今日も天使の喜ぶ生き方を!
Rayです。
読んでくれてありがとう。
ご質問をいただいたので、回答します。
まあ、あくまで私の考えなので、ご参考まで。
①私は霊感がないので、ミディアムさん等にお願いして、亡くなった子の成仏を聞いたり、様子を伺っていました。今後もミディアムさんを通じて交信することは、あの世の我が子にとって迷惑にならないでしょうか?
まず、あの世の存在は、迷惑なんて感じません。
制限がない世界にいるので、どんなにたくさんの人が、どんなにたくさんの思いを投げかけても、すべて受け取ってくれています。
うちの娘の場合ですが、「肉体がないと、より多くの人を助けられる」と言っていました。同時に何人もの人を助けるのは、肉体があるととても無理ですが、肉体がなくなると、時間、場所などに制限がないのです。
そのミディアムさんが、あなたが喜ぶことを言ってくれて、且つ依存させず、あなたに前進するパワーを与えてくれる人なら、今後もお付き合いをされていけばいいと思います。
私もたまに信頼できそうな方(直感w)を通して娘の言葉を聞くようにしています。自分では受け取れきれていない情報を受け取れたりしてとてもワクワクするからです。そういった自分を成長させたり喜ばせるツールとして使うのはお勧めだと思います。
でも大前提として、霊感がなくても、私たちはあの世の存在と繋がっているので、いつでも話しかけたら聞いてくれていますよ。
あの世の存在も伝えたいことがあるときは、あらゆる方法を駆使して伝えてきます。音や匂い、活字や数字、テレビやSNSなどで、存在していることやメッセージを伝えているので、受け入れてあげてください。
「気のせい」にせず、自分が信じたいように信じてしまうのです。だって、あの世の愛する存在は、あなたがきっと信じるだろうなという方法で知らせてくるからです。それはあなたとあの世の存在しかわからないことなので、他人に否定的なジャッジされても気にしなくていいのです。
結論、ミディアムさんはヘアサロンに行く感覚で自分を整えるために利用させて頂いて、お子さんとは日々の生活のなかで、普通にやりとりしてしまうことをお勧めします。始めは妄想でいいのです。それを信じ始めると、世界が変わっていきますよ。
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ではお次の質問。
②祈るという行為は、例えばお墓参りだったり、お線香だったり、お花だったり、それらはあの世にとってはあまり意味がないのでしょうか。愛と感謝を伝えるにはどうしたら伝わるのかなといつも思っています。
愛と感謝は、いつ何時でも伝えることができます。
今この瞬間にも。
祈りというのは、現実にいる人のためにあるものですよね。お墓参りも、お線香も、お供えも、あの世の存在が喜ぶとしたら、そうやって供養することで、遺族の心が休まるから嬉しいのだと思いますよ。
神仏にお供えをしたりするのも、結局人間がそうしたいからしている訳で、純粋な気持ちで富を分かち合ったり、あるいは、なにやら魂胆があってお願いを聞いて欲しくてお供えしてる人もいるかもしれませんが、神仏が喜ぶからするわけじゃなくて、こちらの都合ですよね。
だから自分がしたければすればいいし、したくなければ無理にしなくてもいいと私は思います。無理に何かをして欲しいなんて思っている神仏・魂はいないからね。
自分がどうしたいのかをよく心の中を探していく練習だと思って、自分の好みの供養をしたらよいと思います。私はね。
一般的な方法や誰かと競うように豪華にしたりする必要もない。人目をきにしている行動は、愛を出す行為ではなく、自分を見下し卑下する気持ちの裏返しです。愛する人にそんな姿を見せたいかな?ってこと。
参考までに我が家の場合だと、娘の遺骨はお墓の中に入れたくなくて、まだウチにあるし(ゆくゆくは、娘が好きだった海に散骨する予定だけどなかなか手放せない)、お花は私が気持ち良いから飾るけど、お線香は匂いに敏感な私には苦しいので、朝晩に夫が焚くだけです。
お花は小さくてもいい派です。
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たまに、ビスコが売ってると娘が好きだったから買っていきますが、それは他の娘たちにしている頻度と同じです。祥月命日も、夫の誕生日だから、誕生日会しかしません。そうやって自分たちが気持ちの良い供養をしていて、今私たちは幸せに暮らしています。
そしてね、もしも自分たちらしく供養しているのに、とやかく言ってくる人がいたとしたら、それはただの不安な人なだけ。神仏を、悪魔のように恐れている人ですよね。悪魔だなんて失礼極まりないと私は思うのです。娘も頷いているw
娘は私たちの幸せを願っているはずだから、とことん自分たちを幸せにするようにしています。神様仏様も一緒です。
我が家は曹洞宗ですが、お世話になったお坊様は、ご家族が幸せでいることが一番大事だと説法してくださいました。
愛と感謝は毎日、幸せを噛み締めるたび、悲しみを思い出すたび、どんな時にでもできます。
そして何より自分たちが幸せだったら、感謝せずにはいられませんよね?自分たちが十分に満たされ幸せだったら、もう人を愛するしかないですよね?
だから感謝と愛を送りたかったら、まずは自分たちを幸せにしてください。それがお子さんの狙いだと思いますよ。あなたが愛を出す方法があるとしたら、あなたが幸せになる必要があるのです。要するにお子さんはあなたを幸せにしようとしています。
今この瞬間にも、「ありがとう」といったら、伝わっています。
それで十分なのですよ。でも言えなくなっちゃう時もありますよね?
だからこそ、私たちはいつも何度もありがとう!って言えちゃうくらい自分たちを幸せにしたらいいのです。それは自分の行動のおかげであると同時に、その行動に関わってくれた万物に対する感謝でもあるので、自分のことしか考えていない行動ではないのです。遠慮なく幸せになってください。
回答以上です。
いかがでしたでしょうか。
愛するってどうゆうことなのか、
私たちは本物の愛し方を学んでる。
それは大事な人が肉体を脱いだおかげ。
でも愛する方法を知った私たちは、
肉体を持つ存在にも、
あの世の存在にも、
要するに全てに対して、
本物の愛と感謝を表現できるということ。
愛の存在になる、
チャンスをもらったのだよ。
ありがたいね。
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