ひとつの作品が映画と小説にされ、
どちらの方がいいということなく、
双方をこれほど楽しんだのは初めてです。
同じストーリーでありながら、
映画は、カメラが登場人物の視線と誰のものでもない視線から
一つひとつの場面をとりあげ、
小説では、登場人物6人がそれぞれの視点から出来事を語ります。
この構成の違いが映画と小説双方を独立した作品にしています。
さらに、もうひとつの違いが楽しみ方を大きく左右しました。
映画は観客の受けとめ方に関わりなくストーリーが進みます。
観ながら未消化だった部分は、観終えた後に反芻します。
小説は読み手がいつでもストーリーの展開を止めながら、
登場人物の心をあれこれ想像しながら進むことができます。
おまけに、
この作品の場合、
映画の厳顔・脚本・監督、小説の作者が同一人物であることから、
両者の意図の乖離はありません。安心して読めました。
◆ ◆ ◆
10年以上前にこの映画を観て、ラストシーンで
香川照之扮する早川稔が薄ら浮かべた笑顔が
それを遮り通り過ぎる路線バスとともに忘れられません。
稔は何を感じてあの笑顔をうかべたのだろう?
弟との和解? 必死な表情の弟への皮肉? 弟を超えた勝利?
苦難を乗り越えた誇り?
過去の自分との決別? 自由への入り口に立った歓び?
小説を手にして、その疑問に再び挑みました。
ゆれる / 西川美和(ポプラ文庫)
2008年刊
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山にある小さな町で炭屋の父早川勇の息子として生まれた稔と猛。
兄稔は子供の時分から聞きわけがよく、親から可愛がれ、
温和に今の家業のガソリンスタンドを継ぎました。
弟猛は、いたずら坊主で叱られてばかり。
高校卒業と同時に父の反対を押し切り、写真を勉強しに上京。
今では写真集を出すほどのカメラマンになりました。
二人の母親の一周忌に猛は故郷に戻りました。
そこでも父勇と猛はぶつかり、稔が仲をとりなしました。
◆ ◆ ◆
稔は猛を幼い頃家族ででかけた渓谷に誘います。
ガソリンスタンドに勤める幼なじみ川端智恵子も一緒です。
ところが渓谷の吊り橋から智恵子が転落死します。
橋の上にいたのは兄稔。猛は対岸にいました。
智恵子の転落死は事故、それとも事件?
小説は、弟猛、智恵子、父勇、勇の兄修、兄稔、
ガソリンスタンド店員岡島洋平の6人の語りで進みます。
転落死を機に稔と猛の内に潜んでいた思いが動き出し、
転落時の証言内容が揺れ、稔・猛も事件も揺れます。
◆ ◆ ◆
今回、文庫本のページをめくりながら、
時おり自分のペースで小休止して、
稔と猛の子どもの頃の兄弟両親への思いを想像し、
故郷に残る選択と都会に出る選択のもたらすものを考え、
二人の智恵子への思いと狭い社会での告白の成否の影響を想像し、
智恵子の転落死後の稔と猛の互いへの思いの揺れを感じ、
ラストシーンの稔の笑顔の意味を探り直しました。
こうしたおさらいを終えて、
今度はTSUTAYAで「ゆれる」を借り、
映像を小休止させながら観たら、新たな発見がありそうです。
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*** 読書満腹メーター ***
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