ここんとこ、ネットフリックスで配信されているオリジナルドキュメンタリー『死後の世界を探求する』に夢中になっていた。
臨死体験、
霊媒師(ミディアム、
天国からのメッセージ、
現れる死者の霊、
転生(過去生を記憶する子供たち)
正直、どれも大変興味深い。
一般人の体験談とその道のプロフェッショナルな人たちの話で構成されていて、スピリチュアルな探求をする人間であれば、これは、あるある、全部す〜っと入る話ばかり。
最後の章の『転生』に出てくる、体験者は、多くのアメリカ人がそうであるように
『生まれ変わりなんて、全く持って馬鹿げている。』と一笑していたホワイト人たち。
でも、現実に我が子が、前世の体験を感情を持って話すことに対して、自分の信念に疑問をもち始め、調べていくうちに、子供の親たちが、どんどん意識を広げていく様が映像に収められている。
この世界は目に見えることだけで構成されていると信じる人達からすると、目に見えないものを感知したり、あるはずのない亡くなった人達とのコミュニケーションなど、『ただの妄想や幻想』と片付けて終わりにしてしまった方が自分の信念を疑わずに済むので楽だ。
人間は自分が信じたいものだけを信じるもの。
一般的なアメリカ人は、毎週日曜日には教会に通うキリスト教信者が多い。
アメリカに忠誠を誓う言葉も『GOD』と言う言葉が入っている。
そういうキリスト教信者からすれば、生まれ変わりや、死者に意識があると考えるような人間は、ただの馬鹿で、頭のおかしなクレイジーとラベルを貼られる。
私は間違いなくそのクレイジーな一人だけど、何か?
『意識』を意識してない人間には、わからない話だというのはわかる。
自分の人生を自分で創造できることを信じられない人々。
そういう人たちは、自分に与えられた環境、与えられた家族、与えられた仕事をこなし、キリストという神様に忠誠を誓う。
それぞれの教会で微妙に違う『教義』とされるものに合わないことは全て『悪』だと感じる。
そんな『悪』を犯さないように、日々自分で自分を監視し続ける。
もし誰かに非難されたりした時は、反対意見や理屈という名の言い訳を、もっともらしく唱え、自分を正当化することにエネルギーを注ぐ。
でも心の中で『もしかして、私は間違っているかもしれない。』と感じると、その罪悪感に押し潰されないためには、やっぱり他人や何かのせいにするのだ。
正直あまりにもレリジストだと、本人たちの『自分の教会、信念がベスト!』というセンスで他人に接していることに気がつかない。
クレイジーな部類の私は、そういう人たちから見ると『神を信じられないなんて、可哀想に・・・。』と祈られてしまう対象となる。。
自由な私は、『迷える子羊』と見なされるのだ。
夫の家族は、全員レリジストだったので、私は、迷える子羊扱いされてるのを感じ、それが本当に嫌だった。
可哀想な人だと思われていることが、辛く、重荷だった。
『あ〜、もう、この感じ、やってらんない。』となったのが、自分解放の第一歩でもあった。
「教会なんて全く興味ないから、子供の為とか言って誘うのやめてください。」とはっきり言えた。
私は、シャマニックヒーリングのプラクティショナーとして、ヒーリングジャーニーをする。
それは、見えない世界を旅することだ。
だから、私にとって見えない世界は、ここにある。
それは、私の体験で実際に起こったことだから私の真実なのだ。
でも体験してない人からすれば、見えない世界があるというのは、真実なのか、そうでないのか・・・、ジャッジするの難しいよね。
話は戻るけど、この『死後の世界を探求する』にも出ているイギリスにあるミディアムスクールで学んだことがある日本人ミディアムを私は知っている。
そして実際にセッションを何度も受けたことがある。
その彼女のビジョンから受け取るメッセージに私は何度も助けられた。
自分の人生の困難とは、被害にあったわけじゃなく、魂の成長に必然だったんだ・・・・と納得できれば、その体験は困難じゃなく、目覚めのための必要な体験に変わる。
捉え方を変えることができるようになった。
これが目覚めとか魂の成長というものだ、とわかるのには、すごい時間がかかったけどね。
ネットフリックスアカウント持ってたら是非「死後の世界を探究する」観てみてね。
もしかするとスピリチュアルな気づきに繋がるかもしれません。
では、今日も読んでくださってありがとうございました。
素晴らしい一日で💓