盛岡7代目藩主:南部 利幹(としもと)公 | 大蟲籠中記 〜ババ様怖い〜

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日々の出来事や、大好きな幕末(日本史)をダラダラと。

先代の6代目同様読めない漢字。

「幹」と書いて「もと」と読みます。

としみき じゃないよ。

 

6代目はお兄さんです。

ってことは、5代目はパパ、4代目はおじいいちゃんですね。

 

 

 

基本的に盛岡藩は4代目の時期に飢饉の影が忍び寄り、なんとかクリアするもその後は飢饉と借金に追われるのです。

当然7代目も飢饉まっただ中での就任。

私だったら、赤字経営の社長就任なんてなりたくない;

 

 

ちなみに江戸時代の武家は、小さい頃の名前と成人後の名前は違います。

小さい頃の名前は「幼名(ようめい)」と言います。

 

盛岡藩の話に戻って。

飢饉まっただ中で火の車経営だったけど、お殿様は逃げ出さず現実を見つめ対策を行ったんですよ〜。

ダメ藩なんかじゃ決して無い。

 

 

藩で使うものと、プライベートで使うもの、ハッキリ分けたのも利幹公です。

当時の殿様は、職場と自宅が兼用だからね。

県庁に知事が住んでるイメージ。

 

蛍光灯が切れた。

職場のだったら当然予算から、自宅のだったらポケットマネーから出して蛍光灯を買います。

それと同じで、財布を分けてお金の動きを正しく把握&うやむやにしない事を徹底。

その上、財務大臣に敏腕部下を指名。

大丈夫。お友達内閣じゃないから。

 

 

この沖氏の徹底した節約倹約に、借金はほぼ返済。

ちゃんと立て直しを計った7代目です。