[本] 魂の交信 / その世とこの世 | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

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大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。

この往復書簡を読み始めて間もなく私の頭に浮かんだのは、
スピルバーグ監督の「E.T.」の
E.T.と少年の指先が触れ合う、あのポスターです。
二人の言葉を超えたコミュニケーションの象徴です。

手紙をやりとりするブレイディみかこと詩人谷川俊太郎も、
散文と詩という異なる表現形式で思いを伝え合い、
映画のあの二人とも通じる魂のふれ合いを見せています。


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その世とこの世 / 谷川俊太郎、ブレイディみかこ、奥村門土(モンドくん)画(岩波書店)
2023年刊
お気にいりレベル★★★★☆

まずブレイディが物怖じしつつ谷川に初めて手紙を書きます。
他紙で読んだ彼の詩「あるとない」の最後の一行で彼女は笑い、その笑いには邪気を含んでいたことを告白します。


それに対し大詩人は、詩で固まった自分の頭を詫びます。

 

ブレイディさんの現実的実際的で明快な散文に、詩の朦朧体でご返事することを許してくださいますか。 『萎れた花束』


その上で、散文を和歌や俳句の詞書のように書簡の冒頭に置き、肝心なことは詩で伝えます。

 

互いに名前と業績を認めあいながらも一面識もなく、
それぞれが持つ筆の力強さなど忘れてしまったかのように、
谷川とブレイディがおそるおそる始める言葉のやりとりです。


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ところが、手紙を書き始めるときの臆病さは、
受取った手紙の一節に反応するや否や、
自らの記憶を呼び起こし、思いを巡らせ、
それぞれが得意とする表現形式で力強く思考の翼を広げます。

例えば、
谷川が地に足のついた「散文」と無重力の宇宙をさまよう「詩」を、後ろめたさをにじませながら対比する詩を書けば、
ブレイディは、その詩「萎れた花束」の言葉と、十代で彼女が衝撃を受けたロックの歌詞を呼応させ、
その歌詞から、いまの自分の事象をみるときその背景の社会をみる視点が生まれたと、偶然の呼応を歓迎します。
その後も、ブレイディは何度も「実は」と谷川に触発されて自分の体験や心のうちを明かします。

手紙の往き来を通じて、こうした連鎖反応が次々に起きます。


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谷川俊太郎とブレイディみかこに加え、
奥村門土(モンドくん)が二人のやりとりを象徴する絵を描いています。

たとえば、さまざまな文具やコーヒーが入ったマグなどがひしめく絵の真ん中が
ノート型パソコンを開いた形の空白が描かれています。
これは、谷川の詩「目の前に在るもの」に呼応した一枚です。
この空白の持つ意味を詩を読んでたしかめてみるのも一興です。


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谷川の詩による返信「萎れた花束」の言葉を借りれば、
「無重力の宇宙を浮遊する」詩を書く谷川と
「地上の人類が直面する困難」を書くブレイディのやりとりは、
宇宙と地上との交信にもみえてきます。

あの映画のポスターの指先の持ち主ふたりのように。



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