今回紹介する一冊は、今月初旬に紹介した『地球にちりばめられて』の続編です。昨年10月に出た『太陽諸島』を完結編とする三部作の第二作にあたります。
前作では、留学中に母国の島国が消滅した女性Hirukoは、自作の人工語「パンスカ」を話し、同じ母国語を持つ人を探してヨーロッパを転々とするうち、国籍、人種。ジェンダー、母国語など異なる個性を持つ4人とつながりました。
この『星に仄めかされて』では、その面々がSusanooの言葉を取り戻そうと、専門家のいるコペンハーゲンのある場所を目指して集まります。
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星に仄めかされて / 多和田葉子 (講談社)
2020年刊
お気にいりレベル★★★☆☆
この小説は各章が登場人物が代わるがわる語って構成されます。第一章は新たな登場人物ムンンが語ります。
染色体が通常と異なるマイノリティです。生みの親を知らず里親の下で育てられ、病院の半地下で皿洗いをしています。同僚の少女ヴィタとの間ではラ行の音に特徴のある自作の言語で話しますが、その他の職場は彼にほとんど話しかけません。。
第二章でも新たな登場人物医師のベルマーが語ります。自分の意見の正しさを信じている分、周りからは煙たがれています。
この作品でも前作同様、インド出身で性別を引っ越し中のアカッシュが、行く先々で知り合いと再会しながら、
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ムンンとベルマーは職場の人々から距離を置かれる一方で、ごく限られた人とはコミュケーションがとられています。
Hirukoの周りの人たちは、言葉を失ったSusanoo以外とは、母国語ばかりでなく全く異なる背景や個性の持ち主であるにもかかわらず、不器用なやりとりをしながらも意思疎通が太くなっていきます。
逆に、職場の同僚や親子といった、同じ母語を持った上に背景や多くの時間を共有した関係がかならずしもうまく意思疎通がはかれない状況が描かれています。
私は日本語しか頼りにできないのに、母語の共有という共通認識基盤に対する確かさの再確認をうながされた気になりました。
あえて一般論と逆の状況を描くことにより、きっと作者は、読み手の常識や既成概念、#がたくさん付きそうな個性やアイデンティティと意思疎通の関係性、といった精神の基盤に揺さぶりをかけているのでしょう、思考せよと。
そんな中で、ムンンとヴィタの台詞には、この二人、特にヴィタこそ、突拍子もないことが起きる現実を、新たな表現方法に挑む映画でも観るかのように本質を見逃さずにいるかのようです。
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ムンンという名の音は英語の"Moon"を連想します。Susanooがムンンと会って「tsukiyomi」とつぶやく場面があります。ツクヨミは、一説にはイザナギによって生み出されたとされる、月を神格化した、夜を統べる神。
この第二作『星に仄めからされて』には、鍵となる場所が固定され、夜のイメージがちりばめられています。登場人物の会話にも否定的な意識が強く配置されています。Susanoo(スサノオ)とムンン=Tsukuyomi(ツクヨミ)の神話の兄弟が登場したので、残るはアマテラス=太陽です。
第一作『地球にちりばめられて』が、場所を転々としながら様々な個性が次々と登場してつながってゆく、多様性と動きが根底にあったのに対し、この第二作は陰陽でいえば陰で、物語の空気が収縮しているように思えます。
完結編の第三作のタイトル『太陽諸島』であることから、第二作は前かがみ気味な姿勢から両腕を後ろに引いて膝を曲げ、次作で陰から陽へ転換する跳躍力を蓄える構えのような空気を感じます。ラストの星にまつわるシーンも、示唆するものをこれからじっくりと解き明かそうと思います。
第三作では、さらに読み手の既成概念を問い続けて欲しいと期待しています。
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