母との肌のふれあいに関する、私のもっとも古い記憶は、
5歳の時、かかりつけの医者に向かう母に背負われた時の温もりです。
朝、起きて体の不調を訴える私を見て、母は大笑いをしました。
おたふくかぜで顔が腫れ、普段とはまったく違う顔つきだったのだとか。
医者から戻り、私を祖母に委ねて、母は遅れて仕事に出ていきました。
働いてた母の肌と触れあった記憶は思いの他少ないのです。
◆
- シズコさん / 佐野 洋子 (新潮文庫)
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絵本「100万回生きたねこ」は、読んだことがある人も、
タイトルくらいは耳にしたことがある方も多いでしょう。
そんな著者がこんな出発点をもつ心持ちを書いています。
四歳位の時、手をつなごうと思って母さんの手に入れた瞬間、
チッと舌打ちして私の手をふりはらった。
私はその時、二度と手をつながないと決意した。
なんとも「きつい」、幼い決意です。
◆
著者は、亡き母との確執、葛藤、そして著者が行き着いた心の終着点を、
70歳になろうかというときにこの作品に描きました。
その歳になるまで、たどりつくことのできなかった境地があるのです。
母親を好きではないという気持ちは、母への憎しみというより、
「罪」の意識となって著者自身に刃を向けてきました。
母親を老人施設に入れてからは、「母を金で捨てた」と意識してきました。
母親が呆けはじめて数年後、著者の気持ちに変化が生じます。
永い年月です。
◆
父親が、母親が、私の年齢の時はどんな風だったっけ?
その歳になるまで父は、母は、何をしてきたっけ?
私も幾年月も経てある年齢になり、
子どもの時分のおぼつかない記憶も頼りにしながら、
両親の人生の軌跡をたどることがあります。
祖父母とひとつ屋根の下で暮らしながら、
両親とも働きながら、ふたりの息子を社会にでるまで育て、
息子たちが成長する過程で家を建て替え etc.
淡々と事実を並べてみると、意外なほど鮮やかな輪郭をともなって、
両親の生活力や苦労が浮かびあがります。
自分が年齢を重ねたからこそできる作業です。
◆
このエッセイを発表した時期に、著者は余命宣告を受けています。
自分の人生をたどりながら、母親の一生をなぞりながら、
生々しい感情の起伏をストレートに描く力強さは、
著者がやがて、でも瞬間的にたどりついく境地の柔らかさは、
読み手の両肩をしっかりつかんで、心まで揺さぶります。
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