あらためて言葉のもつ力を思い知らされました。
この本の文章表現がすぐれているという意味ではなく、『「言葉」というものがあるから』可能になることがこれほどあるとは、といまさらながら気づかされました。
そんなことを考えさせるこの小説に唸りました。
それを人間以外に言葉を使わせるという設定で実現した手並みに感心しました。
言葉を話す鳥がいても、それはあくまでも口真似(音真似)にすぎません。
人間が話す言葉を理解する犬がいても、いくつかの言葉にふさわしい反応をする程度です。
人間と対等に会話するどころか、人間もたじたじの議論を展開するクマネズミ「ポール」がこの小説の主人公です。
◆ ◆ ◆
人間並みに言葉を話すネズミ、という単なるもの珍しさからから人間たちが近よろうとするとポールが皮肉な言葉に迎え打ちにあいます。
なにしろ、ネズミである自分が言葉を話すようになったいきさつを語るのに、一つ言葉を話していた人間が神に言葉を乱されて塔の建設という人類共通の目的を果たせなくなった例として引き合いに出すんですから。
お気にいりレベル★★★★☆
表紙はバンクシーの作品と言われている傘をさすネズミの絵です。
ポールがパパから言葉を教えてもらったのは、ネズミと人間が和解するためです。
人間が築いた社会で、ネズミも人間と対等に話し、暮らせる時がくることを夢見ています。和解は共生といってもいいかもしれません。
取り壊しが決まっている古いビルに生まれ暮らしてきたポールは、ある日、意を決してビルから出て与党市会議員の浦田実来子に話しかけます。
彼女は、ポールを自分の事務所で生活させ、マスコミを通じて世に紹介します。
ポールの要望を聞きいれながら周りの興味や計算も利用して、とうとうポールが市議会で発言する機会をえるところまでこぎつけます。
◆ ◆ ◆
言葉を操ることができるということは、他人と知識を共有する、思考する、それを伝えることだとあらためて認識しました。
ポールが人間と議論できるということは、人間よりはるかに短いネズミの寿命と人生のなかで文字を通じて、そうした知識や概念を人間と共有する水準で身につけています。
辻褄あわせといわれようが、ここを端折らずに書いていることにより、作者が珍しいネズミの物語を書こうとしたのではなく、言葉の物語を書いていることをうかがうことができます。
ポールはネズミとして人間から嫌われて生きてきたので人間との社会経験が限られてきました。当然、彼の思考は人間より未熟な面がありますが、並みの人間よりはるかに鋭い視点ももっています。
これは、ワイドショーの看板女性キャスターからインタビューされた時のポールの言葉です。
話しているネズミを珍しがるばかりで、彼が話している内容に関して的確な質問ができていなかったのです。
要するに、相手がポールでなくても起きている事象として描かれ、ディレクターやコメンテーターなど共演者はそれに気づかず(気づいていてもスルーして?)、それをネズミに指摘されているわけです。
◆ ◆ ◆
これは市会議員の浦田さんにネズミは人間からみればマイノリティと断言されたときに、ポールが返した言葉です。
私たちが「マイノリティ」ということばでくくる対象が、必ずしも少数派という「数」でみられているばかりではなく、発言者から見た「尊重する優先順位」の位置づけが低い集団とのニュアンスを、この一言で見事に言い表しています。
そしてこんな問いかけで浦田さんの言葉=思考の出発点をといかけます。
◆ ◆ ◆
ポールは、クレオパトラの自殺、明智光秀の謀反、ケネディ大統領暗殺、ヒトラーの最期といった人間の歴史の一コマにネズミが絡んでいた可能性を話します。
人間とネズミの長い関係性の可能性を彼が話しても、もちろん明確な証拠があるわけでなく、聞く人々はそんな場面を想像することもなくまともに耳を傾けません。
人間は、人間以外の生き物と和解している場面はいくらでも見つけることができます。
でも、人間の目から見て有形無形の害を及ぼす存在とは和解するそぶりはみせません。
思考や知識を共有する基盤をもつクマネズミは、果たして人間と和解の糸口を見つけるのでしょうか。
あれこれと考えさせてくれるフレーズにあふれる一冊です。
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