[本] 「わからない」という可能性 / 今を生きるための現代詩 | そっとカカトを上げてみる ~ こっそり背伸びする横浜暮らし

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大きな挑戦なんてとてもとても。
夢や志がなくても
そっと挑む暮らしの中の小さな背伸び。
表紙の手ざわりていどの本の紹介も。

相互読者登録のご期待にはそいかねますのでご了承ください。

本好きを自称していながら、
詩集をわずかしか手にとったことがない後ろめたさを、
この本に許された気がします。


私がほとんど詩集を読まない理由は、
内容を理解できた気がしないから。
作者の意図を汲めないまても、
自分なりの理解ができればいいと考えているのに、
そこに至りません。

17文字の俳句や31文字の短歌なら
いくばくかでも自分なりの理解ができるのに、
詩はそれらより字数が多いにもかかわらず、
自分の理解を築けないのです。

詩に置いてきぼりをくったような気分になっていました。


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詩人である著者は、この本で読者にこんな提案をしています。

「解釈」ということを、いったん忘れてみてはどうだろう。
(「序章」より)

そして読者に現代詩との和解を促しています。

もし、これまで苦手としてきた文学の分野があったとしたら、
(たとえば、海外の翻訳、SF、ディストピア、定型詩 etc)
それらと和解するきっかけもみつかるかもしれません。

 

今を生きるための現代詩 / 渡邊十絲子 わたなべとしこ (講談社現代新書)
2013年刊
お気にいりレベル★★★★★

まず第1章で、13歳のときに教科書で『生きる』(谷川俊太郎作)と出会ったときの著者自身の戸惑いを紹介しています。

 

谷川俊太郎の『沈黙の部屋』には強く惹かれたのに、
同じ作者の『生きる』を読んで感じた戸惑いの原因は、

詩にはなく、
中学生に向けた詩の選択の誤りだと指摘しています。

その指摘をきっかけに、私が俳句や短歌に親しめるのに、詩が理解できなかった理由がわかりました。

以降、内容を正確に伝える「伝達性」を求めていない詩を前提に、
わからないことの価値を読者と作者の双方の視点から述べます。

さらに、谷川俊太郎の他に、黒田喜夫、入沢康夫、安東次男、川田絢音、井坂洋子といった詩人たちの作品を引きながら、
日本語固有の詩の視覚的効果と意味や、
作者が自身のコントロールを失う(手放す)揺らぎ
揺らぎの制御がもたらす社会のほころびに話が及びます。


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不変の自分、ほかの誰ともことなる唯一の自分というものを確立して生きて行くのは不自由だ。
(『第5章 生を読みかえる』より)


個性の尊重と引き換えに、
自制と責任が求められるのは「不自由だ」というのです。
「今を生きる」のはなかなかたいへんです。

そんな「不自由」を背負ったまま、
みなが唯一の自分ばかり意識して個性をふりかざした先で、

待っているのはどんな世界か、

著者は思い浮かべます。

こうして無理をして、人生のあちこちで起きる破綻を前にして
詩を書くあるいは読んで感じる・考えるという行為が、
「今を生きるため」に人にもたらすものがある、

と著者は考えています。

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わからないことに価値があるとまで言われてしまうと、
わかる/わからない以前に、これまでのように詩を遠ざけて手にとらずにいたら、
この本に叱責される気がします。



[end]

目次

序章 現代詩はこわくない
第1章 教科書のなかの詩 谷川俊太郎のことば
第2章 わからなさの価値 黒田喜夫、入沢康夫のことば
第3章 日本語の詩の可能性 安東次男のことば
第4章 たちあらわれる異郷 川田絢音のことば
第5章 生を読みかえる 井坂洋子のことば
終章 現代詩はおもしろい

 

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