いや~。
やっぱり月1しか記事が書けなくなっている私。
いつも記事が長いから仕方ないかな
J専も退会して3カ月目を迎えます。
娘の体調はかなり安定してきました。
お兄ちゃんの体調はあと一歩で、不登校も今一歩ですが、
大きな検査は不要になりました。
とりあえずホッとしているつきあかりです
ヤマハ記事は・・・
今回の記事と、まとめ記事で終わりにする予定です。
なぜなら・・・
娘さまは、元気になってきたけれど、
ヤマハという言葉を耳にするだけで、
拒絶反応を起こし耳をふさいで叫びます
ヤマハが悪いわけじゃないんだけどね
それだけ、トラウマになってしまったんだろうね。
癒えるには、もう少し時間がかかりそうです。
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さて、今回は、前回書いた回想録VOL.2に書いた、
J専を辞めることになったきっかけ4つの詳細を軽く書いてみようと思います。
1.もともとグループレッスンがあまり好きでなかったという事実
幼児科2年目のある日。
「グループレッスンがいやだ」という発言をはじめていました。
でも、幼児科だけはきちんと終わらせたかったので、
追加で個人レッスンをお願いし、ごまかしていました
本当は、幼児科を終えたら、
ヤマハ外の個人ピアノに変わる予定でした。
でも・・・幼児科の先生に推薦いただき、J専の見学に行ったらば…。
お嬢様から、「J専に行く!」とのお言葉が。
テンポよく転調リレーをしていたり、
幼児科に比べると高度だけれども、
とても楽しそうなレッスンが印象的だったんでしょうね
でも、いざJ専にあがって、蓋をあけたら、
見学した時の先生とも違い、
見学した時のような楽しそうなレッスンではなかった。
これは詳しくは、次の項目につなげます。
2.誰もほぼ発言しないグループレッスンへの拒絶
娘が属したのは、女の子ばかりの6人グループ。
7割がエレクトーン専攻の子。
ピアノ専攻の子もエレクトーン所有のグループでした。
女の子ばかりで、キャピキャピ楽しく進むのかなと思いきや、
レッスン中、
ほぼしゃべらない、
クールで真面目女子の集まりでした。
ん~、飽くなき探求心。一人ひとりが上達を見据えたグループ。
そして、先生もクールだった。
でも、個人レッスン時は、娘とよくお話をしていて、
娘に「グループの時も、今みたいにしゃべってよ~」と何度も言われるほど。
レッスン中の、先生からの問題も、ほぼ誰も解答せず、
先生からの目線で、娘に振られること多々あり。
「発言すれば、私だけ目立つ。」
それも苦痛だったみたいです。
楽しいはずのレッスンが、常に緊張ととなり合わせのレッスンだったらしい。
それが、年度をまたぐたびに、
日々ストレスとして積み重なっていったんでしょうね。
3.EFアンサンブル練習時のトラウマ的記憶がフラッシュバック
これはもう仕方ないかもしれませんが・・・。
普段の宿題+EFアンサンブルの長い楽譜をサラサラ譜読みして弾く。
やっぱり1年目はきつかったです。
1年目の娘は、セカンドメロディライン的なパートでしたので、
割に音があり・・・。慣れないアンサンブル楽譜に苦戦し・・・。
「弾けないなら出るな」
とのご通達をいただきました。
そして骨折をし・・・。
ギブスが外れたばかりの時に、
「練習が足りないんだよ!」
私と外部の人が数名いらっしゃる前で怒鳴られ、
大号泣した娘の記憶は、未だに、私からも消えません・・・
ギブスはずしたばかりの子はピアノ弾けません。
↑甘い考えなのか・・・
だから、譜読みだけは異常に早くなりました(笑)
色んな先生がいらっしゃるようですし、
怒鳴られたって気にしないお子さんもいらっしゃるようだけど、
単なる先生の感情のままなのか、
それとも伸びしろ有だからなのかわかりませんが、
楽しく音楽を上達したい天然とろりん娘の、
まだまだ小さな心には、
人前での大きな怒鳴り声はきつかったようです。
そのトラウマが、今回表面化して、過呼吸をおこしたわけです・・・。
4.昨年より回復途中にあった右足トラブルでの挫折感
このブログでいくつも書いてきておりますが、
娘は2年目の秋口より、歩けない、物が持てないetc
両手足の機能性運動障害を起こしました。
抗核抗体320倍の数値をもちながら、主原因は不明で、
心因性で通院しています。
もう1年半になります。
車椅子&おんぶ生活を経て、杖歩行、通常歩行に無事戻ってきました。
ですが、力が伝達しにくいという問題は多少残っていました。
どういうことかというと、
鉛筆が握りにくく、太軸シャーペンで字を書いたり、
弾くことでいえば、
エレクトーンは鍵盤が軽いのでさほど影響がでませんが、
ピアノですと、鍵盤を押さえるだけで指が痛い。
和音が続くような曲はまず無理でした。
なかなかf(フォルテ)やffが出せる筋力?神経伝達力?が戻っていませんでした。
そして、右足首のマヒが強かったので、
苦労したのは、ペダルです。
意外にも、上下に動かすことは比較的大丈夫で、
ピアノのペダル、エレクトーンの音量調節のような、上下運動は問題なし。
困ったのは、エレクトーンの音替え。
足を右側に蹴る動作が、まぁキツイキツイ。
できないわけではないけれど、
「オリャッ」って気合いを入れないと遅れてしまったようです。
その遅れを、レッスン中に先生に指摘されてしまい。
遅れたのは理解したし、自分で直し方がわかり調整できるんだけど・・・。
それが、また、メンバーの保護者さんにも嫌悪感を誘ったんでしょうね。
そのことに関して嫌味を耳にしたそうで・・・
みんなに迷惑をかけないように頑張ったのにね。。。
それからというもの、グループレッスンの日は、
必ず鼻血を出したり、腹痛を起こすようになり、
今現在進行中の過敏性腸症候群に移行してしまったんですね。
乗り越えるのは本人だという意見もあるでしょう。
アンサンブルゆえに、みんなと合わせないといけないのは重々承知。
そのために、本人は、ペダルに関しては乗り越えましたよ。ハイ。
でも、人って、なぜか・・・
他人のできないことに目がいきやすいんですよね。
自己防衛するためにも・・・。
子育ても一緒です。
できないことに目を向けず、
できること一つ一つに目を向けてあげれば、
必ず子供はうまく育つのに・・・。
そんなこんなで、
娘ちゃんは、精神的肉体的魂的に・・・
耐えられる状況ではなくなったのです。
先生も、色んな提案で引き留めてくださいました。
でも心身一体。今は、身体と心を直すのが先。
やっぱり、人間、身体が資本です。
身体が元気でないと、やっていきたい夢も叶えられません。
割れたお茶碗に、おいしい食事が乗らないのといっしょです。
あれほど、作曲が好きで、
楽しそうに「J専行く」って言ってはしゃいでいた彼女の夢は、
残念ながら、ここで終わりを迎えました。
J専を辞めてから・・・
彼女は、ピアノすら弾かなくなっていました。
ピアノに向かうと、腹痛を起こすから。
そこまで追い詰められてしまっていました。
でも、音楽好きは変わっていませんし、
音楽の道に進みたい気持ちも変わっていません。
今は、
「音楽で人の心を癒したい」
という大きな目標に変わりました。
J専をきちんと進級できたときの達成感や、
身につく音楽力は計り知れない。
正直、惜しいなあと思うこともある。
でも、娘の心身を第一に考え、
J専以外の別ルートで音楽の道を歩むこと。
娘の気持ち優先で、この選択をすることに後悔はありません。
春が近づき。。。
彼女は少しずつ、ピアノに向かえるようになりました。
今までの恐怖感情と闘うこともあれば、
その恐怖に立ち向かうために培った妙な譜読み力から、
ぶっ飛んだ演奏をすることもあります
あくまで親はサポーター。
彼女を彼女のまま、彼女の夢まるごと受け入れてくれる先生を探し、
すべての事情を受け入れ、導いてくださる先生と出逢えました。
少しずつ、軌道修正して、
また、彼女の音楽道を歩んでいくことを願っている母なのです
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J専に関しては、もう卒業したので、
次回、総まとめ記事を書いて終わりにしたいと思っています。
おそらく、新規J専進級時期だからか、
最近記事を読んでくださる方が多いので、
3月中にまとめたいと思います