こんばんは。
パン講師クリスチャンの平野宏子です。
今日は私担当のフリーレッスン日でした。
午前レッスンが終わって、
午後はマンツーマンレッスンでした。
その生徒さんとマンツーマンレッスンになったのは初めてでした。
「先生と二人でレッスンなんて初めてだから、今までプライベートなことをお話しするきっかけがなかったです」
そうおっしゃって、初めて聞くここだけの話をたくさん教えてくれました
そのお話の中で、
「神様がそうしてくださった」・・・とか、
お話ししてると神様がたくさん出てきました
うちは仏教なんですけどっておっしゃいながらね
お家には仏壇があって、猫ちゃんが入ってしまうそうなんです
神様の存在はなんとなく信じているんだけど、生まれた時から仏教に親しんでいるというのが私たち日本人です。
特別信仰しているものがなければ、日本人はとりあえず当たり前に仏教でお葬式しますよね。
私も子供の頃から両親の実家は仏教で、お盆はお坊さんに拝んでもらったり、お葬式は仏式でしたから、「うちは仏教です」というのはわかります
でも、よくよく考えてみると、『うちは仏教』っておかしな言葉だなって思いますね
信仰するのは家ではなくて個人なのに。
歴史的に、国が檀家制度を作ったのが現代も残っているからですね。
Wikipediaにはこうありました
寺請制度は、事実上国民全員が仏教徒となることを義務付けるものであり、仏教を国教化するのに等しい政策であった。
国が強制的に作った檀家制度に、私たちは今も縛られているのです。
過去や家に縛られないで、自由でありたいですね
[ヨハネの福音書 8章32〜36節]
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」
イエスは彼らに答えられた。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。
奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。
ですから、子(キリスト)があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。
自由じゃない=奴隷
真理を知ると、私たちは完全に自由になります。
私たちは全員もれなく罪を持って生まれてきます。
罪から解放されることのない罪の奴隷です。
どうしても悪いことを考えてしまったり、罪を犯してしまうものです。罪から解放されることはないから罪の奴隷となっているのです。
真理を知るということは、神のご計画を知るということです。
キリストが十字架にかかって死なれたのは私の罪の身代わりとなってくださったからだと信じることができれば、罪から解放されて、何の奴隷にもならない完全な自由となります。
自由を手に入れると、人の悪い目も気にならないし、檀家とか関係なく自分の信仰を持つ勇気も得られます。
誰にも気兼ねする必要はないのです。
自由なんですから
自分ストーリー1〜10話