昔の上司、村上さんの記事です。
とてもユニークで先見性のある方ですした
//////////////////////////////////////////
何も話さず、何も入力しなくても、あなたがパソコンの前に座るだけで知りたいことや聞きたいことが画面に出てくる世界を作りたいんだ」
今から17年前、米グーグル副社長兼日本法人社長に就任した村上憲郎氏は、初めて米グーグルの創業者のラリー・ペイジ氏、セルゲイ・ブリン氏に会ったことを今でも覚えている。村上氏の最終面接は当時CEO(最高経営責任者)だったエリック・シュミット氏。面接の後、最初に米国本社に呼ばれて訪れた際、創業者の2人が会いたいといって部屋に呼ばれたという。そこで会話をしていた際に発されたのが冒頭の言葉だった。
「AI(人工知能)をベースにした会社だとは聞いていたものの、そこまでの世界を実現しようと考えていたのにはびっくりした」と村上氏は当時を振り返る。
。
元グーグル日本法人名誉会長の村上憲郎氏(撮影:的野 弘路)
グーグルは創業者2人の卓越した才能とそのカリスマ性によって、22年で世界時価総額ランキングの5本の指に入る会社にまで成長した(2015年から上場企業は米アルファベット)。1998年創業のグーグルは、その後のドット・コム・バブル崩壊、リーマン・ショックをものともせず、絶えず成長を続けてきた。
もちろん、今のグーグルは欧州を中心とした個人情報保護の流れや、日本のプラットフォーム規制の矢面に立たされている。だが、これらはある程度の規模になった企業が必ず直面する課題の1つに過ぎない。
重要なのは、約20年の間に世界の時価総額ランキングががらりと塗り替えられ、グーグルのような米IT企業が上位を独占し、日本企業はトヨタ自動車を除いて上位50社から姿を消したという事実だ。なぜ日本企業は世の中の競争に置いていかれたのだろうか。
2012年ころ、筆者は米スタンフォード大学の名誉教授であるエドワード・ファイゲンバウム氏を取材で訪ねた。ファイゲンバアム教授は、AI研究の中から生まれたシステムの1つで、専門家の意思決定能力をシステムによって模倣し、素人でも扱えるようにするエキスパートシステムの第一人者。1980年代、通商産業省が主導していた第5世代コンピュータプロジェクトにも深く関わった人物だ。
「なぜ、日本はグーグルやマイクロソフト、アマゾン、アップルに遅れをとってしまったのでしょうか」。筆者は素朴な疑問をぶつけた。当時、ファイゲンバウム氏はこう答えた。「日本社会は目に見えないものを信じない傾向にある。ハードウエアを作る人たちを重んじ、目に見えないソフトウエアを作っている人たちを軽んじてきた」。
今でこそエンジニアはプログラマーなども含めた言葉として定着しているが、1980年代の日本はエンジニアといわれれば、ハードウエアに関わる人たちのことを指していた。ソフトウエアエンジニアはあくまでもプログラミングをする人という意味でプログラマーと呼ばれ、エンジニアとして認められていなかった。高度成長期を製造業が支えてきた日本だけに、世の中の変化を捉えきれていなかったのかもしれない。
https://business.nikkei.com/atcl/forum/19/00029/040100012/?n_cid=nbpnb_fbed
さて、評価という話になるとどうしても組織のなかで、人事制度上また、業務上評価する立場にいる上司というのが一番厄介な存在になりますね。同然上司と相性、考え方、波長とかそれが合う、合わないによって、むずかしさも全然違ってくるとは思いますが、仕事をする環境、自分を成長させる経験を積む環境と考えた場合、上司との関係も、取り組みかた一つで仕事に対する考えや深みが違ってくると思います。
上司がどんなタイプであるか、優秀かどうか、人を見る目があるか、などなど、上司によって、たしかに環境はおおきくことなりますが今日は、こういうタイプの上司はこう付き合いなさい、こういう上司の場合は、こうしたらいいとか、そういうことをお話しするつもりは全くありません。
今日お話ししたいのは、大事なことは、上司の権限をどう使うか、上司をどう動かすかを考えて仕事をすることということです。上司をどう使うかを考えるということは、皆さんすでに、日常無意識のうちに自分の仕事を円滑に進めるためにやっておられるかと思いますが、私が申し上げてるのはさらに進んで、意識して上司を動かす、使うということを考え、やってほしいということです。
上司の立場でものを考え、上司が判断するプロセスを先取りし、自分の担当者、あるいは課長という立場でなく、部や部門の長しいては社長の立場にたったときの判断に必要な要素を考え、その上で仕事をしていくということですから、ある意味、そう簡単ではないです、ただ、そういう思考をもとうとすると、会社の経営陣が考えていることにより強い興味をもつでしょうし、また、会社の戦略や決定事項がどういう考えでなされ、どういうプロセスで決済されたかなど、自分の担当、責任範囲を大きく超えたレベルで情報を集め、理解しようとする習慣が自然と身に付き、それが、まわりへのその人の印象、評判にも間違いなく、影響していくと思います。したがって、上司をどう使うかということはある意味、仕事において、自分をより権限の大きいポジションへと導いていく、いわゆる自分を成長させるために必要な思考プロセスといっても過言でないと思います、それは今おかれている自分の立場責任範囲以上の視野をもとうとすることであり、また、先読みをしたり、いろんなケースを想定して物事を考えるといった、より組織における行動戦術的な思考の訓練ができることになると思います。
ここまで話すと、もうみなさんお分かりの通り、私がいいたいのは、上司とは使われる存在ではなく、使う存在だということです。では、もう少し具体的に上司を使うというのはどういうことでしょうか?
それは上司にごますりをして気分よくさせたり、おだてたりして、なんでも承認してもらいやすくするというような単純なものではないです。
それは、上司が何を考え、何をしようとしているかをまず理解してあげること、そして、その上司の持っている権限で、自分の思う方向や、自分がやってみたい仕事をやれるよう、上司をして、自分により自分がやりたい仕事をさせてもらえるよう仕向けるということです。これを可能にするには、それがどんな上司であれ、やはり、その上司から信頼され、一目置かれることが肝要で、そのためには、上司より精通している分野(製品、顧客、業務なんでもいいです)、上司があなたに頼らざるを得ない分野を必ず持つことが肝要です、つまり頼られる存在になることです。
もしhろん、自分が新しい部署に異動したり、転職して新しい会社に入る場合などは、上司のほうが精通していることが多いかもしれませんが、当然、新しく来た人にしか見えないこともありますし、相手がベテランの上司だからといって、一目置かれるようになれないということはないはずです。
また、自分のほうがどう考えても上司より優秀で、上司がかったるいという状況であれば、なおさら、上司の権限をうまく使い、また、上司をうまくコントロールするよううまくやることが必要になってきます。そのような場合、上司にとっても、部下が活躍し、いいアイディアをだしたり、いい案件を見つけてくることは、自分の手柄でもあるので、基本うれしいはず、すべては自分でできる、上司の助けなど必要ないなどと思わず、上司にも手伝わせよう。また、どんな上司でも、年月という観点では経験は豊富、自分では気づかなかったところを指摘してくれるやもしれない。
たとえば、自分が担当で、上司が課長、案件は部長の権限でないと進められないというような場合、当然自分がすべて部長に説明し、部長のOKをもらえると思っていても、「是非課長のご同席をお願いしたい、課長からも一言言ってもらいたい」
というような形で、課長を立てて、二人で部長に説明し、説得したかのような形をとる。
そんなことが一度でもあれば、課長の君に対する態度は大きく変わるもの。
所詮上司は、いい恰好したがるもの、それをさせてあげる部下は上司にとって、
とても、可愛い部下なのです。 それが、「あいつはわかってる」言わせる、大きな要素だと思います。
要は上司とは、とにかく「まめ」に付き合うということだと思います。
では、もうすこし、話しを絞って、組織の中で、どういう人がどういう観点で評価されるかという部分について、詳しく話してみましょう。
ここでは、いわゆる人事の評価制度的な業績評価、コンペテンシ―の評価といった意味とは少し異なり、その人の組織のなかでの、周りからのその人に対する総合評価、それは潜在的な将来の可能性も含め、その人がどんなタイプ、その人を形容するときに用いられる表現、先ほどお話した、ラベルの話しです。
もちろん、それぞれの組織には固有のカルチャー、判断基準のようなものはあるでしょうし、その組織の長の性格や好みによっても左右されるでしょうが、ここでは、日本の会社、外資を問わず、基本的な部分を一般論として、また、私の経験から話させていただきます。
では、このような観点で組織の中で人を形容するときにどんな表現を使うでしょうか?
昔からよく言われる表現として
Ø 協調性にとんでいる
Ø バランス感覚に優れている
Ø 頭がいい、要領がいい
Ø センスがある
Ø がんばりや
Ø あきらめない
Ø 謙虚である、控えめである おごらない
Ø その逆として、唯我独尊である、突っ走るタイプ、根回しが下手、要領がわるい、
もうすこし、続けると、部下を持つようなポジションになると、上にはいいが下にはわるい、Managing upばかりしているとか、権威主義だとか、あまり自分の手を汚さないで、なんでも部下にやらせる
そして、組織の中での人の評価や人事というのは、決済する人の記憶に残るような印象やだれかの一言で決まってしまうケースが多い、とくに、上司の上司、、そのまた上司と、おおきな組織では、なかなか組織の一番上の人にじっくりと、人となり仕事の仕方などについて理解してもらえるほど接点がないのが普通なので、非常に限られた接点、それは会議の席や、同席した顧客とのミーティングや、宴席での会話など、ほんとうに、一瞬の出来事のなかで、組織の長によるその人の印象で、評価や、人事異動が決まってしまうケースが多い、
私も、後で聞いた話ですが、入社4年目ぐらいの時、定期人事異動で、当時勤務していた、東京本社の国内ビジネスの部から名古屋支社に異動になるということが決まってたらしいのですが、ある取引先の人が当時の花形の部の国際部の部長さんに、「国内の部にいる藤岡というのはなかなかわかってるやつで将来性がある」と言ってもらったらしく、その人ことがもとで、名古屋ではなく、その国際部に異動が決まり、その2年後にアメリカ駐在となりました。ほんとうに、運命は紙一重で、その取引先の方の一言がなかったら私のキャリアは国内中心で、とても外資への転職などは考えも及ばなかったと思います。
通常、誰を昇格させるか、誰をより重要なポストに就かせるかなど、という決定は、その組織の長の独断で決まるケースが多いです、
また、独断ではなくても、その長に最終決済を求めるときに、その長が推薦された候補者に対して、その候補者のことをあまりよく知らなくても、いい印象をもってないと、承認しないということは往々にありますし、その候補者のことをまったく知らない場合は、自分が信頼している部下にその候補者はどうかと、意見を求め、意見を求められた人の一言で、Yes, Noが決まってしますことが、多いわけです。
私は、外資で人事を担当してきた経験からいって、日本の会社であれ、外資であれ、基本は同じだと思いますし、中国、韓国、台湾などの人事も以前担当していましたので、国が違っても、基本は同じことです、そして、もっというなら、人の印象、評価というのも、国、人種が違っても基本は同じです。
ということで、このラベルというか、自分についてまわりがもつ一種の評判がものすごく大切になってくるわけです。
「XXX部のXXさんって知ってる?」ってきかれて、「ああ、この前ロンドンから帰ってきた人だよね」とか、「XXXが得意な人だよね」とか、
なんらかの、修飾語がつくもので、その修飾語がまずはネガティブなものにならないようにしたほうがいいわけです。
新型コロナウイルスの影響により、苦しい状況に
置かれているジャズミュージシャンのためにご賛同下さい!
https://twitter.com/andyfujioka/status/1244766038127861760?s=21
今回は、組織における行動、対人関係、そして評価という部分で、どういうアプローチが、自然体で、かつ、相手から信頼されるような、また、評価されるようなスタイルか、そして、なぜそうなのかということを、私なりの経験からお話しさせていただき、皆さんが、皆さん独自の自然体で、かつ周りから評価されるスタイルを確立する為に、参考にしていただければと思います。
ここから下記に書いてありますようにいくつかのサブテーマに分けてお話していこうと思っています。
Ø 人は何をどう評価されるか
Ø 上司は部下にうまく使われたがっている
Ø 「わかっている人」と「わかっていない人」
Ø 知らないことは山ほどある
では、人の評価の話から始めたいと思います。
たとえばですが、人は初対面の時に相手の人の風貌、声、話しかたなどからなんらかの印象を持ちます、 「結構年取ってるな。。」 「優しそうだな」 「怖そうだな」 人は自分の感性で、同じ人に対して、それぞれ違った印象を持つものだと思います、ただ、初対面で会って、少し話をすれば、最初に相手の風貌や第一印象からもった印象が変わるかもしれません。
そんな風に、最初の印象から、実際に話してみて、あるいは、いっしょに仕事をしてみて、そういうその人との「かかわり」を経て、まわりの人はその人に対する印象を固めていき、それが、その人のいわゆる、定着する「評判」につながっていくわけです。
今度は、皆さんについてです、皆さんは、今の組織のなか、あるいは業界の中で、どういう風にまわりの人がみなさんのことを形容しているかご存知ですか? 意外と知らないかもしれませんね。 人事の評価ツールの一つに360度評価というのがあって。。。。。。
私は、ちなみに、会社の中では、怖い、厳しい、近寄りがたい、という評判を得ておりまして、残念ながら、この評判はなかなか変わらないのですが、まさに自業自得ですので、仕方ないです。
このように印象から始まって、その人にたいするある評判が組織の中では定着し、評判となり、一種のその人のラベルのようなものになり、(つまり、その人についてまわる、形容詞みたいなものですね、あの人はXXXな人的な)
それが、評価へとつながっていきます。みなさんもよくお分かりの通り、ビジネスの世界、そして、みなさんが所属している組織において、なぜ評価は大切か、それは評価がいいとよりいい環境で成長できる機会に恵まれるからです。
もちろん、唯我独尊、わが道をいく、卓越した能力や実績があれば、周りの評価は気にせずともと、言いたい人もいるでしょうが、ビジネスの世界は、所詮売れてなんぼの世界、ものやサービスが売れるということは、買う人から評価され選ばれるということなので、やはり評価はとても重要です。
また、会社に属し、組織で仕事をしている以上、一人で自己完結する仕事というのは極めてまれで、いろんな人の協力、そして承認があって初めて仕事は前に進むわけで、やはり、評価され、理解されることがいい仕事をすることにつながっていくと思います。
皆さんに一言で、「いい評判を得られるようになれ」といって、「はいそうですね」、と簡単にすんでしまう話ではなく、もっと、深堀するひつようがあるほど、大事なことだと思いますので、さらに話を進めていきたいと思います。
去年、後輩に勧められてAIの勉強をした無料の On Line Courseです。
講師は元Googleで「Hello Google」の開発に携わったAndrew Ngという人です。文系の人を対象にした、とてもわかりやすい内容になっていますし、ひたすらビデオを見るだけです。英語の勉強にもなるますよ!
https://www.coursera.org/learn/ai-for-everyone
エリートとしてのプライドや、学生時代の成功体験が邪魔をしているという点と、日本の大企業の人事制度の弊害という点に通じるものもありますが、もう少し、キャリア、時代の変遷の中で、どうして日本の大企業の上司たちは普遍的に変化を拒んできたのかについて考えてみたいと思います。
ひと昔、はやった言葉で「Unlearning」という英語の言葉があります。これは、今まで体験してきたこと、あるいは、持っている知識や観念を一度捨ててみて、そこから始めて、新しい考えかた、物のみかた、そして新の新しい体験というものが可能となるという意味です。人は成功体験や固定観念を形成することで、自己肯定し組織の中で自らの立ち位置を探す生き物だとは思いますが、事業を取り巻く環境や技術やビジネスモデルの変化がなければ、そういう考え方や生き方が通じるかもしれませんが、現実の世界では、ビジネスを取り巻く環境は日々変化し、またいろんな要素が影響しあいながら複雑に変化していくものです。
従って、成功体験や、固定観念を捨てて、謙虚に新しい知識や物の見方を取り入れようとする人と、そうでない人の差が、組織の中でもやがて大きな差となって現れ、それが出世レースの優劣に大きく左右するというのが見てとれます。
よくいわれるように、一流大学に入るまで、思春期の大半を受験勉強についやした人たちは、大学に入った途端に勉強することをやめ、そして一流企業に就職しても、業務を覚えることはやっても、基本的なビジネスにかかわる知識やビジネスを取り巻く環境にかかわる知識を身に着けるという意味での勉強をしない人がほとんどだと思います。UnlearningとLearning、そのどちらもしないエリート意識が邪魔をするまま50歳近くまでになったビジネスマンと、企業に入っても、与えられた仕事をこなすだけでなく、常に謙虚に知らないことを身に着けようと勉強し、また成功体験に固執することなく、常に新しい技術や、グローバルの視野ももち、ビジネスにおける感性を磨き続けようと努力し続けた人の差は、どれだけのものがあるか、もうお分かりの通りです。大企業における人事は、時として不公平であり、また、人の好き嫌いで行われることもあるでしょう。ただ、広く一般論で見てみると、やはり大企業の役員やそれに準じる役職に就かれている方は、それなりに自他ともに認める、優秀さをもっておられると思いますし、総じて視野も広く、また見識の豊な方が多いと言えるでしょう。
このように、UnlearningとLearningの長年の差が、企業の中での評価につながり、高い評価を得られなかった旧エリートは、さらに自己肯定に走り、結果として、自分の内面では自信がなく、何も決められない、変えられない上司となっていったのではないでしょうか。
さて、そんな出世コースを外れたエリートビジネスマンは、そもそも、なぜ自分が出世しなかったか、あるいは出世コースから外れてしまったかということを、はっきりと思い知ることは、入社同期との出世のスピードに決定的な差がついたときとか、自分より入社が後の後輩に先を越された時に、それと認識するのでしょうが、日本の大企業の多くが採用している旧態依然とした日本型人事制度(制度的には年功序列型から変化していたとしても、その運用が旧態依然としていうケースも多いと考えられます)では、直属の上司や人事部から、はっきり組織の中で自分はどういう評価を受けているかということの説明を受けることは、ほとんどの場合、はっきりと差がつき始める50歳前後まで、そういう機会はないのではないかと思われます。
それどころか、「君はよく頑張ってくれている」とか、「君の貢献はちゃんと上もわかってくれている」などという、なんとかく、「平均よりは上だ」、あるいは、「まだ、頑張っていればチャンスがある」、「役員にはなれなくても、せめて部長になれるチャンスはある」などと言った、おためごかし的な評価やフィードバックによって、組織への帰属意識や、やる気を継続させるように導かれているケースが多いのではないでしょうか?
当然のことながら、会社組織は、企業規模が大きくなればなるほど、当然、一人の役員や、本部長、部長が統括・管理する組織は大きくなり、同期入社した全員が組織の長として出世し、役員や、それに準じる役職につけるわけはありません。また、人はそれぞれ生まれ持っている性格や、社交性やビジネスという世界で発揮できる能力や、入社後の努力や、もっと言えば、周りから支持、支援されるタイプかどうかなど、ビジネスマンとして成功する、あるいは、組織がより仕事を任せたいと思うようなタイプかどうかなど、言ってみれば、同期で入社し、しばらくすれば、マラソンレースで、先頭集団が形成され、第二グループ、第三グループと徐々に鮮烈が固まっていくように、企業の中での、それぞれの人に対する評価も、徐々に少しずつ固められていくものだと思います。問題は、ほとんどの大企業においては、その事実をはっきりした形で、本人に伝えられるような仕組みにはなっていない点だと思います。
もともと一律新卒採用、終身雇用や、年功序列といった制度ではなく、職務をベースにした採用、評価を用いる欧米型の人事制度では、入社の時点から経験、学校での専門的な知識、技術の習得度などで最初から差をつけることが前提となっていますので、毎年のように、その人の強いところ、弱いところ、また将来どういうポテンシャルがあり、企業側ならびにその人が、今後どういう成長を望んでいるかという部分も含め、直属の上司と会話し、それを記録として残していくのが基本となる制度になっています。ですから、入社後早くから、将来組織のリーダーとして人の上に立つコースに進んでいく可能性のある人と、より専門性を生かす形で、組織の構成員として企業に貢献していくキャリアバスを目指す人とを、組織側も従業員側の両方がしっかりと理解、意識して、よりはっきりとしたまた、双方合意した形で、企業でのキャリアを磨いていくことになっています。
このように、日本の大企業に勤める、出世から外れたエリートは、日本文化の代名詞である「曖昧さ」という考えに基づき、「君はよくやってくれている」といった、差しさわりのない評価で、組織の中で将来どういう立場での貢献を期待されているかという道筋の議論もなく、漠然と「まだチャンスあり」という希望により、やる気を喚起され、20年、30年と年月を重ねているのではないでしょうか・
日本のいわゆる一流会社と言われる会社は、東証の一部上場会社だけでも2000社以上ありますが、そのなかでも、売り上げ規模は一兆円を超えるような超一流の会社では、有名大学出のいわゆるエリートを毎年何百人も採用し、当然、高度成長時代ならともかく、過去20年以上は、事業規模はそんなに大きくは拡大せず、生産性の向上や組織のスリム化などの取り組みもあり、いわゆる取締役や、執行役といった、ビジネスマンとしてのある意味、成功を象徴とも言える「上がり」のポジションの数は、一部の例外を除いて、年々減少傾向にあります。
当然、一流大学を出て、希望を胸に入社した人達が50歳を超え、役員のポストに就くことが可能となる年代になったとき、同期で入社した何百人の内、果たして何人が栄光のポストに就くことができるでしょうか? 毎年毎年、何百人も一流大学から新卒を採用するような、巨大企業の場合、多分同期から一人も役員になる人がでないということも決して珍しくはないと思います。また、役員までは届かなくても、その下の理事とか、本部長とか、それなりの役職に就くことも、熾烈な社内競争に勝ったものだけに許される、ほんの一握りの人達が到達するという、かなりの狭き門となっているのが現実です。
これは、売り上げが数千億円の超一流企業の次にランクされる、いわゆる大企業でも、大なり小なり同じような状況かと思われます。
これらの巨大、あるいは大企業で、栄光の役員または役員に準じるような役職に就けなかった人たちは、多分40歳ぐらいから徐々に選別され、いわゆるエリートコースから外れ、(はっきりと本人が自覚したかどうかは別として)60歳あるいは再雇用を含めた場合65歳まで、その会社あるいは子会社や系列会社に転籍しながら、定年まで勤めあげる人が大半だと思います。そういう人達は、大多数が、中学時代から、あるいは場合によっては小学生のころから塾に通い、一流高校入学を目指し、またその一流高校から一流大学を目指し、合格を勝ち取った、いわば勝ち組の青春時代を過ごした人たちですが、その人達が企業という、より長い競争組織の中で、徐々に出世レースから外れ、自他ともに、その現実を受け入れつつ、会社に忠誠を誓い続け、真面目に勤務し続けているわけです。
その人たちの20年、30年に及ぶ企業生活は、家庭を築くという人生の過程をも含め、たとえ、出世レースからは外れたとしても、自分が組織にとって、また家族にとって必要不可欠な、そして、過去からそうであったように、優秀なエリートであるという自己肯定の連続の日々だったのではないかと想像します。



