あれから22年 | Sofia☆のブログ

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2012年5月甲状腺ガン(乳頭)の宣告を受けました。
細胞レベルはVリンパにも転移していました。
8年前から霊気ヒーリングを実践してましたので
メスを入れ抗がん剤や薬を服用する西洋医学は受け入れられず
手術をせずに克服できました。シェアして頂けたら幸いです☆

阪神大震災から22年。。。


当日2歳だった息子も今年25歳をなります
その時の住まいは東三国で15階建ての
14階に住んでいました。


朝方トイレに目が覚めました。
東側にある寝室にすぐ戻らず
わざわざ西の部屋に行って、
まだお星さまは出てるか
西の空を眺め寝室に戻り
もう一寝入りしょうとお布団の上に
座った瞬間に揺れだしました。


あのままトイレに行かずに寝ていたら
家具の下敷きになっていたかもしれません

コの字型のマンションの角部屋でしたので
揺れに揺れました。今思い出しても震えますが、通路が切れ30Cm程空いた空間を息子を抱っこして渡った恐怖体験もあります建築家の友人曰く計算通りだそうですが
二度と経験したくない怖さです


家の中は冷蔵庫の野菜室はリビングダイニングルームの端から端へ跳ばされ、対面式のカウンターキッチンの木枠は巨人が捻った様にスクリューしてはがれていました


お風呂の湯船はごっそり外れドアが開かない状態、食器は9割近く割れ片付けるのに一週間かかりました


あれは忘れもしませんが不思議な出来事がありました。近くに母が住んでいたので母の様子を見に行くのに玄関まで靴を取りに行く際


真っ暗なので足の指先でガラスを踏まないか探りながらリビングダイニングルームを歩いて靴を取り家の中から靴を履いてでましたが


あとから見てびっくりあせる
足の踏み場もない程ガラスの破片が飛び散り
避けようもない状態でしたので
ここを素足で歩いたのかと思うとゾッとしましたが


あの時の感覚は今も忘れませんがふわふわの絨毯の上を歩いた感覚しか記憶にありませんでした


私は子供の頃から兄と弟の3人兄弟で育ちましたが、私だけですが、鉄棒で遊んでいて左目を殴打しあと数ミリ失明する目に遭ったり、数メートルのところに落雷、誘拐未遂に遭ったり7歳位までに危機一髪な出来事が兄弟の中でも私だけありました


そのころから私の波瀾万丈が始まっていたのかもしれませんねあせる笑えない汗
痛い目に遇うのは私の担当でしょうか?


兄も弟も結婚生活も継続し初めてお勤めした会社にずずずっーと勤務しており
二人とも誰もが知っている会社に勤め
兄は○TTという会社で数年前から
秘書さんも付けてもらっているそうで



色々と脱線している私にはあの二人の真似は出来ないのでえらいなー思います



姪っ子ちゃん&甥っ子ちゃん達
ネタの尽きないおばちゃんと
観察されてそうですが(笑)



これまでの人生を振り返っても見えない力に護って頂いててることが数多くあります
何度も命を頂いている気が致します。。。


改めて、生かされていることに感謝し自分の持ち場をしっかり守りながらお役に立てることをさせて頂きたいと思いました



ご家族を亡くされたご遺族様に心からお見舞い申し上げますとともに犠牲者の方々のご冥福心からお祈り致しますブーケ1


今日も命を頂き誠に有り難う御座います


今日も生かして頂き誠に有り難う御座います


愛と感謝を込めて!

sofia☆