり、扇状地末端の熊谷付近より下流で、しばしば流路を変えていました。
関東平野の開発は、氾濫・乱流を繰り返す川を治め、いかに川の水を利用するかにかかっていました。
堤防を築くとともに新川を開削し、荒川の本流を当時入間川の支川であった和田吉野川の流路と合わせ、隅田川を経て東京湾に注ぐ流路に変えたのです。
この河川改修事業は、埼玉平野の東部を洪水から守り新田開発を促進すること、熊谷・行田などの古い水田地帯を守ること、木材を運ぶ舟運の開発、中山道の交通確保、さらに江戸の洪水の防御などを目的にしていたと言われています。
これにより埼玉東部低湿地は穀倉地帯に生まれ変わり、また、舟運による物資の大量輸送は大都市・江戸の繁栄を支え、江戸の発展は後背地の村々の暮らしを向上させていきました。
と言うわけで、越谷の元荒川沿いは洪水が少ないため土手と住宅の玄関が低くても大丈夫になったのですね!
川沿いの家の玄関に疑問を抱いたところから関宿城の博物館で学んだ「沼の干拓工事」にも繋がる内容となりました。
因みに…
つまらないように感じる内容ですが、自分が住む地域の土地や川の歴史をしっかり調べておくと良いですよね。
今住む場所は洪水が多かった地域なのか、元々沼や湿地だった地域か、川の流れを無理やり変えた地域かなど気候変動が多くなり自然災害が増えてきた今だから。
「今まで何も無かったから」とか「想定内」はこれから無くなるかもしない。
だからこそ、ちゃんと土地の歴史を知って対策を立てておく。
防災グッズを備えておくのと同じくらいの大切な事だと思うのでした
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