Aさんについて、いろんなことがわかってくると、お辞めになった前任のパートさんと共通する点が結構あることに気づきました。
特に気になった点は体調面ですが、二人とも同じような症状で同じような薬を飲んでいたり、ここ数年で体重が10kgも増えたりしていた点です。
この二人の共通点から導き出される当然の帰結(仕事ができないとか体調不良で辞めるとか)が、なんとなく気になるのです。
その後、あるコースシェア会があり、そこで、
「聖霊に従うなら、言うこと為すことが聖霊の愛の反映となる」
という話を聞きました。
私はこのシェア会で、聖霊に従った例として、職場で一緒に働くようになったAさんの話をしました。
そしたら、ある方が、
「今のお話しを聞いて、『天国から離れて』に出てくるヘレンがコートを買う時のエピソードを思い出しました」
と言って下さったのです。
そのエピソードは、ヘレンが冬のコートを買いたいと思っていたら、イエスが「ここのお店に行きなさい」と指示したという話で、イエスが指示したお店は、高級志向のヘレンなら普段行かないような安売りのお店でしたが、ヘレンはイエスの指示に従ってそのお店に行ってみると、望んでいたとおりのコートを見つけることができたうえに、そこの店員さんがヘレンの助けを必要としていることがわかりました。
この店員さんには知恵遅れのお子さんがいて、どう育てたらいいのか困っていたけれど、ヘレンは心理学者、教育者として、その店員さんを助けることができたのです。
ヘレン自身も欲しいものを手に入れられたし、イエスもヘレンを通して人々を助けることができたというエピソードです。
この話を聞いて、私は今回のことで“兄弟とのつながり”を実感できて嬉しかったし、その上、聖霊の何かしらの助けになっているのかもしれないと思えて、ちょっとホッとしました。
(シェア会っていいですよね。)
また別の日にコースの勉強会があったので、上述の話をヘレンのエピソード付きでシェアしました。
この勉強会では、Aさんと前任のパートさんとの共通点について、具体例をいくつかあげて説明したのですが、なぜか具体例の一つである職業だけが注目され、その職業に私が引っかかっているのではないかとコース仲間さんに指摘されました。
私としてはその指摘がどうにも的外れな感じがして、思わず心の中で『そこですか?!』とつぶやき、力が抜けていく何とも言えない感覚に襲われました。
話が伝わらないもどかしさから、
「そのこと(職業)はどうでもよくて、単にこの二人に共通する点があるということを示す記号(具体例)に過ぎないんですけど」
と反論しましたが、それについてはスルーされました。
更にこの話自体も大した扱いは受けず、この話の意味については「聖霊に訊きましょう」という感じで終わりました。
(まあ、今思うとどうでもいい話だったと認めざるを得ないので、この扱いでちょうどよかったと納得しています 笑 )
この勉強会を聖霊と共に振り返ったところ、コース仲間さんにご指摘頂いたことを私は「的外れ」だと感じましたが、これも私の投影ですから、実は私の方が「的外れ」なのだと思いました。
そこでAさんが前任のパートさんみたいに体調不良で辞めたらどうしよう、という心配こそが「的外れ」なのだと気づきました。
いくらAさんに前任のパートさんと共通する点があろうなかろうと心配すること自体「的外れ」だし、そんな共通点はスルーすればいいってことです。
(だから、勉強会の時にスルーされたのね、と改めて納得。)
聖霊に訊けば、物事はいたってシンプルです。
危うくまた変なドラマをねつ造するところでした。
おかげさまで、今となっては、何事もなかったかのように(実際何事もなかったのですが)、Aさんも私も心穏やかに明るく元気に働いています。
T-10.Ⅳ.7.1-6
奇跡とは、偽りの神々をすべて手放した神の子が、兄弟たちにも同じことをするように呼びかける行為である。それは信に基づく行為であるが、その理由は、兄弟にそれができるという認識だからである。それは彼の心の内なる聖霊への呼びかけであり、つながり合いによって強められる呼びかけである。奇跡を行なう者は神の声を聞いたからこそ、それを病気の兄弟の中で強める。そしてそれは、自らは信じていないが兄弟が信じている病気という信念を弱めることによって行われる。一なる心の力は他の者の中に入って輝くことができる。なぜなら、神のすべての灯火は同じ閃光によって灯されたからである。それはどこにでもあり、永遠である。
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