7年ぶりの再読です。初めて読みおえたときに、どこか読み落としたような気がしていました。
今回は文庫本に線やメモを書き込みながら読みました。
再読を終えて物語をふり返ると、じわじわとこの本の面白さがわいてきて、お気に入りの★がひとつ増えました。
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幻影の書 / ポール・オースター著、柴田元幸訳 (新潮文庫)
2009年刊、2012年文庫化
お気にいりレベル★★★★★ |
1980年代、大学で教鞭をとっていたデイヴィッド・ジンマーは飛行機事故で妻子を亡くし、自分の行為を責めながら抜け殻のようになっていました。
ふとTVで放映していた1920年代の無声映画の喜劇をみて、事故後初めて笑顔をとりもどしました。
それをきっかけに、喜劇の主役ヘクター・マンとその作品を研究し、本にして出版。社会復帰の糸口としました。
ヘクター・マンは1年ほどで12本の映画に出ながら、突然行方不明になります。
デイヴィッドが調べても、消息はわかりません。
その後も何の手掛かりもなく、誰もがヘクターのことを忘れてしまったか、言葉にせずとも亡くなったのだろうと考えていました。
ところが、ある日、デイヴィッドのもとに一通の手紙が届きました。
ヘクターの妻と名乗る人から、ヘクターが彼に会いたがっていると伝えてきました。
◆ ◆ ◆
ヘクターは生きているのか。
差出人は苗字がちがうのに本当にヘクターの妻なのか。
かりにどちらも本当だったとして、なぜいまヘクターがデイヴィッドに会いたがるのか。
それでなくともポジティブな気分になれないデイヴィッドは、ことの真偽を確認するために、何度か郵便で差出人に疑問を呈して説明を求めました。
そんな折、デイヴィッドが最悪な状態の夜に、謎の女性が彼の自宅を訪れます。
◆ ◆ ◆
デイヴィッドとヘクターの妻との進みゆきと並行して、消息を絶つヘクターの成り行きが語られていきます。
冒頭に提示されたヘクターの招きという謎の背景が、徐々に明らかになっていきます。
といっても、これは謎解きの小説ではありません。次々とあらたな謎が生まれてきます。
謎というより思索のテーマが次々と湧いてくるといった方がいいでしょう。
孤独な苦悩の人生の中での生きがい。
贖罪の人生の歩み方。
理不尽な制約の下で目指すもの。
60年間にわたる理解と愛と、29時間の理解と愛。
映像と文章の表現の対比と補完の可能性。
作り手とコンテンツ、コンテンツと観客・読者の有無の持つ意味。
そうしたストーリー流れとともに、デイヴィッドの再生の紆余曲折が描かれています。
◆ ◆ ◆
「幻影の書」は、ポール・オースターの書いた、というよりデイヴィッド・ジンマーが語る本書です。
そして、もう一冊、「著述家」の女性が著した幻となった作品と幻のような人物の本も「幻影の書」です。
デイヴィッドのその著述家に対する尊敬の念を通じて、ポール・オースターの文学に対する思いが伝わってきます。
この小説の最後の二つの文に、文章による伝達・伝承の力強さを感じずにはいられませんでした。
また、時を置いて再読します。
* 追伸
すでにこの小説を読んだ方へ。
あるいは、このブログを読んでからこの小説を読み、再びここに戻ってこられた方へ。
フリーダ・スペリングが遺産をあんなところに寄付したということは、デイヴィッドばかりでなく、彼女もアルマがどこかにコピーを残したことを確信していたんじゃないかと思いませんか。
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