大迫傑選手を応援しています。
大迫傑選手は米国でパリオリンピックに向けて調整中で、練習の一環として、1万mに出場したそうです…
調子が良さそうで良かったです♪
【陸上】五輪代表・大迫傑が米国で1万mに出場
終盤にペースを上げて28分16秒00
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdd64eb3698f3b4c261d48f730f76e4613748404
6/9(日) 月刊陸上競技
6月8日、米国オレゴン州ポートランド郊外で「2024ポートランド・トラックフェスティバル」が行われ、男子10000mにパリ五輪マラソン代表の大迫傑(Nike)が出場し、28分16秒00で6位に入った。
昨年11月の八王子ロングディスタンス(10000m)以来のトラックレースとなった大迫は、パリ五輪に向けて練習の一環として出場。前半は1周66秒から68秒あたりで回り、2000m5分40秒、4000mを11分20秒のイーブンペースで通過した。6000mを過ぎてからはややペースを落としたものの、9000mからは切り替えてラスト1周は62秒のラップを刻み、余裕を持ちながらをフィニッシュした。
大迫は4月のボストンマラソンで2時間11分44秒の13位。パリに向けて米国を拠点に調整を続けている。 また、同じレースには今江勇人(GMOインターネットグループ)が出場。28分12秒74で2位だった。
「世界で戦いたい」大迫傑、パリ五輪への思いと、ナイキ最新シューズへの期待|自身の成長を感じたMGC、来年元日のニューイヤー駅伝には選手として出場予定
32歳大迫傑は「期待を裏切らない」
2度目のMGC、恩師・渡辺康幸「プロとしてかっこいい姿を」
2023.10.14 著者 : 牧野 豊
早稲田大で指導、パリ五輪出場を狙う教え子の現在地を語る 陸上のパリ五輪マラソン日本代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が10月15日、国立競技場を発着とする東京都内のコースで開催される。男子の代表争いの中心になるのは、東京五輪6位入賞の大迫傑(Nike)だ。2015年にプロ選手として単身アメリカに渡り、以降日本の長距離・マラソン界に大きな影響を与えてきたフロントランナーは、2度目の五輪マラソン代表選考会でどのような走りを見せるのか。
ここでは指導者であり、マラソン・学生駅伝の解説でもお馴染みの渡辺康幸氏(住友電工陸上競技部監督)に、教え子である大迫の現在地と、レースでの戦いぶりを占ってもらった。(取材・文=牧野 豊)
早稲田大学時代、大迫の世界志向の意図を汲み、その後の進むべき道標をつけた恩師の渡辺氏は、大迫のプロとしての強さに敬意を表しながら、MGCでの走りに期待を寄せる。 「改めて思うのは、大迫選手はあらゆる面でプロランナーであるなということです。彼はお金のために走れる選手。非常にシンプルです。日本の実業団の選手もレベルは上がっていますが、その点の意識はまだ緩い部分があります。前回のMGCで賞金がつかなかったことを彼が指摘したら、今回はつくようになったわけですが(男女各1位=1000万円、2位=500万円、3位=250万円)、プロとしては当然のこと。だから勝つために走る動機づけが、より明確になっていると思います」
今年の5月で32歳となりベテランの域に入りつつある。だが、大迫に「年齢は全く関係ない」と渡辺氏は言う。むしろMGCという大舞台で、経験を積み重ねてきたプロランナーとしての矜持を変わらず見せてくれるのではないか――。そんな思いを抱いている。 「彼にとっては気持ち、モチベーションがすべてです。結果を出してナンボの世界でずっと生きてきたわけですし、MGCに出る以上、プロとして負ける姿を見せるわけにはいかない。我々からしても、プロランナーとしてかっこいい姿を見せ続けてほしい部分もあります。それは私が彼の元指導者だからというだけでなく、彼のファンにとっても同じだと思います。走り続ける以上、そうした期待に応えることも彼の使命であると思いますし、彼自身もそう思っているはずです」
大迫が「勝つならロングスパート」だが…
とはいえ、大迫にとってはMGC出場権を獲得するために出場しなければならなかった東京マラソンから、わずか7か月後のレース。マラソンの準備期間としては短い。そうした条件の中でも、今の自分に足りないもの、何をすべきかを考え、自身が強くなるための練習計画を立て、MGCへの準備を進めてきた。
「どんなに辛い状況でも勝たなければならないプレッシャーは、彼自身、2015年にプロになって以降、ずっと経験してきたものであり、日常でもあります。力を示せなければクビになる海外のチームで生き残り、世界のトップランナーや指導者から多くのものを吸収してきました。今ではアメリカ、ケニアにも自分の練習拠点を構え、雑音をシャットアウトすることも含めて時々の状況に応じて、練習場所、練習相手を選び、自分を高めていく環境を作り上げています。
彼の場合は、毎日が変化の連続でありたい、という考え方です。変化を厭わない。1人で行動することへの抵抗がないですし、口に出してきたことは必ず実現し、期待を裏切らない。それが彼の強さの源でもあると思います」
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では、大迫が代表争いを制するレースパターンとはどのようなものなのか。前回は39キロ以降の勝負で中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)との壮絶な競り合いに敗れ、代表内定に5秒及ばず、今年3月の東京マラソンでも日本人トップ争いで山下一貴(三菱重工)、其田健也(JR東日本)と残り3キロからの競り合いで敗れている。
「これまでの戦いぶりを振り返ると、大迫選手はレースの終盤、ゴールまで残り2~3キロからの(日本人同士の)競り合いになる展開では敗れるケースが多かった。そうなると勝つならロングスパート、例えば残り10キロくらいから徐々にペースアップし、気づいたら差が開いていた、というようなパターンがイメージしやすいです。
もっとも、大迫選手は負けたレースから自分に足りないもの、課題を理解して次に活かすセンスを持ち合わせているので、違った形で勝負を仕掛ける可能性もあります。いずれにしても30キロ、35キロくらいまでに、どのくらいの余力を残しておけるかがカギとなります」
東京五輪直後に第一線を退くも、翌年に復帰を表明しパリ五輪を目指す大迫は、2度目の出場となる15日のMGCで、どんなレースを見せてくれるのか。
■渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)
1973年6月8日生まれ、千葉県出身。市立船橋高-早稲田大-エスビー食品。大学時代は箱根駅伝をはじめ学生三大駅伝、トラックのトップレベルのランナーとして活躍。大学4年時の1995年イェーテボリ世界選手権1万メートル出場、福岡ユニバーシアードでは1万メートルで優勝を果たし、実業団1年目の96年にはアトランタ五輪1万メートル代表に選ばれた。現役引退後、2004年に早大駅伝監督に就任すると、大迫傑が入学した10年度には史上3校目となる大学駅伝三冠を達成。15年4月からは住友電工陸上競技部監督を務める。箱根駅伝の中継車解説でもお馴染みで、大迫とは卒業後も情報交換するなど親交を続けている。
マラソン・大迫傑の思考回路。孤高のプロランナーが貫く「目的意識」
https://www.seiko.co.jp/magazine/article/00053.html
020年の東京マラソンを筆頭に、2度も日本記録を更新したスターが一区切りをつけた。プロランナーとしての大迫傑の挑戦の日々は、2021年に日本で開催された世界の大舞台での6位入賞という形で一度幕を閉じた。選手としての実力はもちろん、常識にとらわれない言動でも注目され、まさに名実ともに日本陸上競技界のトップとして走り続けていた大迫。その孤高とも呼べる振る舞いは、「目的意識」を重視する自らの信念に基づいていた。常に現在を見据える大迫に、「走ること」のマインドについて語ってもらった。
・一歩踏み出した「プロ転向」がターニングポイント
2015年3月。陸上界のみならず、世間を大きく驚かすニュースが駆け巡った。大迫が所属する実業団をわずか1年で退社し、プロ一本化するという内容だった。プロ転向という日本の陸上界ではあまり前例のない挑戦。加えて活動拠点をアメリカに移すことを発表したのだ。ラストレースから数か月が経った今、「アメリカでの生活がターニングポイントとなった。」と大迫はプロ生活を振り返る。「あの時、躊躇しないでアメリカに行って良かったです。自分のコミュニティから一歩足を踏み出したことで、世界が広がりました。大変なこともありましたが、振り返るとあっという間で、とても濃い経験でしたね。一歩踏み出すことで、二歩目、三歩目が自然とイメージしやすくなりました。」安定した収入が得られる実業団とは異なり、レースの賞金やスポンサー契約で食べていくプロの世界。厳しい環境に身を投じた異国の地での挑戦だったが、一歩踏み出したことで得られたものは、何にも代えがたい経験だった。…
・選択をするうえで大切にしている「ワクワク感」
プロ転向に伴う渡米は大迫の大きな転換期だったが、結局はそれも「ただの手段だった。」という。
ではアメリカに行った目的は何だったのか?
「自分のやることに飽きたらダメだと思いました。自分を飽きさせないワクワク感のある挑戦ができる環境に身を置きたかったし、常に自分自身がカッコいいと思えることをしたいんです。プロ転向がなければ、次の挑戦もありませんでしたし、現在の取り組みに対するワクワクもなかったかもしれません。」 より自分がワクワクするほうへ――大迫が大きな決断をするうえでの基準であり、それが新たな挑戦へと自身を突き動かす原動力なのだ。
「まずは自分の感覚でやってみるタイプです。”こんなことができそうだな”とパッと浮かんだ時に、まずはポジティブに物事を考えます。リスクもちょっとは考えますが、緻密に計算するタイプでありません。」
プロランナー転向も、渡米も、すべてポジティブな感情に身を委ねた。あのラストラン宣言もそうだった。 「プロとして走ったり、国際大会に出たりするのを現状では一区切りつけます。ただ、今後も陸上界に関わっていきます。大会に出なくても別に死ぬわけじゃないので。妻や子どもたちにも、“パパ、一度走るのをやめてみるかも”と伝えたら、“あ、そうなんだ”という反応でした。」とあっけらかんと笑う。
あのSNSでの突然の周知も、世界の大舞台のマラソン開催10日前のことだった。 「あのタイミングでラストレースを表明したのは、自分の納得だけで終わるのではなく、いい意味でいろんな方を自分のドラマに巻き込みたかったからです。自分なりの達成感や感動を少しでも多くの方と共有できたらと思ったんですよね。」 最後と位置づけて自分を出し切り、”満足できるレースにしよう”と決意した大迫。スタート地点に立ったその表情は心なしか晴れやかに感じられた。そして、6位入賞を花道にプロランナーとしてのゴールテープを切った。2017年の初マラソンから4年半。ゴールした瞬間の晴れやかな笑顔とレース直後のインタビューに大迫の充実感を感じ取った方は多いだろう。
・過去でも未来でもなく、大事なのは「今」
栄光に彩られたプロキャリアに一度区切りをつけて新しいチャレンジに身を投じた大迫。大きな岐路に立つ大迫に、過去・現在・未来のどこを軸を据えているのかを聞くと、迷わず「今。」と答えてくれた。「常に今を大切にしています。今、この瞬間に行動しなければ何も変えられません。自分がワクワクすることや楽しめることにチャレンジできているのか。過去と未来はいわば、結果と想像でしかないですよね。時計が常に時を刻み続けるように、時間が止まることはありません。今を大切にし、日々を胸に刻んでいきたいです。」大迫の行動に目的意識が伴うのは、今という瞬間を常に大切にしているからかもしれない。「予定を決めて行動するのは好きではないので、常にその時にあった面白いことを軸にしたい。“どうあるべきか”“どうしたいか”を突き詰めるよりも、挑戦したいことやワクワクすることを優先したいですね。」目的に対する軸がブレないからこそ、やりたいことの最短距離を選び、まっすぐ進めたのだろう。そして、そうしたマインドはこれからもずっと変わらないはずだ。